第23話 ひとりぼっちの悪魔

 自身の腕に刃が振り下ろされるのを見てサーヤの脳裏には様々なことが過る。

 サーヤはをそこそこの力を持った悪魔として生まれた。

 力を持たない悪魔は黒い影の姿で生まれるが、力を持つ悪魔は人の姿を持って生まれる。

人間との容姿の違いは頭に生える2本の角のみだった。

 たったそれだけ、優しき心を持った幼き悪魔は地獄の日々を過ごすことになった。

「グスッ…いたいよ…どうして…私はただ一緒に遊びたかっただけなのにっ!私何にもしてないのにどうして大きい人間さんは私のことを切ったり、叩いたり、蹴ったりするの?わかんないよ!私!何もしてないもん!」

 傷だらけの幼き悪魔は薄暗い路地で独り、この世界の理不尽を泣き叫ぶ。

 幼き悪魔に手を差し伸べる者はいない。

 幼き悪魔、サーヤはこの世界で孤独だった。

「おい!たぶんあっち行ったぞ!」

「力のない今のうちに仕留めるぞ!」

「そうだ!今のうちにだ。悪の芽は摘んでおかなければならない!発見次第私に報告してくれ!精霊様から賜ったこのナイフで息の根を止めてやる!」

「ああわかった。」

 ドタドタという足音と大きな人間の怒鳴り声のような会話がサーヤが入って来た方向、つまりこの路地の入り口の方から聞こえてくる。

「ううっ逃げなきゃ…」

 サーヤは涙を腕で拭うと前を向いて薄暗い路地を走り出す。

 サーヤがこの状況に追い込まれるのは初めてのことではなかった。

 サーヤは生まれてからずっと疑問だった。


 ある時、一緒にいた悪魔たちが人間の子供を攫ってきてオモチャにし始めたのだ。

 その悪魔たちは、人間の子供たちを殴り、痛い痛いと泣き叫ぶのを見て楽しそうに嗤っていた。

 当たりどころが悪く動かなくなった子供もいたし、人間の子供同士に殺し合いをさせているやつもいた。

 そのどれもが悪魔の子供たちの楽しそうな嗤い声と悲痛な叫び上げ、嗚咽を漏らす人間の子供たちがセットだった。

 サーヤはそれがとても気持ちが悪かった。

 なぜそんなことが許されるのか?なぜそんなことができるのか?幼きサーヤにはそれが間違っていることはわかったがどうすればいいのか答えは出なかった…

 いや、考えるより先に体の方が先に動いたと言った方が正しい、ただ目の前で起きていることを止めなければならないそう思ったのだ。

「やめなよ!」

 そう口に出したときにはサーヤの右手が人間の子供を殴ろうとしていた子供の悪魔を突き飛ばしていた。

「おい、サーヤなにすんだよ!」

 突き飛ばされた悪魔の男の子は尻餅をついたままサーヤを睨み付ける。

「えっと…突き飛ばしたのはごめん。でもこんなこといけないと思う。」

「お前…そのオモチャを庇うのか、ふざけるな!お前がそのオモチャの味方するならお前も一緒だ!」

 突き飛ばした体勢にままおずおずとサーヤが自分の思っていることを口にすると、悪魔の男の子はサーヤに掴み掛かってきた。

 サーヤは着ている衣服を引っ張られ、かかとが地面から浮く、相手の顔をみると相当頭に来たのかひどい顔をしていた。

「うぐっ…やめようよこんなこと、わざとぶったりするになんてやっぱり変だよ…」

 サーヤはそれでも自分の主張を曲げようとは思わなかった。

 改めて目の前の男の子をあくまで優しく諭してみるが…

「うるさい!みんな取り押さえろ!」

 それが逆効果だった、男の子はサーヤのことを突き飛ばすと周りでニヤニヤことの成り行きを見ていた悪魔に声をかける。

「サーヤお前が悪いんだからな。」

「俺は前からこいつのことが気に食わなかったんだ。」

 そんな声と共に数人の悪魔の子供たちが地面に倒れたサーヤを取り押さえた。

 そしてサーヤを突き飛ばした男の子が、サーヤの上に馬乗りになり拳を振り上げる。

 そこからあまり記憶がない…

「ううっ」

 うめき声と痛みと共に目が覚める。

 周りに悪魔たちは居ないみたいだと確認し、それが終わると…

「満足していってくれたかな…良かった…はあ…それにしても痛いなぁ。」

 仰向けで倒れた姿勢のまま、サーヤは息を吸うとそうこぼす。

「ううっひぐっ」

 それから自分の頭の先の方、少し離れたところから聞こえる鳴き声に耳を傾ける。

「人間さん、もう出てきても大丈夫だよ。悪いやつは私が追い払ったから…」

「ひいっ…」

「こっち来ないで…」

「殺さないで、殺さないで…」

 泣き声の主に対して優しく安心させるように サーヤは声をかけたのだが、返ってきたのは恐怖に支配された人の声だった。

「大丈夫、何にもしないよ。私はただ普通に君たちと遊んで見たかっただけ…」

 サーヤはふらふらと起き上がると人間たちのいる方へ歩きだそうとするが…

「遊ぶ…やっぱりだあの悪魔!僕たちを独り占めするためにわざと仲間を怒らせたんだ!みんな逃げよう。まだ距離はあるし、あいつもフラフラしてる!もしかしたら逃げられるかもしれない!」

