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 ◇ ◇ ◇


 ハンバーガー屋さんを出て、わたしは雉間荘へと帰る。ちゃっかり菘もついて来ているのは毎度のこと。気にしないわ。


 雉間荘の螺旋階段を上がり三階へ。

 三階に上がったわたしは三〇一号室の前でそっと聞き耳を立てた。


「……」


 何も聞こえない。いくら部屋が防音とはいえ雉間が伊賀の忍者でもない限り気配くらいはするはず……どうやら留守みたいね。


 わたしは後ろで「結衣お姉さま、何をしているんです?」と言ってきた菘に微笑んで、自室の三一二号室へ行き、鍵を挿した。鍵を開ける際もわたしに抜かりはない。念には念を入れて、キーをゆっくりと回すことで音を立てずに開錠する。


 よし! これなら誰も帰ったことに気付いてないわ!

 我ながら惚れ惚れとするようなデキに浮かれ気分で部屋の扉を開けると、


「結衣ちゃんおかえり。わあ、菘ちゃんも来たんだね」


 わたしの部屋には雉間がいた。


「……」


「あ、雉間さんこんにちは」


 菘はリアクションもなしに挨拶をしているけど……、


「何でわたしの部屋に居んのよーっ!」


 わたしは部屋でくつろぐ雉間に来客用のスリッパを投げつけた。


「わ、痛いよ結衣ちゃん」


 額を押さえる雉間。けど、わたしはそれどころじゃない。純情なる乙女の部屋に無断で立ち入るなんて信じられない!


「痛いじゃないわよ! ちょっとあんた、どうやってわたしの部屋に入ったのよ!」


「どうやってって、結衣ちゃんはおかしなことを言うね。合い鍵に決まってるじゃん。ぼくはこのアパートの大家なんだから」


 ああ、確かにそうね。……って、


「大家でもやって良いことと悪いことがあるでしょうが! ここはわたしの部屋なのよ! 今すぐ出て行けぇっ!」


 投げたスリッパのもう片方を振り被ったわたしに、雉間は手を前に出して制してきた。


「ストップストップ! 待ってよ結衣ちゃん! ぼくはただ今月分の家賃をもらいに来ただけなんだよ。だってほら、今日って五月二日でしょ?」


「…………」


 まずい……。


 わたしの顔色から悟ってか、横では菘がじっとりとした目で訊いてくる。


「ゆ、結衣お姉さま……。もしかして今月の家賃まだ払っていないのですか……?」


 その目はまるで絶対零度のように冷たく、そして瞳の奥底で言っている。「一万円も払えないのですか?」と。


「……」


 わたしは黙って頷いた。


「えー! それは困るよ結衣ちゃん。昨日までの家賃が払えてないんだから、ここはもう結衣ちゃんの部屋じゃないよ。家賃が払えないならここから出てってよ」


 当然だけど、なかなかに辛辣な言葉が胸に突き刺さる。


「待って! それじゃあわたしは今日からどこに住めばいいのよ」


 心からの叫び。


「雉間、あと三日。ね、あと三日だけ待ってよ。だって明日になればゴールデンウィークでしょ? そのときにはバイトした給料で家賃をはら……」


 わたしの脳裏を過る。まっ黒に塗り潰されたアルバイト雑誌が。

 わたし、なんだか泣きそう……。


「あー、そうは言われても、実はもう結衣ちゃんの部屋に住みたい人はいるんだよね。それにぼくもその人に住んでもらいたいし、その人なら絶対に家賃を払ってくれるし」


 ああ、神様。わたしもうダメかも……。

 わたしは藁にもすがる思いで菘に目を向けた。助けて、という意味で。


 しかし菘は雉間の話を聞いて、

「はい、そうですね雉間さん。ではもう結衣お姉さまの部屋はお渡しください」

 と悪魔みたいなことを言い出した。


 そしてわたしを見ては天使のように微笑む。

「大丈夫ですわ結衣お姉さま。住むところなら私と同棲すればいいだけですもの。部屋もまだ五部屋余っていますし、それにこれからは私が、ずーっと結衣お姉さまの面倒を見てさし上げます。うふふっ。これでやっと夢の同棲生活ができますね。んー」


「なんであなたは嬉しそうなのよ! そして同棲言うな!」


 わたしは目を瞑って顔を寄せて来る菘の頭にチョップをかました。キスするか!


 そのとき――。


「あのぅ……」


 開けっ放しにしていたドアの方から声が聞こえてきた。

 見ると半開きになったドアの間からは若い郵便配達員が顔を覗かせている。


「すいません、書留です。雉間快人さんに」


 そう言って見せるように封書を掲げる郵便配達員。

 雉間はわたしの横を通り、郵便配達員に近付く。


「おや、橋木くんじゃないか。よくぼくがここだとわかったね」


 どうやら雉間、この郵便屋さんと顔馴染みのようね。

 わたしは今のうちに部屋に上がる。


 「ええ。いつも部屋に居る雉間さんが居ないもので驚きましたけど、何だか声が聞こえて来たから、つい」


「そうかそうか」


 話を聞きながら雉間は書留にサインして、伝票を手渡した。


「ところで雉間さん、あそこにいる方は新しい住人ですか?」


「住人」という言葉に、わたしが笑顔でお辞儀をすると、


「あー、でも、それも今日までかな」


「そ、そうですか……」


 雉間の返答に橋木さんは気まずそうに去って行った。

 ああ……、もう正式に退室を公表し出すのね……。


「誰からです?」


 ひっそりとうな垂れるわたしには気にも留めず、封書の差出人を訊く菘。

 封筒の裏面を見る。


「んー、差出人は『能都のと研司けんじ』って人みたいだね」


 訝しげに答える雉間に、


「お知り合いですか?」


「ううん。ぼくの知らない人だよ」


 そう言って雉間は几帳面にハサミを使って封筒を開けた。すると、封筒の中には一枚の手紙が。


 そこには……。

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