新と奈月
33
「結婚、する?」
そう言ったのは高校三年生になってすぐだった。あの時の新の驚いた顔を、私は絶対に忘れることはないだろう。
もちろん奈月も思いつきでこんなことを言ったわけではない。新から家の話を聞くたびに、この子をそこに置いておいていいのかという気持ちが芽生えてやまなかった。早くどうにかしたくて、あそこから連れ出したくて、それで奈月なりに考えた結果が結婚することだった。
奈月も新も付き会い始めた頃から結婚を意識していて、二人でもよく話していた。その時期が少し早いだけで、奈月には心配なことは何もなかった。だが、新は違った。奈月がプロポーズもどきのことをしたとき、一瞬嬉しそうな顔をしたが、すぐに顔を曇らせた。
「う、嬉しいけど、こんな早くていいのかな」
「結婚するのは嫌?」
「い、嫌なわけないよ! でも、親たちがどう思うか…」
新の言いたいことも分かる。私たちはまだまだ子供で、親の助けを借りる必要がある。
「でも、私はもう新くんをあの家に置いておきたくないよ。新くんの親には一緒に説得しに行く」
「…」
「まずは私の両親に話す。できることなら私も一緒に働きたい」
「っ!! それはダメ! 奈月ちゃんは大学行って! 俺が働くから!」
新はそこだけは譲る気が無いようだった。奈月の頑固な性格を理解して、たいていのことは許容してくれる新が食い下がるのは珍しかった。
そしてその日の夜、早速奈月は両親と話をした。両親はどちらも楽観的な性格で、結婚については奈月と新の意思を尊重すると言ってくれた。大学は出て欲しいという両親と新のお願いを聞き入れ、奈月は進学することに決めた。
高校卒業した後のことを両親に聞かれると、奈月は言葉に詰まった。大学でバイトを始め、新も働き始めるとしても、最初は親を頼らなければいけない。そこで、両親はある提案をしてくれた。
「奈月ちゃん家で一緒に暮らす!?」
次の日、両親と話し合ったことを、新に伝えると口をあんぐり開けて驚いた。
「うん、お母さんが提案してくれて、お父さんも賛成してた」
「え、え……いいの?」
「もちろん、お母さんもお父さんも息子ができて嬉しいってすでに楽しみにしてるよ(笑)。あ、でも新くんは人の家、ましてや義実家とも言えるところで住むなんて気まずいよね…?」
「え、いやそれは全然! 奈月ちゃんのお母さんもお父さんもすごいいい人だし、一緒に暮らすのも楽しそうだけど…」
「お金のことなら心配しなくていいって。新くんの事情も知ってるから」
「あ、ありがとう…」
「そのためにも、あの家に行かないとね!」
そう、奈月たちの一番の問題は新の実家だ。
「……うん、俺も覚悟を決めた。親に話しておくね」
新の顔は戸惑いから凛々しい顔つきに変わった。自分の中で考えがまとまったのだろう。
春も終わり、夏に差し掛かりそうな休日、奈月は新の実家を訪れた。新が何度もお願いして、やっとつかみ取ったアポだった。奈月が新を待ち伏せした、あの日以来の新の実家は改めてみてもとても大きかった。あまりの豪邸に圧倒され、後ずさりそうになる気持ちをぐっとこらえ、一歩前に足を踏み出す。
長い庭を抜けると、ドアの前に新が立っていた。合流して二人で扉を開ける。迎えに来るものは誰もいなかった。お手伝いさんがそこらで掃除などをしているが、新達が来ても挨拶する様子もない。こんな環境で新が何年も過ごしていたと考えると、胸が苦しい。
新に案内されて、ある一室に入ると、広い部屋の真ん中の、高そうなソファに座っている一人の女性がこちらを向いた。見た目だけで言えば、二十代後半といったところだろうか。美しい顔立ちに、すらっとした身体。全身高そうな服とアクセサリーを身にまとっている。彼女のそばにはメイド服を着た女性が一人立っている。気弱そうな女性で、彼女におびえているように見える。部屋に男の姿はない。あらかじめ新から、父は同席できなそうだと伝えられていた。
「初めまして、椎名奈月と申します。お時間いただき感謝します」
なるべく丁寧な言葉で頭を下げた。すると、彼女は足を組んで大きくため息をついた。
「はあ、本当に。私は忙しいの、なんであんた達なんかのために時間を使わなきゃならないのよ。そもそも私はこの子の母親じゃないし」
「血は繋がっていなくても、戸籍上は親子です。だから、今日はお話があって来ました」
「そう、話なら早くしてくれる?」
新と奈月を立たせたまま、自分はティーカップを持ち上げてお茶を楽しんでいる。
「分かりました。単刀直入に、新さんは私と結婚します。そして、新さんはこの家から出ます。話したいことは以上です」
「なあにそんなこと? 勝手にして頂戴。くだらないわ」
