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 浮蓮館の大浴場は常に開放されているらしく、それは心霊島にまだ金の鉱脈があった頃、金の採掘をする労働者がいつでも浴場を使えるようにと開放した、研蔵さんの心遣いの名残なごりだという。美和さんは「浴場の電気もすべて心霊島内の発電で賄っておりますので、どうぞ時間を気にせず好きなときに入ってください」って言っていたし、どうやらここへの招待が間違いであれ歓迎されているのは確かみたいね。


 浴場の入り口手前には、年季の入った手作りの卓球台の他、ちょっとした小休憩用のスペースが設けられていた。入り口で雉間と別れて帰りにそこで落ち合うことにする。


 綺麗に物が整頓されている女湯の脱衣所。女湯であるここを使うのは千花さんだけと聞いていたから綺麗にしているのは千花さんなのだろう。

 脱衣所で服を脱ぎ、竹籠の中へ。


 そして、いざ浴場へ。

 

 浴場に入ってみれば想像以上に湯船は広く、張られたお湯は綺麗に白く濁っていた。見るからにこの乳白色は温泉のお湯だ。ふと視線を上げると、浴場の壁には「肩こり」や「打ち身」などと几帳面に湯の効能が記されていた。


 わたしと菘は桶で湯をすくって、掛け湯をしてから湯船に入った。

 お湯の加減はちょうど良く、とっても快適。


「はぁ~、結衣お姉さまと広いお風呂。最高ですわぁ~」


 肩までお湯に浸かり、わたしにくっ付いてくる菘。せっかくの広いお風呂もこれじゃあゆっくりもできない。


「ちょっと菘、もう少し離れなさいよ」


「うふふっ、いやですよぉ~」


 強情にもわたしから離れようとしない菘。まったく、こんなところを誰かに見られては変な誤解を生み……――。


「――失礼します。あの、お湯加減の方は……」


 突然、メイド服姿の千花さんが風呂場に入って来た。


 千花さんはわたしと菘を見るなりすぐに、

「わ、わわわ、しっ、失礼しましたぁ!」

 と、取り留める隙もなく慌てた様子で出て行った。


「……」


 菘を睨む。


「ほら見なさいよ! 菘がいけないのよ!」


 そうわたしが言おうと、菘は「うふうふ」と微笑むだけで反省の色はゼロ。

 まったく、この子ったら……。


 そのとき、


「相変わらず仲が良いのね」


 湯煙に紛れて脱衣所の方から人影が現れた。

 菘が反応する。


「あ、カリンさん」


 声の主はカリンさん。いつもの三つ編みにした長い髪を解いていて少しだけ幼く見えた。


 ゆっくりと湯船に入る。


「それにしてもやるわね、風呂場でイチャつくなんて。千花さんったら顔真っ赤にしてたわよ」


 本人としては笑いを堪えているつもりなんだろうけど、十分にカリンさんの顔はにやついている。


「うふふ、私と結衣お嬢さまの間柄。いつもこれぐらい……」


 わたしは横で意味深に照れる菘を湯に沈めた。

 誤解を招く発言をするんじゃない!


 話を逸らす。


「ええっと、カリンさんも温泉ですか。いいですよね。日頃の疲れが取れますし!」


「日頃の疲れね……」


 力なく笑う。


「別に疲れるようなことなんて何もないんだよね」


「……」


 無気力に笑うカリンさんを見てわたしはなんとなく理解した。

 カリンさんが白石さんの前では一際明るく振る舞っていたことを。


 わたしが「すみません」と頭を下げると、

「そんな、いいの気にしないで」

 カリンさんは手を振った。


「悪いのは全部あたしだからさ。コウくんはさ、いっつも必死になって頑張ってくれるんだけどあたしには仕事ないんだよね。オーディションはいつも書類で落とされちゃうし、その度にコウくんは『まだデビューして一ヶ月なんだから気にすんな』って言うんだけど……。だけど本当はコウくん、もうとっくにうんざりしてるんじゃないかなって思うの」


「……」


 俯いたまま、手でお湯をすくう。


「あのね、実はコウくんって高校卒業後は大学に進学するつもりだったの、月和大学に。だけどあたしが芸能事務所に入るのが決まると『カリンについて行く』って、大学に行くの止めちゃって……。それがね、申しわけないの」


 カリンさんの声はいつの間にか消え入ってしまうほどに小さくなっていた。


「いつかあたしがこのまま仕事もなくてアイドルを辞めたとき、コウくんは後悔するのかな。カリンについて行くべきじゃなかった……。期待するんじゃなかった……。大学に行くべきだった……。って、そう思っちゃうのかな」


 カリンさんは悲しい顔をした。

 そして目に涙を浮かべた。


「嫌だな。嫌われちゃうのかな」


「…………」


 わたしと菘には黙って話を聞くことしかできなかった。それは何を言っても気休めにしかならないと知っていたから。カリンさんの葛藤にわたしたちが口を出したところで何にもならない。それに第一、カリンさんだってアドバイス欲しさにこの話をしたわけではない。今の自分の心のうちを聞いてもらいたかっただけで、それなのにあれこれと助言をするのはただのお節介だ。

 だからわたしと菘は何も言わないでいた。


 わたしと菘がしばらく黙っていると、カリンさんはめげてちゃダメとばかりに頭をぶんぶんと振った。本人は意識してないんだろうけど可愛い仕草だと思う。

 そして気を取り直すかのようにカリンさんは笑う。


「あっ、そうそう。ずっと気になってたんだけど雉間くんってさ、千花さんと知り合いなの?」


「え? 何でです?」


「あれ、じゃあ違うの?」


 少しだけ意外そうな顔をする。


「だって千花さん、昼食後雉間くんにだけコーヒーを勧めていたからてっきり知り合いなんだと……」


 あれ? そう言われれば確かに……。

 それに千花さん、雉間とよくいる気が……。


 うん。後で訊いてみよっと。

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