 子供たちの誰かがそう叫ぶと、ドタドタと自分から足音が遠ざかって行くのが聞こえる。

サーヤの違うよ待って…という言葉はその足音にかき消された。

 サーヤは腕を少し上げた状態から一瞬だけ硬直し、諦めたように腕を下げると肩を落としてトボトボと帰路に着いた。


「うぐっ…ゲホッゲホッ」

 ここはある悪魔たちの集団が根城にしている倉庫、サーヤはたくさんの悪魔に囲まれた状況で地面にうずくまっていた。

 その中から一人の白い髭を生やしたスキンヘッドの悪魔が歩み出てくる。

「貴様はあのゴミどもを庇ったらしいな。なぜだ?」

「はあはあ…間違っているのは…私たち悪魔の方だと思ったから…うぐっ!」

 そう発言したサーヤのお腹をその悪魔は思い切り蹴り飛ばし、木箱が積んである一角へとすっ飛ばす。

 けたたましい音を立てて木箱の山に突っ込んだサーヤは木箱に埋もれて見えなくなる。

「おい、お前たちあの者の思想は危険だ。始末しておけ。」

「ですがまだ…」

「やれ。」

「はい」

 サーヤは木箱の山の中で近づいてきた悪魔に殺されてしまうとそう思ったとき…

「でも…そんなのおかしい。何でよ!間違ってるのはあっちなのに!」

 サーヤは叫んでいた、今日自分はこれまで見て見ぬふりをしてきたことに終止符を打ち、間違いに立ち向かったのだ。

 何でそんなことをしている奴らに殺されなきゃならないんだサーヤは強くそう思う。

「逃げなきゃ…」

 体中ズキズキと痛むが、我慢して立ち上がった。

 幸い蹴り飛ばされたの方向が入り口に近かったため、そこを目指して走り出したのと刺客の悪魔がサーヤの動きに気がつくのは同時だった。

「悪いな、サーヤ。統率者の命令なんでな!死んでくれ!」

 サーヤが走り去った場所にトトトトンとその悪魔の腕から投擲された投げナイフが突き刺さる。

「チッ逃げ足が速いな。これでどうだ!」

「うわっ!」

 チラッと後ろをみたサーヤが倉庫の床を転がって回避、すぐに立ち上がり前へ。

 サーヤは必死に手を伸ばし、閉まっている木製の扉に触れるが鍵が掛かっていた。

「そんな…ここまで来たのに…」

「終わりだ。」

 後ろから男がそう告げるのを聞いたサーヤはとっさに横へと逃れようとした、次の瞬間サーヤの肩に激痛が走った。

「うああああっ!」

 サーヤはその痛みに叫び声を上げると膝をついてうずくまり、痛みのするところへ手を持っていくと、何かに触れる、それがなんなのかサーヤにはすぐわかった。

 男の持っているナイフの持ち手部分であり、状況的にナイフが刺さっているのだろう。

サーヤはそれを掴み、引っこ抜いて投げ捨てる。

「次は外さねえよ。」

 男はうずくまるサーヤを跨ぐように立つと持っているナイフを逆手に持ち振りかぶる。

「嫌だ!私まだ死にたくないよ!」

 サーヤはそう泣き叫んだ。

 こんなところで殺されるのは嫌だった。

 でも非力なサーヤには今この状況で自身に迫る刃を止める手段はなかった。

 それでもサーヤの心はその運命に抗った。

 そんなときだ、ボンッという音と男の驚いた声、それから何かが何かに衝突するけたたましい音がサーヤの耳へと届いた。

