十万円事件


 無害なアカウントとの前情報どおり、〈4344〉の投稿はたわいもないものばかりだった。

 日常のこと。家族のこと。ゲーム情報やネタ投稿のリツイート。それに対する反応。雑多というか、とある男の生活丸写しといった雰囲気だ。

 平日の正午過ぎになると、ご丁寧に〈ひるる!ハラへ速報!〉と昼の訪れを告げるのがルーティンらしい。これが同世代かと思うと、いささか厳しいものがある。

 しかし、そんな中で気になる投稿を見つけた。


〈昨晩、嫁氏からとある事情を聞きまして、十万円事件の思わぬ真相に近づいた気がします。

……さすがにここには詳細書けんけど!〉


「十万円事件……?」


 投稿日時は、四日前、今週火曜日の朝8時10分頃。

 詩歌によれば、これは続報であり、元となる投稿が存在するらしい。

 そしてそれはあっさりと見つかった。先週土曜日、ちょうど私の誕生日に投稿されたものだった。


〈嫁氏にお使いを頼まれて、友人氏(女性)にプレゼントを渡すため遠出してきたんだが、その友人氏に札束叩きつけられて終了のお知らせ。

かなりの地雷踏んだっぽいが、それが何か心当たりなくてつらい。わりとガチめに落ちんこでる……〉


 投稿時刻からするに、私が住吉くんをイタリアンバルから追い返したあたりのタイミングだ。この投稿が、私について言及したものであるのは明らかだった。

 

〈それ絶対アレよ、「アタシ以外の女と結婚したくせに、今さら会いに来るんじゃないわよ!」的なヤツw〉


 詳細をクリックすると、彼のフォロワーらしきユーザーからの見当違いのリプライがぶら下がっていた。

 その約二時間後、4344本人による返信は、〈まさかの!モテすぎてぴえんですわ!〉。……流石に冗談だと思いたい。


 初めて「十万円」という単語が出てきたのは、前述のふざけたやりとりの後に書き込まれた、〈やっぱさ、十万円て大金だよね? 俺の感覚間違ってないよね?〉というツイートだった。そこからの流れを追っていくと、私が彼のポケットに突っ込んだ金額こそが、“十万円”であったことに行き着く。


──そんなにあったのか。


 あの時は頭に来ていて、金額も見ずにやってしまったんだっけ。普段はそんなに現金を持ち歩いていないのだが、未冬が来ると思って多めに引き出しておいたのが仇となってしまった。


〈嫁氏と相談して、友人氏には後日夫婦でお詫びに行くことにしますた。……コワいので、お金は早急にお返ししたいところ〉


「つまり周真さん、マユさんに十万円で殴りつけられて、相当ショック受けちゃったみたいですね!」


「ちょ、殴ってないって。人聞き悪い……」


 詩歌の軽口に思わず反論してしまったが、私がヤケになって起こした行動によって禍根を残してしまったことは事実なのだろう。

 盲点だった。

 金額すらまともに把握していなかったくらいだし、お金はもうあげたものと割り切っていたのだ。それを律儀に返そうだなんて、正直、これ以上私をみじめにさせないでほしいとすら思う。


「で、これからどうします?」


 詩歌から同じ問いを投げかけられる。


「どうって言ってもな……。私、謝罪を受けるような立場じゃないし、本来なら、こちらから謝るのが筋なんだろうけど……」


 そこまで言って、ふと思考が止まる。


──十万円事件の真事実って、いったい何のことを指していたんだろう。


「ま、じっくり悩んでみて、またわたしにお話聞かせてくださいね」


「あなたやっぱり面白がってるでしょ……」

 

「でもマユさん、わたしに会えて嬉しかったでしょ?」


 毛並みの良い飼い猫のような女は、すまし顔で開き直った。



 ◆



 自宅に戻って入浴を済ませたあと、一人、ベッドに横になり、〈4344〉のプロフィール画面を眺めていた。

 そのうち魔が差して、「嫁氏」と検索バーに入力してみる。夫の視点で見る未冬をもっと知りたいという、ちょっとした好奇心だった。

 しかし、私はそれをすぐに後悔することになる。


4344 @_4344

〈嫁氏が「あたし4くんと結婚したい♡結婚しよ?」と甘えてくるので、「もう結婚したでしょー!?」と返したところ、「わぁ、ほんとだ~!♡♡」とのことでした。俺氏、嫁氏がchu!かわいすぎて無事死亡〉


「………………」


 中学生の浮かれツイートか? と眉をひそめてしまった。なんでこの見てるだけで恥ずかしい怪文書がトップに上がってくるんだ。

 投稿年月日を見ると、航くんが産まれる一年くらい前だった。つまり新婚ホヤホヤ期。……中学生ではなく、新婚の浮かれツイートだったか。


 そのツイートには〈この人またイマジナリー嫁の話してる……〉〈これが既婚者のリアルですか(大嘘)〉などという返信が並んでいる。

 どうやら一部フォロワーから、架空の妻の話、つまり創作ネタとして面白がられているらしい。本人も〈イマジナリーじゃないんだな〜、これが!〉などと返しつつ、そんな扱いを喜んでいるふしがある。


 けれど未冬を知っている人物なら、これが創作だとは思わないかもしれない。少なくとも、私は率直に「未冬なら言いそうだな……」という感想が浮かんだ。そしてそれを、妻に見せていないコミュニティで嬉々として報告している夫。


──めちゃくちゃ仲良さそうだな。


 住吉周真って、ただただ未冬のことが好きなだけの、健気な男なのかもしれない。

 未冬を中心に世界が回っている。……それは、いまのところ私も同じ穴のムジナか。

 違っているのは、私は敗北した側である一方、住吉くんは私を脅威ともライバルとも思っていないということ。

 そりゃそうだ、私は男ですらないもんね。未冬の優しさに甘えていた憐れな勘違い女が、他人に迷惑かけてまで叶わぬ夢を見ていただけ。


 スマホを枕元に置いて、頭まで一気に布団をかぶる。しばらく目を閉じていたが、なかなか眠りにつくことができなかった。

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