「じゃあ、婚姻届けを郵送すると思うのでサインをお願いします。ではこれで失礼します。もう二度と会うことはないでしょう、さようなら」
「はいはい、さようなら~」
「……あなたみたいな人が新さんと血が繋がっていなくて本当に良かったです」
感情的にならないように、笑顔で嫌味を言った。どうせもう会うことはないのだ。だから最後くらい、言いたいことを言ってやろうと思った。
「は、はあ!? あんた何様よ!」
奈月の言葉にかっとなって、何か叫んでいるのを背中で聞きながら、新の手を引いて部屋を出た。
庭を歩きながら奈月は怒りが収まらなかった。本当は言いたいことの一割も言えていない。話したのはほんの少しなのに、こんなにも殺意を覚えさせた彼女はある意味すごい。
「むかつくむかつくむかつく!」
新の手を引きながら、奈月は叫ぶ。
「な、奈月ちゃんっ」
新が立ち止まったので、奈月は振り返る。新と目が合う前に、奈月はある人物と目が合った。彼は育ちのよさそうな服装で立っていて、走ってきたのか息が上がっている。
奈月の視線をなぞって新も後ろを向く。二人と目が合ったその少年は、あわあわし出した。そんな彼に奈月が近づく。男の子と目線を合わせてほほ笑む。
「初めまして、こんにちは。椎名奈月です」
「あ、えっと、夏目…
「彼方くん。どうしたの?何か用事?」
「………あの、兄さんはこの家から出ていくのですか?」
自分の服の胸のあたりをギュッと掴んで、新を見上げた。新はしゃがんで言いづらそうにしている。
「うん、俺はこのお姉さんと結婚するんだ」
新の口からはっきりと聞こえたその言葉に、思わず口角があがる。彼方はそれを聞いて、俯いた。奈月が思っていた兄弟のイメージと少し違うと思った。
(もしかしたら彼方くんは…)
「僕、兄さんのこと尊敬しています。これからも、兄さんのような人になりたいと思ってます。僕は、兄さんが苦しんでいても何もできなかったけど………応援、しています。お体には気を付けて、お元気で」
年不相応な言葉とは裏腹に、彼方の目には涙が浮かんでいる。言い終わった彼方は振り返って、家の方に走っていった。その後ろ姿が見えなくなるまで新は見つめていた。
「彼方くん、いい子だね。あの人から生まれたとは思えない(笑)」
「ふふ(笑)。そうだね」
そして新は真面目な顔になり、奈月の前で膝をついた。
「椎名奈月さん、俺と結婚してください」
覚悟を決めたような目で奈月を見上げた新の手を、私は迷うことなくとってそのまま抱きしめた。
「俺、父さんとちゃんと話してみる。さっきも奈月ちゃんに話させちゃったし、自分の中でちゃんとけじめをつけたいんだ。あと、彼方のことも……」
「うん、応援してる」
「それと奈月ちゃんの家にも挨拶に行かないと」
後日、新は奈月の家に挨拶に来た。両親は快く受け入れ、新は感極まって泣いていた。新を家に呼ぶのは初めてではないが、内容が内容なので、新の緊張は頂点に達していた。ただ、奈月の両親の性格のおかげで、夜ご飯になる頃には、すっかりいつも通りになっていた。
またまた別の日、新はアポイントを取って、父親に会いに行った。奈月もついていきたかったが、新がそれを拒んだのでその日は一日家で新のことを考え、祈っていた。翌日新から電話があった。和解までとはいかずとも、久しぶりにちゃんと父と話すことができたと、声色から嬉しそうなのが分かった。そして、結婚すること、家から出ること、会社を継ぐ能力がないことを謝り、今までの感謝を述べたという。父は新の話を最後まで黙って聞いた後、「幸せになれ」と一言言ったそうだ。また、今度奈月を連れて三人でご飯に行きたいとも言ったらしい。父なりに新のことを考えていたのかもしれない。新の声は弾んでいて、奈月も嬉しかった。
彼方とは打ち解けられたらしい。母に見つからないように目を盗むのは大変だったみたいだが、新と会えて彼方も嬉しかっただろう。「結婚式に行きたい」と彼方が言っていた、と新が楽しそうに話してくれた。
それから奈月は受験勉強、新は就職活動に励み、あっという間に時間が過ぎていった。お互い希望通りの進路に決まったときは、飛び跳ねて喜んだ。
春休みに入るとすぐに新が引っ越してきて、二人は籍を入れた。新は今まで貯めていたというお小遣いを使って、指輪を買ってくれた。いらないと言っても内緒で買ってきて、無理やりつけられた。そして、もっと稼げるようになったらちゃんとしたのを買うと意気込んでいた。奈月は指にはめられたそれを見て、静かにほほ笑んだ。
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