「ふえ?生きてる…?」

 サーヤにはなにが起こっているのかわからなかった。

 おそるおそる顔をあげ、周りの状況を確認する。

 そこには男の姿はなく、少し離れたところにある木箱の山が崩れ、何箱か壊れている。

 それから後ろ側を振り返ると入り口に面した壁の一部が扉ごと吹き飛んでいた。

 相変わらず、なにが起こったのかはわからなかったが、このチャンスを逃してはいけない気がした。

「今のうちに…」

 サーヤは痛む肩を押さえて立ち上がり、足早に外へ出ると、別の倉庫の影へと急いで移動する。

 サーヤが倉庫の壁に手をつきながら必死で逃げていると…

「貴様っあの裏切り者を逃がしたのか!」

「すいません…でもあいつ俺の見間違いじゃなきゃ、あんたの力を使ってた。威力はあんたほどじゃないが不意打ちでまともに食らえば俺でも意識を持ってかれますよ。」

「なんだ言い訳か、そもそもあの裏切り者は力を発現させていなかったはずだが…」

「そりゃあ生き死にが掛かれば、誰だって能力なんてもんは引き出されますよ。ただ問題はサーヤの引き出した能力があんたみたいな化け物の能力と同じだったってことですよ。」

「それはそうだな、少し考えが足りなかったようだ。ならば今度はワシが直々に手を下してやろう。」

「それが良いと思います。一番手っ取り早いので。」

 倉庫の入り口付近で起き上がったナイフを使う悪魔と統率者者と呼ばれた統率者は言い合いをしていた。

「うーんそれは困りますね。」

 そんな二人のやり取りに口を挟む部外者が現れる。

 その男は木箱の上に足を組んで座り、壊れた木箱の残骸を手にとって眺めながらそう口にする。

「貴様は…」

「いや、私の名前なんて今はどうでもいいんですよ。そんなことよりあの悪魔の少女から手を引いてもらえませんかね?」

「はっ裏切り者を逃がせと冗談はよせ。」

 貼り付けたようなわざとらしい笑みを浮かべた 黒髪の悪魔がそう頼んでくるのに統率者は聞く耳を持たない。

「ダメですかね?」

「ああダメだ!あの者の思想は危険だ。排除せねばならん。邪魔するなら貴様も始末するぞ。」

 さらに食い下がってくる悪魔に統率者は苛立ち怒鳴る。

「困りましたね。ほんとは話し合いが良かったんですが。ははっこうなったら仕方ありませんね。」

 黒髪の悪魔は話し合いを諦めたようにそう呟くと次の瞬間…

「かはっ」

「まず一人。」

 拳を握った黒髪の悪魔と倒れ込むナイフを投げていた悪魔の姿がそこにあった。

「くそっお前たち戻ってこい!」

 自身の最も信頼をおく部下だったのか統率者の顔に焦りの色が見えた。

「うーんちょっと遅かったですね。」

 慌てて援軍を呼ぶ統率者に向け、黒髪の悪魔はそう言うとニヤッと笑みを浮かべた。

「死ねっ」

 統率者は黒髪の悪魔へと手の平を向けるとその後ろの木箱と壁を見えないナニカが貫通しキレイな円形の風穴が空く。

「すごい威力ですね。さすが6領主の候補者になっただけはあります。でも残念です。私はあの子の成長が見たくなってしまいました。なので全力で叩き潰して差し上げましょう!」

