中学時代
5
樹が引っ越してから、悠佑は一つ目標を決めた。それは、樹以外に友達を作ること。いつまでも樹だけを頼りにしている情けない自分じゃいられない。次、樹と再会したとき、胸を張って友達を紹介できるような強い自分になりたいと思った。
固い決意を胸に中学校の制服に袖を通す。今日は中学の入学式だ。地元の中学に進学したので、近くのいくつかの小学校の人達が集まる。同じ小学校の人ももちろんいるけれど、悠佑は違う小学校の人と友達になれればいいと思っていた。
同じクラスには、何人か同じ小学校の人がいたが、その中に夏目の姿はない。クラス発表の時に一番に名前を確認して、違うクラスだったことにとりあえず一安心する。夏目とそれを取り巻く人たちとは同じクラスにはならなかった。それでも教室内では同じ小学校の人達同士で話している人が多く見え、さっそく悠佑は決意が揺らぎそうになる。何とか自分を誇示して、とりあえず一人で座っていた前の席の男子に話しかけた。
「あの、初めまして。槙谷悠佑です」
「おう! よろしく~小学校は違ったよな?」
振り向いた男子は気さくに話を返してくれたので安心した。それから二人で雑談をしていると、クラスの外から、大きな話し声と笑い声が聞こえてきた。
悠佑はその声に聞き覚えがあった。悠佑の身体が強張り、自然と息が上がる。繊細に苦い記憶がよみがえってくる。その様子を見た前の席の男子は「どうした?」と心配してくれている。悠佑はとっさに席を立ち、その場から逃げ出そうとしたが、もう遅かった。
「おお、悠佑いるじゃん(笑)」
「おいおい、早速男引っかけようとしてんのか~?」
悠佑のクラスの扉の前で夏目の、その友人たちがクラス全体に聞こえるように言った。
(やめて…)
悠佑は絶望的な気持ちになる。それぞれで盛り上がっていたクラスメイト達も、夏目達の声に反応して、クラス内は静まり返った。しんとした空気の中で夏目が口を開く。
「悠佑の前の席の人、気をつけろよ~。そいつ男が好きなんだぜ」
「あんまり仲良くすると好かれちまうぞ(笑)」
あの時の樹の言葉は何一つ夏目には届いていなかったのか。悠佑は悔しい気持ちと呆れた気持ちで胸がいっぱいになる。
「ちがっ」
悠佑が否定しようと伸ばした手に、前の席の男子はびくっと体を震わせ、大げさなくらい身体をのけぞらせた。その様子を見て夏目達は面白そうに笑っている。クラスの空気は先ほどまでとはうって変わり、緊張感が漂う。小学校の時と同じ空気を感じた。
(ああ、もうダメだ。夏目君たちがいる限り、友達なんて作れないんだ、やっぱり樹がいないと…)
これ以上その場にいると、泣きだしそうで、いたたまれない気持ちになって、クラスを飛び出した。逃げる悠佑の背中に
「逃げられると思うなよ」
という言葉が降りかかった。
悠佑は行く当てもなく校舎を歩いたのち、とりあえず具合が悪くなったことにして保健室に行くことにした。保健室に入ると消毒液の匂いが鼻をくすぐった。保健の先生と話し、少しの間ベッドで横になることにした。
早くも折れてしまいそうな悠佑の心を慰めてくれる彼はもういない。これからは本当に独りぼっちだ。悠佑は怖くて寂しくて、先生にばれないように布団をかぶり、声を押し殺しながら泣いた。
気づいたら、ベッドにオレンジ色の光が差し込んでいて、慌てて起き上がる。目のあたりが乾燥してしばしばしている。いつの間にか泣きつかれて寝てしまっていたらしい。起き上がった悠佑に保健の先生が気づき、声をかける。親を呼んだからその場で少し待っていてと言われ、悠佑の心は罪悪感で埋め尽くされる。本当は具合なんて悪くなかったのに、こんな時間までベッドで寝て、親を呼び出して先生にも迷惑をかけてしまった。入学早々最悪の気分だった。
