奇跡を掴み取る男

 未冬さんと結婚できたことは、僕にとって奇跡以外の何物でもなかった。


 どうしてあんな綺麗で可愛い人が、僕のような男を好きでいてくれるのだろう。

 そんな馬鹿なことを本気で考えて、眠れなかった夜もあるくらいだ。──それを昔からの友人である向後こうごに話したら「クソ惚気」と笑われたけれども。


 妻に勧められるがままシャワーを浴びながら、今日もまた、僕は奇跡を噛みしめる。

 色々と困難の多い一日ではあったが、なんだかんだ言って、愛する妻子と暮らせている自分は幸せ者なのだと思う。



 ◆



 結婚を考えている、という話を初めてしたのは、友人でも親でもなく、職場の上司だった。


 当時の所属課長と、県主催の市町村向け説明会に出席していた、その帰路でのことである。


「デジタル化ね〜」


 僕は公用車を運転しながら、助手席でくつろぐ課長がぽつりとこぼす言葉を横で聞いていた。


「そのうち婚姻届とかも、スマホでポチポチっと申請できるようになんのかね? まあ、今も制度上はオンライン申請可能、とは言うけども」


 どうでしょうね、と相槌を打つに留めた。

 部下への問いかけというより、課長の個人的なボヤきに近かったかと思う。人生の節目のイベントなのに、Amazonで日用品でも注文するみたいになっちまうのかなぁ、という感じのニュアンスだった。


 だが、そうなっても今とそんなに変わらない気がする。

 当事者である男女間の合意に基づいて、婚姻を市町村長に届け出る。市町村長はこれを受理し、法令に基づいて処理する。そうすれば夫婦という身分関係が成立する。電子でも紙でも、その本質は変わらない。


 業務として、婚姻届を受け付けるのは好きだ。なぜなら、窓口に婚姻届書を持ってくる彼らは皆が幸せそうな顔をしており、理不尽なクレームを受けることも(僕が経験した限りは)ないからである。


 けれど、最近、自分がその"当事者"側に回った場合を考えることも増えた。


「あの、課長」


「んー、どうした?」


「僕、結婚しようかと思ってるんです」


 課長は「ふごッ」と声を漏らしたあと、


「……それって、俺が詳しく聞いちゃっていい話?」


 と、ものすごく遠慮がちに尋ねてきた。これが現代の管理職らしいリアクションなのだろうか。

 僕個人としては、同性の上司からプライベートな話題に突っ込まれたとて少しくらい構わないと思うのだが、うはコンプラ屋が卸さないのかもしれない。


「もちろんです。というか、部下相手に気遣いすぎですよ」


「いやぁ、だって住吉君さぁ。きみって真面目だけど、今まで浮いた話とかはトンとしてこなかったじゃない?」


 そうは言いつつ、僕の話に興味を持ってくれているらしい。その証拠に、課長はちょっと前のめりにこう続けてきた。


「えっ、てか、彼女いたの? いつから?」


「いつから付き合ったかという話ですと、先週から……になってしまいますかね」


「せ、先週……!?」


 やばい、これじゃ引かれるのもムリはない。僕は慌てて情報を付け加える。


「あ、いえ、彼女とは学生の頃にも付き合っていたんです。けれど、僕の方が彼女に釣り合わないと身を引いてしまい──ずっと、それを後悔しながら生きてきました」


「ああ、なるほど……。そりゃあ、キツかったね」


「……ありがとうございます。しかし先日、その人と再会を果たしまして。相手のほうから誘いを受け、食事に行くことになり、それでその、意気投合、しまして」


 意気投合、のところで若干の照れが出てしまった。

 未だに信じられないのだが、食事後、そのままの流れでホテルに行くことになったのだ。

 そう、変に目立つために所在を認識してはいたが、自分の用事で行くことは一生ないと思っていた、近所の……

ではなく、隣県の。


「意気投合、ねぇ」


 課長は含みのある返しをしてきた。たぶん、何かを察してるやつ。

 恥ずかしさもあるが、今は誇らしい気持ちの方が大きい。


「僕にとっては奇跡のような出来事だったんです。もう二度と、彼女には手が届かないと思っていました。いえ、手を伸ばす資格すらないと。だって僕は、自ら彼女を手放してしまったんですから」


 そして彼女を傷付けてしまった。弱くて愚かな僕が犯した罪だった。


「それでも彼女は、僕のことをずっと忘れられなかったと言ってくれたんです。そろそろ結婚を考えたい──そう思って前の恋人と別れたとき、初めに思い浮かんだのが僕の顔だった、って」


「それで、"結婚"なのね」


「そこまで言われたら、流石にもう引き下がれないですよね。二度目のチャンスです。三度目は絶対にない。もう逃げたくない。もう俺は、ダサい男のままでいたくないんです」


 話しながら、アクセルを踏む足に余計な力が入ってしまうのを感じていた。全身が妙な高揚感に包まれている。

 課長はたっぷりと間を取ってから、長い息を吐き出すように言った。


「住吉君、きみ、トシはいくつだったっけ」


「……24です。早生まれなので、来年の3月で25になります」


「若いなぁ。今時の子で24歳じゃあ、早い方よね。結婚考えるの」


「かも、しれません」


 しかしそれほど迷いはない。

 彼女は、松戸まつど未冬みふゆは、僕の運命の人だから。


 課長はしばらく無言だったが、その後、うーんと伸びをした。


「んー、でもまあ、良いんじゃない?」


「良いんじゃない、というと……」


「人生の節目って、要はそのタイミングが来るかどうかだからさ。何歳がベストかなんて、人それぞれだわな。二度とないチャンスだってなら、掴み取るしかないじゃない」


「課長」


 きっと、何を言うべきか悩んだ上でそう言ってくれた。彼の言葉は暖かかった。


「ありがとうございます」


「うん。いやぁ、俺も嬉しいし、誇らしいよ。まさか住吉君からこんな話聞かせてもらえるとも思ってなかったし」


「本当に、ありがとうございます」


 感謝を伝えたいと思うほど、語彙が乏しくなってしまうのはなぜだろう。なんだか照れくさくなる。


「これからはプライベートなご相談もさせていただくかもしれませんが、仕事も、これまで以上に精一杯頑張ります」


「おー、頼もしい。じゃ、事務所に帰ったら今日の復命なる早でよろしく〜!」


「アッ、ハイ」


 最後は上手いこと仕事を振られてしまったが、このとき課長に話を聞いてもらえたことが、僕の今の生活に繋がっているのだと思うと感慨深い。

 この日のことは、きっといつまでも忘れないのだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る