 黒髪の悪魔が回避行動を取った後床を蹴る。

「消えた…どこフベッ!」

 統率者が黒髪の悪魔を見失ったことに気がつくと同時、統率者の顔面は倉庫の床に叩きつけられていた。

「きっ貴様…ぐはっ」

 統率者が起き上がった目に前にすでに黒髪の悪魔の足が存在しており、統率者は防御回避もできず、無防備なまま顔面を蹴り飛ばされる。

 統率者の大きな体は吹き飛び、サーヤの逃げた方とは別方向に飛んでいき、何練もの倉庫の壁をぶち抜いて、倉庫街をグルッと囲むレンガ作りの外壁をぶち抜いて倉庫街の外へ。

「さて次は…って思ったより援軍の数が少ない?うーむ何か嫌な予感がしますね。」

 黒髪の悪魔が顎に手を当てつつ、襲いかかってくる統率者の手下の悪魔たちを軽々と倒しながらしばらく考えごとをしていると…

「貴様っ!ごろじでやる!」

 倉庫の壁に開けられた穴から統率者が現れる。だがその姿は二回りほど肥大化したうえに口には鋭いキバが何本も生えており、そこからよだれをダラダラと垂らしていた。

「はあ…あなたそこまでしますか?そんな方法まで使って、それ悪魔の中じゃ禁忌の技術ですよ。わかって使ってますか?」

 統率者の援軍を倒し終えた黒髪の悪魔は穴から姿を現した化物に対して心底呆れたように問いかける。

「うるざい!ワシに指図ずるなぁぁぁっ!」

 その化物が黒髪の悪魔の態度が癪に触ったのか激昂して、丸太みたいに太い腕を振り上げる。

「はあ…まったく何体喰ったんですかね…同族を喰らって力を得るなんて…もういいです。『焼き尽くせその悪行を』」

 激昂して殴りかかってきた変わり果てた化物の攻撃を軽々と避けながら、黒髪の悪魔が右手を化物へと向ける。

 その手から黒い炎が溢れ出てその周りを満たし、瞬く間に黒炎の海が現れ、その炎は帯状に化物の身体へと纏わりつき燃え広がった。

「アチイアチイアチイアチイ」

 その熱さに化物はたまらず頭を抱えてのたうちまわる。

「『パンッ』」

 黒髪の悪魔はのたうちまわる化物に冷ややかな目線を送り、軽い調子でパンッと手をたたくと…

 絡み付いていた黒い炎の帯がボッという音と共に勢いを一気に増し、化物の身体を焼き尽くした。

 化物が燃え尽きたのを確認すると黒髪の悪魔は今度はパチンッと指を鳴らす。

 すると不思議なことに周りで燃え盛っていた黒い炎が嘘のようにかき消えた。


「ああ倉庫街が倉庫街がなんと嘆かわしい!ですが!邪魔者が排除されたのは喜ぶべきことでしょう!」

 黒髪の悪魔と統率者の戦っている倉庫の入り口にいつ現れたのかわからない謎の人物がパチパチと拍手をしながら立っていた。

「あなた誰ですか?」

「通りがかりのただの悪魔ですよ。そしてついでにお礼を言いに来ただけです。ありがとうございました。これで私の悩みが一つ消えた。ああなんと素晴らしいことか!ああ失礼。私がここに来たのはそれだけのことです。お礼も言えましたし、それではまたどこかで。」

 それだけ早口で言言い残して悪魔はその場を後にする。

 黒髪の悪魔が外へ出た時にはその悪魔はもうどこかへ姿を消していた。

「ふむ、今の男は何だったんでしょうか?まあいいでしょう。さて彼女は逃げ切れているでしょうか。」

 黒髪の悪魔も本気で追いかける気は特になかったので自分のせいでボロボロになってしまった倉庫をみて一人呟く。

 静まった夜、月明かりが一人の悪魔を照らしていた。


「はあはあ…ここまで来れば…」

 路地裏を逃げ回るサーヤはふと自分が悪魔という価値観の中から外れたときのことを思い出していた。

 自分でも毎回バカだなと思う。

 この世界での悪魔に対する人間の印象から仲良くなることはとても難しいことはわかっていた。

 それもそうだ、あの数年前のあの日からサーヤは多かれ少なかれいろいろなことを経験した。

 その経験からして最近は悪魔と人間が仲良くするなんてできないんじゃないかと思ってきていた。

 だけどサーヤは諦めたくなかった、自分は人間と楽しくおしゃべりしたり遊んでみたりしたいという願いとあの日の自分を肯定してあげたいという願い、この二つの願いがまだ彼女を諦めさせてくれない。

 しかし、そんなサーヤの願いとは裏腹に今日も失敗に終わる。

 受け入れられるはずがないのに今日も挑戦して失敗した。

 そこまで考えたとき…

「グス…なんでかなぁ…全然うまくできないなぁ…」

 また涙が溢れてくる、悔しい!私の考えってやっぱりダメなのかな、でもおかしいよ悪魔に生まれたってだけで友達になりたい人と友達になれないなんて!いろいろなことを心の中で叫びながらついにサーヤの歩みは止まってしまう。

 そこは小さな広場だった。

 小さな広場といっても二人掛けくらいのベンチとゴミ箱があるだけの正直何のために存在しているのかわからない場所だった。

 そんな場所だったからこそ、このときのサーヤは引き寄せられた。

 止まってしまった足を頑張って動かし、ベンチへと腰かける。

「はあ…なんか落ち着くなぁ…」

 このたぶん大多数の者に必要とされず、だからこそ忘れられたであろうこの場所がとても心地よかった。

 悪魔にも人間にも嫌われて、どっちにもなれない嫌われ者にはここがぴったりだなと思った。

 今さらながらサーヤは気付く、たぶんもう疲れてしまったのだなと。

 ベンチに深く腰かけ、大きく深呼吸する。

周りの音は風の音と自分自身の出す音だけだった。

 一つのベンチとゴミ箱、そして一人の悪魔だけでゆっくりとした時間が流れていく。

 サーヤはなんだか久しぶりに嫌なことを考えないで済んだ。

「君も一人なのかい?」

 そんな静かな空間にサーヤ以外の声が響いた。

「誰!?」

「そんなに警戒しないでくれ。僕も君と同じ嫌われ者さ。」

 これが嫌われ者の悪魔と嫌われ者の精霊の出会いだった。


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