しばらくして母が保健室に入ってきた。入学式の時の恰好から着替え、軽装になった母は、保健の先生と少し話をして悠佑の荷物(寝ている間に担任が届けてくれた)を受け取り、一緒に保健室を出た。「朝は元気そうだったのにね」という帰り際の母の言葉に悠佑は何も返すことが出来なかった。
次の日の朝、悠佑は学校に行きたくなかった。でも親に心配をかけるわけにはいかないし、ずっと学校を休むというわけにはいかない。作り笑顔で家を出て、重い足取りで学校に向かう。通学路で同じ制服の人達が皆、悠佑を見ている気がして、顔を上げることが出来なかった。下駄箱から教室に近づくにつれ、足取りはさらに重くなっていく。廊下にいる人たちは悠佑を見てこそこそと何かを言っている。恐る恐る教室の扉に手をかけ、ゆっくりと開ける。クラス中の会話がぴたりとやみ、一斉に悠佑に視線が集まる。昨日話した男子は隅の方で他の男子と固まって話をしていて、悠佑を見るなりぱっと視線をそらした。しかし、静かになったクラスはまた次第に騒がしくなり、悠佑への視線も徐々に減った。それでも悠佑は、自分の話をされている気がして、自分の席に荷物を置くなり、教室を飛び出した。
どこか、自分一人の心安らげる場所を見つけようと、外に出る。下駄箱の裏に回ると、一面土で、ところどころ雑草の生えた中庭を見つけた。人はいなくじめじめしている。校舎沿いには細長いコンクリートが埋められていて、ちょうど腰を掛けてもよさそうな場所だった。
なるべく奥の方に行ってコンクリートに腰を掛ける。辺りは静まり返り、そよそよと涼しい風が悠佑の肌に触れ、次第に落ち着いていく。これからはなるべくここで過ごそう。目標は達成できないかもしれないけれど、自分を守ることが一番だと樹も言ってくれる気がした。今日は万が一に備えて大分早く学校についてしまっていたので、まだ時間が余っている。予鈴が鳴るまでここにいようと思った。悠佑は何も考えずにぼーっとする。何もないところだけど逆に落ち着いた。それに土を見ると、樹と仲良くなったきっかけのあの日を思い出す。
(樹に…会いたいな)
一人でいるとすぐに樹のことを考えてしまうのが難点だ。悠佑は頭をぶんぶんと振って別のことを考えようとする。今日の朝の家族との会話を思い出していると、中庭の入口の方から足音が近づいてくるのが聞こえた。悠佑は慌てて立ち上がるが、奥は行き止まりでどこにも逃げようがない。先生か、先輩か、もしかしたら夏目達が悠佑を探し回っているのかもしれない。心臓がうるさく跳ねている。どうしようもなく、ただ入口を見つめていると、足音が止まると同時に一つの影が姿を現した。
髪は二つ低い位置で三つ編みをしていて、胸のあたりまで伸びている。黒縁の眼鏡の奥は丸い瞳が輝いていて、全体的に顔が整っているのに、眼鏡と三つ編みで少し地味な女の子という印象を受ける。悠佑は見覚えのないその女の子をまじまじと見つめる。先輩なのか、同級生なのかも分からない。昨日入学式を終えたばかりで、同じクラスの人の顔と名前すらも一致していない状態だ。
「あ…」
と女の子が声を出す。
悠佑は自分から声をかけるのは迷惑かもしれないと、視線を泳がした。悠佑を見てすぐに逃げ出していくだろうと思っていたが、女の子は悠佑の顔を見つめたまま、しばらくその場を動こうとしなかった。
そして、女の子が再び口を開いた。
「あの私、
分からなかった。もちろん彼女が同じクラスなことも知らなかったが、それよりも同じクラスなのに悠佑に話しかけた意図が分からなかった。
