6

「あー、そうだね。最近じゃ女の子の一人暮らしは危険って言うし、やってもらった方がいいかもしれないね」


 満面の笑みで言ってきた。


「え……? 何で、いいの?」


 思いもしなかった反応に戸惑う。


「うん、別にいいよ。あ、菘ちゃんの知り合いならついでにぼくの部屋も調べてもらおうかな。うん、それがいいよ」


「あの、ごめんね雉間くん。たぶん雨城さん、私のせいで変な勘違いしているかもしれないけど嫌に思わないで」


 申し訳なさそうにわたしを擁護する天音さんに、雉間は「ん、何が?」と首を傾げている。


 え? どうして天音さんがわたしを庇うの? ……いや、何かこれもわたしを油断させる作戦よ!


 わたしは言う。


「じゃあ、どうしてあの部屋には家具や家電が揃っているのよ!」


「あー、ぼくは見たことないけど、それは前に住んでいた人が置いて行ったものだよ。何で置いて行ったのかはぼくも知らないね。でも邪魔なら処分に掛かる費用は出すよ」


「とぼけても無駄よ!」


 わたしは問い詰める。


「だったら、ここのわたしたち以外の住人はどこにいるのよ。部屋が全室埋まっているわりにはさっきから隣室の音はおろか、廊下に出ても人の気配すらないじゃない!」


「あー、それはたぶん、春休みだからみんな実家に帰っているんだよ。あ、でも部屋に居る人はいると思うよ、知らないけど。まあ、居たとしても部屋の壁は防音加工されているから隣の部屋の音は聞こえないね。あ、雉間荘の人たちはみんないい人なんだよ。確かみんな結衣ちゃんと同じ学生じゃなかったっけ? いや、フリーターもいたかな……」


「……」


 なんだか嘘を言っているような感じじゃない。

 じゃあ問題は盗聴器じゃないの?


 静かに、わたしは訊く。


「あの、家賃って本当に一万円よね?」


「うん、そうだけど」


「あの部屋だけが一万円でしょ?」


「あー、違うよ。全部屋だよ」


 全部屋!? それじゃあ、ますますおかしいじゃない!

 わたしは思い付く限りに言ってみた。


「もしかしてここらって危ない人の集会所とか?」


「何それ? 猫の話?」


「じゃあ近いうち取り壊されるとか?」


「え、嘘? そうなの?」


「それなら近くに電車の路線があってうるさいんでしょ」


「ないけど、あっても防音だから大丈夫だね」


「だったら部屋におばけが出るのよ!」


「え、結衣ちゃんおばけ見えるの! おばけが出たらぼくにも教えて!」


 ダメだ……。ぜんぜん手応えがない……。

 勢い殺がれたわたしの声は小さくなる。


「もう、だったら何で家賃が一万円なのよ……。雉間荘クラスの物件なら、最低でも五万円……いや、もっと取れるのに……」


 その言葉に雉間は笑顔でわたしを見た。


「結衣ちゃんは海にいる魚を全部釣らないでしょ? それと同じで、ぼくも必要な分しかいらないんだよ。いっぱいあっても困るしね」


「……」


 のほほんと言ったけど、わたしにはわからない。その感性が……。


「あ、でも、結衣ちゃんが住みたくないならぼくは別にいいんだよ。あそこに住みたい人ならもういるしね」


 その言葉にわたしは急いで、そんなことない、と首を横に振った。

 だって家具も家電も綺麗だし、それに雉間荘だって雉間の部屋の前のあの表札を除けば最高にセンスがいいと思っているもの。


 わたしの反応に、雉間は嬉しそうに笑った。


「そっか。じゃあ契約は成立だね。まあ、今月の家賃はいいからさ、来月から家賃はその月の一日までにぼくの郵便受けにでも入れといてよ。もらってなかったらそのときは徴収しに行くから」


「はい!」


「うん。それじゃあぼくは寝ようかな。お腹もいっぱいになったしね」


 そう言ってのそのそとベッドに入って眠ろうとする雉間。いつの間にか、菘はわたしの膝を枕に眠っていた。菘に掛けられた毛布はきっと天音さんの仕業だろう。


 わたしは幸せそうな菘の寝顔を見て少しだけ声を抑える。


「あの、ところでわたし契約書とか書かなくていいの?」


「え?」


 リスのような大きな目がわたしを見る。


「何それ? いるの?」


「いや、だってほら色々ルールとかあるだろうし……」


 こういうのって、普通大家が書かせようとするんじゃないの?

 あまり乗り気じゃないのかそっけなく答える。


「あー、うん。じゃあガラスは割らないで、危ないから」


「それだけ?」


「うん。あとはゴミの日を守ってね。カラスと猫がケンカしちゃうから……。でも結衣ちゃんこそ何でそんなに書きたいの? 普通は書きたくないでしょ?」


 わたしを見る雉間の目はこちらの一般常識を疑っているかのよう。見ると天音さんはわたしたちの会話など気にもせず帰り支度を整えていた。それはまるで、今までにこのやり取りを何度も見てきたかのように……。


「でも、家賃を払わないで逃げる人もいるだろうし……」


「ええっ! 結衣ちゃんそんなことするの!?」


「はぁっ! するかアホっ!」


 わたしは履いていた靴下を雉間に投げ付けた。


 ◇ ◇ ◇


 雉間荘を出たわたしはすがり付くように天音さんに謝った。俗に言う平謝りだ。


「色々と変なこと言ってすみませんでした!」


 赤べこのようにぺこぺこと謝るわたしに天音さんは、

「いいのよ、いいの。気にしないで」

 と両手をひらひらとさせ天使のような笑顔をくれる。


「ね、それに雨城さんみたいなしっかりした人がいてくれたら、わたしも安心だから。あと雉間くんだって怒ってないわ」


「ほ、本当にですか? 靴で叩いたことも、靴下を投げたことも……」


「だ、大丈夫よ」


 一瞬、天音さんの笑顔が引きつった。そんな気がした。


「ま、まあ、これから一人暮らしがんばってね。あ、それから雉間くんによろしく」


「はい!」


 わたしが元気に返事をすると、天音さんは菘の手を握った。


「それじゃあ、またね。私はこれから羽海さんのお部屋探しに行かないとだから……」


 そのとき。


「いえ、天音さん」

 ぱっと天音さんの手を振り払う菘。

「その必要はありませんわ。私の下宿先ならもう見つかりましたから」


「え?」


 突然、何の前触れもなく手を払った菘をわたしと天音さんが同時に見た。

 見れば菘はぼんやりと道路を挟んで向かいに建つ高層マンションを見上げている。

 金色に輝く二頭のトラが入り口で「伏せ」をしているそのマンションは……。


『トラーズマンション・TUKIWA』


 ここら一帯で一番の高層にして高級マンション。


 まさか、この子……。

 わたしが恐る恐る菘に視線を戻すと、菘はその日一番のお嬢様らしい笑みを浮かべてこう言った。


「天音さん、あちらの最上階はいくらで借りられますか?」


 わたしはあごが外れるかと思った。




 ――こうしてわたしは雉間荘に、菘は向かいのトラーズマンションに住むこととなった。


 でも……今思えばこれがすべての始まりだったのよね。


 雉間荘に近付かなかったら、


 雉間になんて会わなかったら、


 きっと『心霊島しんれいとう』に行くこともなかったのだから……――。 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る