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「研司様は本当に優しい方です。両親を亡くした私のために家に住み込みのメイドさんまで雇ってくださり、おかげで私は何の不自由もなく生活することができました。本当に研司様には感謝の言葉しかないほどです」
「……」
「心霊島の存在を知ったのは中学生のとき。美和さんから、研司様は普段心霊島の浮蓮館にいると聞いて、中学卒業後はそこでメイドとして働くことを決めました。もちろん、研司様からは何度も反対されましたが、そのときにはもう私は今までの恩を返すためにも一生浮蓮館で働くことを決めていましたから」
笑って言って、千花さんはおもむろにカップを手に取った。その仕草につられて、わたしもその気もないのにカップを掴む。軽くカップに唇を当てると、菘が咳を払った。
真面目な顔で言い放つ。
「千花さんはずっとこの島にいるつもりなんですか? 出たくはないんですか?」
聞きようによっては十分に鼻につく言葉。思わずわたしが「どういう意味よ」と訊くと、菘は「何となくです」とわたしを見た。
菘は裏表のない素直な性格をしている。だから菘の表明が「何となく」なら、嘘偽りなく本当に「何となく」訊いたのだろう。
菘の質問に、千花さんは一瞬困ったような笑みを浮かべた。そして言おうか言うまいかを迷うような間を空けた後で、結局は言った。
「……出たくない。と言えばそれは嘘になります」
「けど、私は研司様に助けてもらって今までとてもよくしてもらったんです。もし研司様がいなかったら私は今頃どこで野垂れ死んでいたかもわからないんです。だから、そんな私には今更ここを出るなんて、そんな恩を仇で返すような真似は……できないんです……」
声は決して荒げず、それはまるで自分自身に言い聞かせているようだった。
一瞬間ができて、それから千花さんは静かに顔を上げた。
「でもいいんです、私は。この島も、研司様も、美和さんもみんな大好きですから。それに今の私は皆様に出会えてすごく幸せなんですよ。皆様私と同じ十八歳なのに仕事も生き方もこんなにも違うのかなって、そんな方たちと一緒にいられるのが夢のようなんです」
そう言って無邪気っぽく笑ってみせた千花さんはいつもより幼く、そしてどこかで強がっているように見えた。
けど、わたしも菘もそれには気付かぬ振りをした。
千花さんは三年もの時間をこの心霊島で過ごした。その事実がわたしにはあまりに残酷に思えたから。
ここ、心霊島には何もない。信号もコンビニも学校も何もかも。もちろん、それを良いと思う人も多くいる。現に研司さんはこの心霊島の都会にはない静かさを気に入っている。だから良いと思う人はいる。けど、千花さんは恩義だけでここにいる。この何もないところに三年も。世間とかけ離れてまで……。
菘が微笑む。
「ふふ、そうですか。千花さんに喜んでいただけたなら私も来てよかったです」
「ええ、わたしも来てよかったと思っているわ」
わたしと菘の言葉に千花さんは一度「ありがとうございます」と頭を下げ、気を取り直すかのように
手を口の横にして、
「ここだけの話……。研司様と美和さんには申し訳ないのですが、私、呉須都様が来たことにわくわくしているんです」
「わくわく?」
「はい! だってあの巨大な『絵』も、二〇〇キロの『象の黄金像』も盗んじゃう怪盗ですよ! それに私自身が一〇一号室に入る呉須都様を見ていないなんて、本物の幽霊みたいで不思議で面白いんです!」
楽しそうに話す千花さん。
「それにこの場には探偵の雉間様もいるじゃないですか。実は私、小さいときからずっと探偵に憧れていまして、一度でいいから探偵の助手を務めるのが私の夢なんです」
え、探偵?
わたしと菘は顔を見合わせた。
それじゃあ千花さんが雉間を見ていたのって、いわゆる憧れの眼差しだったの?
わたしは「だって怪盗といったら探偵ですもんね」と微笑む千花さんに割り込む形で言った。
「ちょっと持って。でも、なんで探偵に憧れを?」
すると千花さんはこれまで以上に幸せそうに答えた。
「実は私、ミステリー作家『ウカイ・ガハク』さんの大ファンなんです!」
途端、菘は飲んでいた紅茶を「ブーッ」と吹き出した。
お嬢様である菘にしては珍しい失態だが何てことはない。ミステリー作家『ウカイ・ガハク』は菘の父親なのだ。
菘は吹き出した紅茶をあせあせと拭いている。
「私、その方の小説に出てくる名探偵がすっごく大好きで……あ、知っていますか、ウカイ・ガハクさん。年齢不詳のミステリー作家でデビューしてから今までの作品、すべてがベストセラーなんですよ! すごくないですか?」
いつもの落ち着いた口調とは違い、前のめりで話す千花さん。実の娘を前にその父親の紹介をしていると思うとちょっと面白い光景ね。
「あっ、そうです! 私、今までのウカイさんの作品は全部持っているんですよ。よかったら今お持ちしましょうか?」
胸の前で手の平を合わせ嬉しそうに言う千花さんに、わたしと菘は揃って首を横に振った。菘はもちろん、わたしもウカイさんの作品は新作が出る度に菘のお父さんからいただいているのだ、
その後は千花さんのいかにウカイ先生の作品がすごいかを聞いて、わたしと菘は
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