悠佑が考え事をしていると、
「隣、座ってもいいかな」
と、奈月が言った。
「やめっ」
咄嗟に悠佑は拒絶の言葉を口にした。奈月は座ろうとおろした腰をピタッと止めて、悠佑の方を見た。
「…昨日の、聞いたでしょ。同じクラスなら尚更、僕なんかと一緒にいない方がいいよ」
悠佑はまだ理解できない頭で言葉を紡ぎだす。こうしている間にもどこで誰が見ているか、分からない。
「どうして?」
止めていた腰をおろし、悠佑の隣に座った奈月は心底不思議そうな顔で尋ねた。悠佑が少しだけ身体を横にずらすが、奈月もそれに合わせてこちらに近づくので、結局同じ距離感になる。
「いや、だから、昨日の話、聞いてなかったの?」
「槙谷くんが、男が好きって話?」
直球で言われたその言葉に悠佑はびくっとなる。奈月は昨日の話を聞いたうえで悠佑に話しかけた、ということだ。ますます訳が分からない。
「えっと、そういうことだから」
いたたまれなくなって、その場から離れようとした悠佑の腕を奈月がつかむ。
「ねえ、悠佑くんって呼んでもいい?」
奈月は、何の脈絡もなく、突拍子なことを言い出した。その感じが少し樹に似ていると、悠佑は思った。
「は…?」
本当に彼女の意図が理解できなかった。
「どういうこと?」
思わず奈月に問いかけた。
「? 私、悠佑くんと友達になりたいんだけど」
奈月はケロッとした顔で、悠佑を見上げる。
「だからっ! 僕なんかと友達にならない方がいいんだよ!」
少し強い口調で返事をした。僕と友達になるということがどういうことを意味するのか、分かっているのだろうか。誰かを傷つけるくらいなら友達なんかいらないとすら思った。
「それはつまり、悠佑くんは私と友達になるのは嫌ってこと?」
「ちがっ」
奈月の返答に、頭で考える前に口に出した否定の言葉。悠佑も本当は友達が欲しい。誰かと一緒にいたい。でもそれだとまた同じことを繰り返すかもしれない。悠佑は怖かった。
「じゃあいいじゃん。私のことは奈月って呼んでよ!」
人の話を聞いているのかいないのかよく分からないけれど、悠佑が拒否してもなんだかいつまでもついてくるような気がして、結局折れることにした。と言っても初めてできた中学の友達に悠佑はドキドキが止まらなかった。
奈月は中学進学と同時にこのあたりに引っ越してきて、知り合いが一人もいなかったらしい。だからって、悠佑に話しかけるなんてメンタルもコミュ力もすごすぎて、誰とでも仲良くなれそうだと思ったけれど、引っ越す前に友達とけんかしてしばらく独りぼっちだったと話してくれた。少し境遇が似ている僕らは、とても話のウマが合い、すぐに距離が縮まった。
教室でも遠慮なく話しかけてくる奈月に戸惑いながらも、悠佑は楽しい学校生活を送っていた。クラスの人達も、最初は二人に注目していたが、次第に興味が薄れていったのか、空気のような扱いになっていった。
奈月はあれ以来、悠佑の噂について言及することもなく、自分から悠佑の過去を深堀してくることもなかった。奈月の隣は居心地が良かった。
奈月の性格は見た目とは裏腹でとてもサバサバしている。思ったことははっきり言うし、ぐいぐい来ることもあるけれど、どこか一線を引いているような感じが絶妙で、そこが彼女の長所だと思う。悠佑には奈月しか友達がいなかったし、奈月にも悠佑以外友達を作る気配はなかった。
それを夏目達はよく思わなかったらしく、悠佑が一人の時を狙って、言葉で殴ってきたり、奈月といるときもお構いなく冷やかしてきた。直接ものを隠されたり、暴力をふるったりすることがなかったのが救いだ。しかも奈月は何を言われてもケロッとしていて、清々しいほどに堂々としていた。
