第42話:修羅の巷
自分の勝ちは揺るがない。そのことに肥大王は悲嘆を覚える。自分が誰かに負けることを、その本質として肥大王は望んでいた。そうでなければこの大望は果たせない。だがそれとは別に、自分に備わっている機能を十全に働かせれば、それは即ち無敵なのだと。そう悟ってもいて。
唯神誅伐。
炎系で最も火力のある決戦魔術。それによって細胞の一片まで焼き尽くされた男を見る。いや、正確には見るという表現は的確ではない。すでに分子レベルで熱分解された男を見ることはできないのだから。細胞にはゲノムコードが存在する。本質的に不死と呼ばれる存在がマテリアルに存在するのなら少ないゲノムコードで、全損を補填するが故だろう。そう肥大王は考察する。つまり細胞が一個でも残っていれば、そこから完全復活する。そうでなければ物理法則に支配されたマテリアルでの不死はあり得ない。ミステリアルに存在するギフテッド・ワンではないのだ。御伽噺が介入する余地はない。そう思っていた。
「ぼぼぼ……ぼくがその幻想を終わらせた……せた」
唖然としているチャイムを見る。彼女もまた灼熱に掻き消えたアルテミストを慮っている様だった。細胞の一片すらも残っていないその男の残影をどう見ているのか。だが流石に物理的に消滅した上で、さらに復活することなどありえない。それが物理法則というものだろう。
「けけ……かかか……けかかかか……」
だから幻聴のはずだ。あの男の声を聴くことは……未来永劫ありえないはずなのだから。
「げがががががががががが!」
地獄の鬼が悲鳴を上げたらこんな感じだろう。そのように感じる哄笑だった。マテリアルには存在しない地獄を、ミステリアルの肥大王はよく知っている。その上で、オーガが発する悲鳴とは乖離する点が一つ。そいつには声帯も肺もないはずなのだ。
「ががが……ががが……」
では今肥大王が見ているものは何なのか。
「アルテ……ミスト……?」
外見はそうだった。呆然としている乙女が名を呼んだようにアルテミストに他ならない。だがまるでマックシングを迎えたダイヤモンドの肉体のように、圧縮された筋肉の躍動はどういうわけか。その肉体に走っているネオン管の如くフォトンが血管のように奔っている異形は何なのか。まるで血管が光って、その線上に光が満ち満ちているような。
「修羅」
悟ったわけではない。知ったわけではない。分かったわけでもない。だが、なんとなく該当する存在が、それしかなかった。
修羅。
阿修羅とも呼ばれる戦いの神。今自分は何と会合しているのだろう。その血管じみた光の線がフォトンを残して消えた。
「ッ!」
猛烈に悪寒を感じて、防御姿勢になった肥大王。その側面から蹴りが飛んできた。普通なら警戒も必要無い一撃。徒手空拳などミステリアルを具現している肥大王の梵我反転の前には無力……だったはずなのだが。
ミシメキィ! とアバターが軋む音がする。骨も筋肉もない情報体の神秘存在であるはずの肥大王が、その蹴りで吹っ飛ばされる。
「が……ふぅぅぅ……」
その蹴りを放った修羅……アルテミストは大きく息を吐いた。一体その身体は何度まで上がっているのか。まるでスチームを吐き出す限界を超えた蒸気機関のように湯気を吐き出す。息をするだけで水蒸気が湯気となり。その肉体が稼働するだけで大気が震える。
「な……なん……? なんだ……?」
何より驚くべきは、反転装甲を纏って個人限定に制限した肥大王の梵我反転に蹴りを当てたことだ。肥大王の梵我反転は百パーセント神秘世界を具現するアートマンと定義されている。つまり肥大王が梵我を反転させれば、あらゆる物理法則は全く無視されて、情報だけが唯一決定論として定義される。さらにその上で自己だけを対象に梵我反転を展開すれば、それはほぼ無敵と言える。ダンジョンだろうと、それはつまりマテリアルとミステリアルの交差する世界。現象が伝達すれば、つまりそれは物理法則。自己だけを対象にしている肥大王の反転装甲の周囲にあるのは物理法則であり、つまりあらゆる現象は物理に依存して伝播し、結果反転装甲によって無力化される。例外は理論武装か。あるいは反転装甲に触れて情報攻撃を仕掛けるかだが、そこにも対策はされている。で、あればアルテミストの蹴りは一体何なりや?
揺らめくカゲロウ。世界そのものが変質するような蜃気楼。
「な、な、なるほど……」
つまり梵我反転。それによる自己を反転領域で覆う反転装甲。反転領域では自己の定義したルールが強制される。であればアルテミストは、自己を反転装甲で纏って、そこに触れたルールを改竄している。二つの梵我反転が重なったら、その空間はダブルスタンダードで運営される。つまりミステリアルの絶対性は保持されつつ、だがそれとは別の法則も確かに働くのだ。
「化け物……」
そうとしか表現できなかった。
また光の残像だけ残してアルテミストが掻き消える。
「――
土属性の究極魔術。課金魔術でロイヤリティを支払えば百億だの二百億だのかかる以上とも言える魔術。それをミステリアルの側に存在する肥大王は無制限に使える。マジックネットワーク。通称マグネットはミステリアルに存在する情報経由配線なのだから。だがその防御魔術すらも修羅の蹴りは崩壊させてしまう。ガラスでも蹴破るように概念固定によって維持された肥大王を吹き飛ばす。
「す……すごい……ッ」
チャイムが唖然とするのも妥当だろう。もはやそのフィジカルは物理法則を乖離し、神秘法則ですらも説明がつかない。もっと根源的で、もっと破滅的な何か。
「ふ……しゃぁぁぁ!」
アルテミストの口から湯気が零れる。それこそ体内に核融合炉でも積んでいるのかと疑わんばかりの熱量とフィジカル。ただ蹴りと殴りだけで神秘すら崩壊させる……それは不条理だ。
「け……はは……ははははは……」
もう肥大王には笑うしかない。究極魔術の防御を以ても防げないフィジカルなど、いったいどんな魔術で防げというのか。だが安心もした。つまりこれでようやく自分は死ねる。死ぬことは怖いが忘却は常に神秘世界にはある。肥大王が此処で崩御することを望んでいる意識があるとは思いたくないが……それでも自分だけは望んでいた。
「術式展開」
だから魔術を行使する。最後に使うべき。肥大王の叡智の結晶。
「がぁ……ふぅぅぅ」
この世の不条理を戦いで解消する。この世の戦いの神を僭称する先天魔術。
彼が存在するだけで、その他の戦力は即ち敗北するために存在しているのだと言い切れる決戦力。
「ふぅぅぅぅがぁぁ」
その修羅は倒れ伏している肥大王の頭部を掴んでギシリと握る。
「ひは……そうだ。ぼくは……それでいい」
もはや獣が暴走でもしているかのような。ただ悪意だけで暴虐の限りを尽くすビーストの威力がそこにはあった。反転装甲を纏っているが故にミステリアルに身を置いている肥大王に肉体で触れることができ。であるからこそフィジカルだけで肥大王を圧倒できる。
「さあ! 喝采しよう! この世界に! 第四の壁は取り払わッッッ――!」
全てを言い切る暇もなく。グシャッと肥大王の頭部が握りつぶされた。まるで握力で果物を割るような。それが肥大王の最後だった。
「げぇぇははははははははは!」
勝利に酔う修羅。だがそれによって世界は破滅へと導かれる。
終天魔術。
それが肥大王が最後に遺した遺産だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます