第2話 絶望に効くカスタード

 僕はずっと真面目に生きてきた

 両親に言われるがままたくさん勉強して、いわゆる”いい”高校、”いい”大学に進学し、”いい”会社に入るために、就職活動にいそしんでいる。


 だが、結果は惨敗。

 両親から強く勧められた大企業からは、軒並みお祈りメールを受け取った。


 なにがいけなかったのだろう。

 適切な時期に就活をスタートし、マニュアル通りにエントリーシートを書いて送り、筆記試験はすべてハイスコアでクリアした。

 面接だって、前もって完璧に準備した。各社の企業理念や業務内容を頭の中に叩き込み、何を問われても流暢に答えられるようにしておいた。


 ……なのに、ダメだった。


 こうしておけば間違いないと親から言われたルートを、まっすぐに歩んできた。道を踏み外すことなく、真面目にそこを歩いてきた。

 ただ言われるがままに歩いていけばそれでいいと思っていた人生は、それなりに楽ではあった。何も、自分で考える必要がなかったからだ。


 大学四回生の春、内定はまだひとつももらえていない。

 バイトだサークルだと遊んでばかりの同級生たちは次々に内定をもらっているのに、どうして僕だけ内定がもらえないのだろう。


 僕のなにがいけないのだろうか。どこに欠陥があるのだろうか。


「おい、おいっ! 何やってんだよお前っ!」


 ぐいと腕を引かれた瞬間、ゴッ……!! と凄まじい轟音とともに特急列車が目の前を通過していく。

 よろめいた拍子に尻もちをついた僕の耳に、カンカンカン……と踏切の警告音が今更のように聞こえてきた。


 どうやら僕は、ぼんやりしたまま閉じた踏切に侵入しかけていたらしい。あのまま歩き続けていたら、今は——……そう思うと、心臓がドッドッドッと不穏に鼓動し、全身から汗が吹き出す。


「バカか!! どこ見て歩いてたんだよ死ぬ気か!?」

「あ……いや、ぼうっとしてて……」

「ぼーっとって……はぁ~、びびった」


 街灯の下で僕と同じように尻もちをついているのは、スーツ姿の若い男だった。


 きっと、この人はサラリーマンなのだろう。どこからも選ばれない僕とは違って、この人はどこかの会社から必要とされ、社会の歯車として世のため人のためになっている。


 ——いいなあ。どうやったら、僕はあっち側にいけるんだろう。


「まったく、気をつけろよ……って、なんだ? なんで泣いてんだよ!?」

「……就活の」

「え?」

「……就活のコツを、教えてもらえませんか……?」

「はぁ?」


 死にかけたことでプツンと何かが切れてしまったらしい。

 社会から拒絶されるたびにこらえてきた苦いなにかが、どっと僕の内側から溢れ出す。


 ここは、大学から駅へ通じるゆるい坂道の終わりにある踏切だ。遅刻ギリギリでこの踏切につかまってしまうと、坂道を全力ダッシュしなくてはならないため、学生たちからは評判の悪い踏切である。


 閉館時間までこもっていた図書館から、いつどうやってここまできたのか覚えていない。卒論の文献を探している途中で、すべての望みを賭けていた企業から最終面接の結果がメールで届いた。


 内容は、いつも通り。



 ——『今後のご活躍をお祈り申し上げます。』



「僕は社会人にはなれないのでしょうか? うっぅ……どこからも必要とされないのは、なぜなんでしょうか……? ずっと真面目にやってきたのに、まわりからどんどん遅れをとって、誰からも、相手にされなくて……っ」


 アスファルトにへたりこんで嗚咽を漏らす僕を見て、スーツの男は眉根を下げて呆れたようにため息をつく。

 そして、僕に手を差し出してきた。


「まぁ、立て。みんな見てるぞ」


 午後九時すぎとはいえ、まだこのあたりにはひと気も多い。とっくに開いた踏切の向こう側には商店街があり、遅くまでやっている飲み屋も軒を連ねている。線路を渡ってくる人々が、好奇の視線を僕に向けていた。


 かぁっと頬が熱くなる。すぐさまそこから立ち去りたかったけれど、腰が抜けていて自力では立ち上がれない。仕方なくサラリーマンの手を取って立ち上がり、会釈してそのまま逃げ出そうとしたが……。


「そこのたい焼き、食ったことある?」

「……ありません」

「じゃあ、ひとつ奢ってやる。甘いもん食えば気分もマシになるだろ」

「いえ、そんなことをしていただく必要は」

「ほら、いくぞ」


 線路沿いにあるたい焼き屋だ。店先にちょうちんをぶら下げ、年季の入った赤い暖簾に、白抜きの文字で『たいやき』と書いてある。通学中に毎日のように目にしていたが、近づいたことは一度もなかった。


 サラリーマンは気軽な調子でたい焼き屋のほうへ歩いていく。もはや断る理由も逃げる元気もない僕は、ふらふらとサラリーマンのあとについていった。


「おじちゃん、カスタードふたつ」

「あいよ」


 ——カスタード?