そんなこんなで一年間を過ごし、二年でも悠佑たちは同じクラスになった。奇跡的なのか、先生たちのおかげか、夏目達と同じクラスにはならなかった。周りの悠佑への態度は相変わらずだけれど、悠佑と奈月がいつも一緒にいるので、男好きなのは嘘で奈月と付き合っているんじゃないかと話しているのを盗み聞きしてしまったことがある。誤解を解こうか迷ったけれど、それを奈月に話すと、「逆にちょうどいいじゃん、言わせとこ~」と言ったので笑ってしまった。悠佑は奈月に対して心を開き、すっかり信頼していた。この区切りに、悠佑は奈月に今までのことを全て話そうと決めた。
ある日の放課後、二人が初めて話した中庭に奈月を連れていく。コンクリートに腰をおろし、奈月の方を見る。奈月も何かを感じ取ったようで真剣な顔で悠佑を見つめた。少しの間、二人に沈黙が流れる。自分のことを話すのは緊張するけれど、意を決してこれまでのことを順に、ありのまま、説明した。奈月は途中相槌を打ちながら、悠佑が話に詰まっても、急かしたりせず、真面目な顔で悠佑の話に耳を傾けた。全部を話し終え、悠佑が顔を上げると、奈月の目からポロポロと涙がこぼれているのに気付いた。奈月の顔を見るのが怖くて下を向いていたせいで全く気づけなかった自分が情けない。
「ごめん…」
泣かせてしまった罪悪感で悠佑の口から謝罪の言葉が出る。すぐに謝ってしまう癖を直したいのに、気づいた時には謝ってしまっている。
「違う、違うよ。なんで悠佑くんが謝るの?」
奈月は涙でぐしゃぐしゃになった顔を手で覆いながら言った。
「人を好きになるって素敵なことだよ、悠佑くんは何も悪くない」
鼻声になりながらもきっぱり言い切ったその言葉に悠佑は目の奥が熱くなった。樹の時みたいだ。自分のために泣いてくれるのがすごく嬉しい。樹も奈月も悠佑自身を否定しないで受け入れてくれた。そして、昔、樹が言っていた言葉を思い出し、奈月に向かって口を開く。
「ありがとう」
「うん、こちらこそ話しづらいこと、話してくれてありがとう。…でも恥ずかしいからこっち見ないで!!」
奈月の顔を覗き込んだ悠佑に気づいて、奈月が再び両手で顔を覆う。それが何だかおかしくて悠佑は笑みがこぼれた。いつもと立場が逆だと思った。悠佑の笑った顔を見て奈月は頬を膨らませた後、プッと吹き出して二人で声を上げて笑った。
「この話って、家族にはし…てないよね?」
泣き笑って、気持ちが落ち着いた奈月が悠佑に問いかけた。こんな言い方をしているのは、以前奈月を家に連れてきた時、母が彼女かと騒いでいたからだろう。母は奈月のことをひどく気に入り、しょっちゅう「家に連れてきなさい」と言われる。
「うん、言えてない。そもそも僕は樹が初恋だし、樹だから好きになったわけで、男が好きかって言われても分からないんだよね。だから、なんて説明すればいいのか…」
言い訳のように言葉を並べる。本当は打ち明けるのが怖いだけだ。母は、悠佑は女の子が好きだと思っているし、今更言い出しにくい。
「うーん、なるほど」
樹にもできなかった話を、奈月になら、すらすら話せる。こんなに自分のことを誰かに話したのは初めてだ。そう伝えると、奈月は「やったー!」とピースしていた。
「
美奈というのは、現在高校三年生の悠佑の姉のことだ。奈月が家に来た時はいなかったので、存在だけ知っているという程度だ。しかし、美奈と悠佑の姉弟仲が良く、普段から姉を含め、家族の話を奈月にしていたので、奈月は槙谷家の知識が増えていた。
「言ってない。でも確かに姉さんになら言えるかも」
悠佑は体育座りした足を腕で引き寄せ、足の間に顎をうずめる。
