あなたが好きだと告げた日

 頭は重たく沈み込んでいくが、私の心は非日常の中でプカプカと浮かんでいた。

 詩歌。

 飲み屋で知り合ったばかりの、行きずりの女。──そう改めて言葉にしてみると、現実味がなくて、なんだか不思議に思えてしまう。


 思えば、私は遊ばないまま大人になってしまった。

 身持ちが固いと言えば聞こえはいいけど、単に相手がいなかっただけだ。男を探したことはないが、女を探すのはもっと難しいだろうとは常に思っていた。

 誰でも良くはない。面倒なこともしたくない。傷つきたくもなかった。私は臆病だった。


 いや、もっともらしい理由を当てはめるならば、遊び歩いていた未冬を咎めたい意図もあった。

 愛嬌のある美人である未冬を、異性が放っておくわけがなかった。けれど、相手を取っかえ引っ変えしている様子を間近で見ていたら、さすがに自分の心が濁っていくのをはっきり自覚した。


 どこで出会ってくるんだか、未冬は軽そうな男とばかりつるむようになっていた。住吉周真とは真逆のタイプだ。

 未冬は明るいように見えて、実際は、住吉くんとの破局に相当堪えてしまっていたのかもしれない。そう思うと、未冬を振ったあの男には怒りを覚えつつ、未冬本人には同情せざるを得なかった。

 私は20歳になるまで、未冬に何も言えずに飲み込み続けていた。


──でも本当は、ずっと私を見てほしかった。


 実は私、男子を好きになったことがない。たぶん、なれないんだと思う。

 というより、私は未冬が好き。ずっと好きだった。

 そうやって打ち明けたときも、情けないことに、私は酒の力を借りていたのだった。



 ◆



 あの晩、絵里加えりかを交え、私の部屋で宅飲みをしていた。

 引っ込み思案で奥手だった絵里加に彼氏ができたと聞き付けたから、そのお祝いだった。


 やはりというか、私にはうっすら絵里加のことを好きだった時代があった。だからまあまあ複雑な心境ではあったけれども、過去には割り切って絵里加の淡い恋を応援していたから、この子もやっと報われたかという感慨の方が大きかった。


──まあ、絵里加の恋人となった男性は、その淡い恋の相手ではなく、別人だったのだけれども。


「絵里加の彼氏って向後こうごくんなんでしょ? 友達どうしが付き合うのって、なんか嬉しくなっちゃうよね」


 未冬はグレープサワーをちびちび飲みながら上機嫌だったけれど、対する絵里加は、未冬を気遣うような、控えめな態度だった。

 その場では思い当たる理由がなかったが、あとになって、向後くんが住吉くんとも仲が良かったことを思い出した。

 友達の元カレの友達。そんな関係性の相手と恋人になったことに、繊細な絵里加は負い目を感じていたかもしれない。

 絵里加はどこまでも思慮深くて奥ゆかしいが、そのぶん新しい人間関係を築くのは苦手だった。そんな彼女の世間が狭くなってしまうのは、仕方のないことではあった。


 そのように、祝福されても控えめな絵里加だったけれど、時間が進んでくると、次第にリラックスした笑顔を浮かべるようになっていた。


 お酒に強くなかったらしい絵里加は、アルコール度数3パーセントのチューハイ缶1本で「もうだめかも」とスヤスヤ眠りについてしまい、その幸せそうな寝顔を目撃した私と未冬は、顔を見合わせてつい笑ってしまった。


 それから明け方まで、私たちは二人でのんびりと飲み続けた。

 私が未冬への思いを静かに打ち明けたのも、そのときだった。



 ◆



 首筋に、ひんやりと冷たいものが当てられた。

 冷たいと言っても氷のような鋭さはなく、そのまま身を委ねていたくなるような、気持ちの良い冷たさ。


「マユさ〜ん?」


「うん……」


 冷たいものの正体は、詩歌の手だった。その滑らかな手が、頬や耳、額に触れてくる。


「こんなところで寝てたら体痛くなっちゃいますよ〜」


 そう言ってぺちぺちと首筋を叩かれた。


「あと5分……」


「もー、何言ってるんですか」


 それからカラオケ店を出るまでの記憶は曖昧だった。一度中途半端に眠ってしまったせいか、どうにも眠気を振り払えない。


 気付いたころには、私は詩歌に腕を引かれて夜の繁華街を歩いていた。それでも、未冬からの紙袋はしっかりと握りしめているあたり、自分の未練がましさには呆れるばかりだ。


「うち、ここから歩いて15分くらいなんですけど、泊まっていきます?」


 とにかく眠たくて、私はそんな誘いに素直にうなずいた。

 そして実際に連れて来られたマンションが、都心のオートロック付き、間取りはおそらく2LDKという、およそ普通の学生が住めるような物件ではなかったことについて、深く考えることもしなかった。



(3章、終)

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