 サラリーマンの選択に耳を疑う。

 たい焼きは和菓子に分類されるのだから、中身はあんこが一番合う。カスタードなんて洋風なものが合うわけがない、邪道だ。正しくない。


「ほれ」

「……ありがとうございます」


 渡された小さな紙袋から、鯛の頭がのぞいていた。ぽかんと呆けた顔をして、僕にかじられるのを待っている。


「カスタード……」

「ん? 嫌いだった?」

「いえ……いただきます」


 空腹だったのは確かだ。ぽかんとした鯛の頭に、僕はかぶりと噛みついた。


 さく。

 思いのほか軽い食感に驚かされる。これまで食べたことのあった皮の厚いものとは違い、ここのたい焼きはパリッとした薄皮だった。


 そしてそこから溢れ出すのは、とろっとしたカスタードクリーム。やわらかく舌を包み込むほのかな甘さが、とても優しい。


 カスタードはこんなにも美味しいものだっただろうか。もっと尖って、ねっとりと砂糖がちな甘さを想像していたが、どちらかというとミルクのような風味が強い。


 舌と鼻腔を包む甘い香りは洋風のそれなのに、さくさくとした薄皮の食感との組み合わせは違和感がなく、すこぶる美味い。

 舌で溶けるカスタードクリームがみるみる僕の力となって、からっぽになっていた全身に染み渡っていく。


「お……おいしい」

「だろ? あんこもいいけど、この店はカスタードが絶品なんだよ。疲れたときは必ず寄るんだ」


 サラリーマンはそう言って、カラッと笑う。そしてさくさくとすべてたい焼きを平らげて、僕にこんなことを言い放った。


「君、友達いないだろ」

「……っ、な、なんで」

「図星? ここまで追い詰められてるところを見ると、話し相手がいないんだろうなと思ってさ」

「いや! ……話す相手がいないわけではないんですが」


 同じゼミの学生の中には、口をきく相手くらいはいる。だが、ゼミ室を出れば他人に近い。

 たまに飲み会などに誘われるが、どういう顔をしてその場にいればいいのかわからないし、僕なんかが参加したところで誰かが喜ぶわけでもないだろうから、全て断ってきた。


 僕がぽつぽつとそう話すと、サラリーマンはふっと笑ってこう言った。


「カッコつけてないで、君の失敗談を人に話してみたらどうだ? 周りの学生たちだって、うまくいってそうに見えても、実際は色々抱えてるもんがあるかもしれないぞ」

「か、かっこつけてなんか」

「孤高を気取っても、孤独が増すばかりだぞ。社会人になったらな、友達なんて作りたくても作れない。……失敗できるのも、今のうちだけなんだからな」


 ふと重い口調になったサラリーマンの横顔を盗み見る。苦々しい表情で見つめる先には、さっき僕が踏み込みかけた遮断機があった。


 警告灯が、サラリーマンの瞳を赤く染めている。


「お仕事、大変なんですね」

「……いや、大したことないさ。やり切れないことは多いけど」

「そうですか……」

「ただ、死ぬなよ。死んだら終わりだ。なにもかも」

「は、はい……!!」


 向けられた強い視線に背筋が伸びる。

 警告灯で赤く染まっているせいか、睨みつけるように僕を見据えるサラリーマンの表情に鬼気迫るものを感じた。


 おそらく、僕が怯んだような顔をしていたせいだろう。サラリーマンははっと我に返ったように目を瞬き、線路のほうを見やりながらこう言った。


「まぁ、俺からのアドバイスはそんなところかな。じゃ、今からでもしっかり友達作るんだぞ」

「はい……善処します」


 僕の口調がおかしかったのか、サラリーマンが結んだ唇を歪めて小さく笑う。

 そしてたい焼きの紙袋をぎゅっと握りつぶしてゴミ箱に捨て、「じゃあな」と言って去っていった。


 おごられたカスタード味のたい焼きの甘みのおかげか、さっきまで僕を包んでいた絶望はなりをひそめている。


 見ず知らずの相手だったが、一番の悩みを人に話せたせいだろうか。がらにもなく、明日のゼミでは自分から誰かに声をかけてみようと考えてしまえるほどには、心が軽い。


 ——あの人も、力を補うために、たい焼きを買いに来たのかな。


 カンカンカン……ふたたび遮断機がゆっくりとおりてゆく。


 銀色の特急列車が、視界の端から端へと突き抜けていった。





 了

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