「言い出しにくいことだったら言わなくていいと思う、家族だし尚更。話だけなら私もいつでも、いくらでも聞ける。でも悠佑くんの今までの話を聞いてると、美奈さんは偏見とかなく悠佑くんの話を聞いてくれると思ったんだ」
確かにそうだ。美奈はさらっとしていても人情に厚く、家族思いだ。悠佑のことも大事に思ってくれている。最近は家に帰ってくることが少なく、帰ってきても夜遅くか朝早くのことが多くなってしまったけれど、家にいるときは悠佑の話に耳を傾け、楽しそうに聞いてくれる。
「余計なこと言ったかも。会ったことないのに偉そうにごめん」
黙り込んだ悠佑を見て不安になったのだろう。奈月は眉を下げて心配そうに悠佑を見ている。今まで奈月がこんな形の意見を言うことはなかったのでよっぽどなのかもしれない。いつかは話さなくてはいけないことだろうし、はじめに美奈に話すのはいい案だと思った。
「ううん。ありがとう、早速今日話してみたいと思う。会えたらだけど」
そう言って笑った悠佑の顔を見て、心底安心したように息をついた奈月は上を見上げて空を仰いだ。悠佑も同じように空を見上げる。大分話したのですっかり日は傾き、オレンジと紫がかった空がグラデーションみたいになって、綺麗だった。いつの間にか、騒がしかった中庭の向こうも、人がいなくなっていて、静かだった。少しだけ風が冷たく肌寒くなってきたので解散することにした。奈月と途中まで一緒に帰った後、一人で家路を歩く。一人になった瞬間、急に緊張感が高まってくる。大丈夫だと思っても、打ち明けるときは心臓がバクバクだし、美奈が家にいないことで話すのを延期することまで祈ってしまう。
玄関のドアを今までにないくらいゆっくり開けて、覗き込む。まだ姉がいるかどうか分からない。静かにドアを閉め「ただいま~」と言おうとした悠佑の声を母の怒号がかき消した。
「いい加減にしなさい!」
悠佑は自分に言われたみたいに身体が縮み上がる。そそくさとリビングの前まで行き、そっと中を覗き込むと母の前に立つ制服姿の美奈がいた。
(帰ってきてた)
話すことが確定した緊張感と、それどころじゃない空気感が混ざり合う。そんなことを考えていると、パシっという音が鳴り響いた。びっくりしてもう一度リビングを覗くと、美奈を叩く母の姿があった。助けたほうがいいのか、どうすればいいか、その場であたふたする。
母の怒る理由は分かっている。最近、美奈の夜遊びがひどいのである。中学の時は真面目で成績優秀、スポーツ万能な完璧な姉だった。両親も悠佑も、そんな美奈を自慢げに思っていた。しかし、高校に入ってだんだんと家に帰ることが減っていった。毎日違う人と遊び、朝帰りをすることが増えていった。母も父も何度も美奈に注意をしたが、態度を改めるどころかどんどんひどくなり、険悪になっていった。かといって、両親に反抗したり、口喧嘩をしている様子はないし、悠佑に対する態度は今まで通りだったため、悠佑は変わらず美奈のことが好きだったし、慕っていた。
リビングから再び母の声が聞こえてくる。どうやら近所の人から「また別の男と歩いていた」などということを、馬鹿にしながら話され、頭に来たらしい。「私が恥ずかしい」「いつも変な時間に帰ってきて」などと叫んでいるが、美奈の反論する声は聞こえてこない。
話を聞く限り、母は美奈の心配より、自分の近所からの評判の方を気にしているみたいだった。「どこに行くの!?」という母の叫び声と共に、足音がリビングのドアに近づいてくる。
