8 ー羞恥ー

「奥様があんなに子供の扱いがうまいとは思いませんでした」

 執事のモーリスは感心したように口にした。


「子供の相手をする機会などないはずなんだが」


 クラウディオは不思議に思う。アロイスが産まれてから一度も会いに行ったことはなく、アロイスの相手をしたのは今回が初めてだ。

 人形であやしているのも驚いたが、子供と追い掛けっこをして楽しむ様子にはさらに驚かされた。


 庭園でアロイスとなにかをしているのを見掛けて、念のためと様子を見に行ったが、アロイス相手にヒステリックになることもなく笑顔で対応していた。


 普段のセレスティーヌならば自分で動くことなく傍観していそうなのに。


(セレスティーヌの興味は私の気を引くことばかりで、それ以外に率先して行動するのを見たことがないからな)


 今回も自分の気を引くために、子供の相手をしているのだと思っていた。

 普段は虚ろな雰囲気で、どこを視界に入れているのか分からなかった。クラウディオを認識した途端に動き出す、魔法を掛けられた人形のようだった。


 それがどうだろう。やけに生き生きとしている姿が、まるで別人のようだ。


「人が変わったみたいだな」

「吹っ切れたのではないですか? 旦那様に会いに来ることもなくなりましたし」


 確かに会うことがなくなった。こちらはセレスティーヌが姿を見せない分、不気味さを感じていたのだが。


「私に言い返すのも、初めてだったな」


 クラウディオが話を早く終わらせようと会話を進めているのもあるが、セレスティーヌが反論することはない。すがってくる時に言い訳がましく話すことはあったが、はっきりと意見を否定してくることはなかった。


「あんなに毅然とした態度は、初めて見た」

「姉君のお子様を預かっている身として、しっかりと考えを持たれたのではないでしょうか。責任を持ってお子様に向き合っていらっしゃるのでは?」

「そういった気遣いをするんだな。子を持ったことなどないのに」


 自分のことしか考えていなそうだが、子供には気を遣う精神は持っているようだ。

 クラウディオがそう思っていると、モーリスがコホン、とわざとらしく咳払いをする。


「旦那様、今の発言は奥様の前ではおやめください」

「なにをだ?」

 なんのことだろうか。純粋に分からず問うと、モーリスは若干表情を曇らせた。


「セレスティーヌ様がご自分の奥様だということをお忘れですか? 奥様にお子ができるわけがないのに、さすがに無神経ですよ」


 モーリスの注意に、クラウディオはカッと赤面する。

 セレスティーヌと夜を共にしたこともないのに、子を持ったことなどないと言うのは、彼女を侮辱したのも同然だった。


「セレスティーヌ様を避けることについて私は止めません。セレスティーヌ様やセレスティーヌ様のお父上の所業は卑怯だと思っているからです。ですが、最低限の礼儀はわきまえるべきであると存じます」


 モーリスの言葉にクラウディオは深い羞恥を感じた。





 セレスティーヌと寝室を共にしたことはない。


 彼女と結婚をする前に、部屋や寝室すべてが別で、共にすることは一生ないだろうと伝えていたからだ。

 彼女はその言葉を聞いた時、震えながらも口元をひくつかせ、薄笑いをしていた。すぐになにかを言い返してくるかと思ったが、なにを言うこともなく、ただ静かに頷いた。


 言いたいことがあれば、言えばいいものを。


 だが、これに関しては意思を変えるつもりはない。子供ができればセレスティーヌの父親は必ず口を出し公爵家に関わろうとするだろうし、セレスティーヌは子供を使ってなにかをしてくるだろう。

 たとえ結婚しても、積極的にセレスティーヌに関わる気はない。それを結婚前に伝えたが、セレスティーヌは結婚を諦める真似はしなかった。


(父親に許しをもらえなかったのかもしれないが)


 借金返済に苦しむこちらの足元を見て、セレスティーヌの父親はセレスティーヌを公爵家に嫁がせた。セレスティーヌは喜んで嫁いできたようだが、自分には理解できないでいる。


(相手になどしたことがないからな)


 結婚してからもずっと相手にしていない。こちらの気を引くためにわざと問題を起こすため、ほとほとうんざりしていた。

 それが突然、顔を合わせることもなくなった。


 計画だと言われれば納得する。あのセレスティーヌが堂々とした態度で意見を言い返してきたのだから。

 だが……。


「あれが演技だとは思えなかったな」


 クラウディオはそんなことを考えながら庭園に出ていた。もともと外に出て考え事をするのが好きなのだが、セレスティーヌが現れるため部屋にこもることが増えていた。

 セレスティーヌがいないと思えば警戒せずに庭園をまわれる。もう夕闇が空を包む時間だ。この時間にセレスティーヌは外に出ない。アロイスと食事を一緒にするからだ。


 しかし、クラウディオははたと気付いた。先ほどセレスティーヌが言い返してきた場所にいつの間にか足を向けていたようだ。


「いや、セレスティーヌが気になったわけではない。猫が気になって」


 そんなことを口にしながら、先ほどの猫がいないか周囲を見回す。

 大体、どうして庭園に野良猫がいるのか。モーリスに言って駆除させた方がいいだろうか。


「アロイスになにかあったら困ると言っていたし」

 そう呟いて、再びはっとする。

「別に、セレスティーヌに言われて気になったわけでは」


 誰に説明するでもなく呟いて、クラウディオは一人で首を振る。そうしてすぐにため息をついて灯りのある場所に移動した。屋根のあるベンチがあるので、そちらで頭を冷やしたい。

 すると、ぴゃー。という鳴き声が聞こえた。


「こんなところにいたのか」


 先ほどと同じ、母親猫と子猫が集まっている。寒くなってきたので風除けにベンチの下で休んでいるのだろう。

 子猫たちがクラウディオに気付くと、足元に集まってきた。


「な、なんだ」


 クラウディオの手のひらの中に入ってしまうほどの小さな猫たちだが、足によじ登ろうとしてきたり、ズボンを引っ掻いたりしてくる。母猫は威嚇してくるが、子猫たちは気にしないようだ。


 これは確かに危ないのかもしれない。アロイスが引っ掻かれて病気にでもなったら大変だ。

 公爵邸の庭園で猫が勝手に子を産んでいたのだ。さっさと駆除すれば良い。それが一番適当で、無駄のないことだろう。


 そう思ったが、ベンチの下の奥の方に水や餌、毛布が敷かれているのが見えた。セレスティーヌが命令したのか、誰かが行ったのか、猫たちの世話をしているようだ。

 毛布は新しいのでセレスティーヌだろうか。


「いや、そんな真似をするような人じゃない」


 だが、アロイスはこの猫たちを見て喜んでいたし、セレスティーヌも穏やかな顔をして眺めていた。それに、セレスティーヌは猫たちから少し離れて見守りながら、アロイスに病気がなければ触れるかしら、と乳母に聞いていたのも気になる。


 反復して考えて、クラウディオは髪の毛をくしゃりと掻き上げた。

「~~~~~っ。どうかしている」


 そう言いながら首を振りうろうろするクラウディオを、猫たちが首を傾げながら見つめていた。

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