ドアを開けた美奈が悠佑に気づいて目を開いた後、「おかえり」とだけ言ってほほ笑んだ。悠佑は「ただいま」とつぶやきながら、美奈の顔を見る。遊んでいるという割には、どこか晴れない表情で、母に怒られていたからなのか、疲れ切ったようなやり切れない顔をしていた。
悠佑が声をかけるよりも先に美奈は階段を上がり、部屋に入っていった。その後、リビングから出てきた母が買い物バックを片手に、悠佑に「おかえり、買い物行ってくるね」と言って玄関から出ていった。
悠佑は、洗面所で手を洗った後、階段を上り、自分の部屋に入ってベッドの上に荷物を放り出した。悩んだけれど、今のうちに美奈に話した方がいいだろうと決意し、一度深呼吸をしてから部屋を出て、決意が揺らぐ前にすぐ隣の部屋の扉をノックした。少しした後、部屋の扉が開き、美奈が顔を出す。
「悠佑、どうしたの?」
美奈が大げさなくらい明るく声をかける。美奈の顔には笑顔が張り付いており、悠佑に心配をかけないようにしているのが分かった。悠佑がどう切り出せばいいのか迷っていると、
「とりあえず、入りなよ」
と、部屋に入るように促してくれた。それに従って、美奈の部屋に足を踏み入れる。美奈の部屋はとてもシンプルで、必要最低限のものしか置かれていない。間取りや大きさは悠佑と同じはずなのに、物が多い悠佑の部屋と比べると、とても広く感じた。部屋の壁には幼い頃悠佑が美奈にプレゼントした、悠佑と美奈の絵が貼られている。恥ずかしいのではがしてほしいのだが、美奈は気に入ってくれているようで、はがす気配がない。
「ごめんね~さっき嫌なところ見せちゃって」
話し出さない悠佑を見かねたのか、美奈が声をかける。
「謝るくらいなら、もうそういうことやめたらいいのに」
少し突き放すような口調になってしまったことを、言ってから後悔した。美奈がどうして夜遊びをしているのか分からないけれど、もっと自分のことを大事にしてほしかっただけだ。悠佑も美奈と同じくらい姉のことを大切に思っているし、相談できることがあればしてほしい。それを伝えたかったのに、だいぶ端折って言ってしまった。
「…そうだね」
と言った美奈はとても寂しそうな、悲しそうな表情をしていた。が、すぐに表情を切り替えて笑顔に戻り、
「それで、どしたの? 何か話したいことがあるんでしょ?」
と言った。
話題を変えた美奈はこれ以上深堀しないでと言っているようで、もっと色々言おうと思っていた悠佑だったが、美奈の表情を見たら、何も言うことが出来なかった。それに悠佑の話を聞いてもらうにも今は絶好のチャンスだ。こんな状態でと思いながらも、悠佑は意を決してこれまで起こったことの話を始めた。
まず、小学校のことを話した時、美奈の表情は見る見るうちに曇っていき、
「なんで人を好きになっただけでここまで言われるの?」
と泣きながら怒ってくれた。樹や奈月と同じように。悠佑が樹を好きだと言った時、一瞬美奈の顔が固まったように見えたけれど、すぐに真剣な顔に戻ったので気のせいだと思うことにした。
そしてすべてを話し終えた時、
「今まで、全然気づいてあげられなくてごめんね。頑張ったね」
と言って、悠佑を抱きしめてくれた。悠佑と樹はお互いの家によく行っていたので、もちろん美奈も樹のことを知っている。美奈は悠佑の恋を応援したいと言ってくれた。悠佑は自分と樹がどうにかなるなんて考えたこともなかったが、美奈に言われてから少しずつ自分自身の気持ちの変化を感じていた。
「でもお母さんにこのことを話すのはもう少し後の方がいいかもね」
と続けた美奈は自分が先ほど母に叩かれた頬を指さして笑った。
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