1-3 ドキワク学園生活なんて夢のまた夢
黒板に文字を書くなんて久しぶりだった。
ギイッとチョークで黒板を引っ掻く感触がひどく懐かしい。線が震える。粉っぽさがイヤになる。こんなんだったなあ、と思い出す。
いや、そもそもこの時間帯から活動するのが久しぶりなのだ。キラキラ輝く朝日が眩しい。日光が目にしみる。吸血鬼かよとは思うが、今の安藤は吸血鬼並みに朝日に弱かった。あと普通に眠い。
裾についた白色の粉を払って前を向く。
……見られてんなあ。
もう動物園のパンダぐらい見られている。まあ間違ってはいない。安藤はこの場じゃとびっきりのイレギュラーだったから。引き笑いを浮かべながらなんとか喉を震わせる。
「安藤陽葵、です。えーっと、これからよろしくお願いします」
安藤陽葵は場違いな女学校の教室で慣れない制服を着て慣れない挨拶をした。
……
再度言うが、性に合わないと思った。
絹之宮女学院。国内でも有数のお嬢様学校である。有名政治家のお孫さんとかお医者様の一人娘とか財閥嬢とか大企業の跡取りとか。まあお金持ちなお嬢様が通う学校。安藤にとって雲の上の存在がゴロゴロよりどりみどり夏物バーゲンセール最大五十パーオフなこの空間に、これまた場違いな安藤がいた。
そう、場違いなのだ。血統書付きの気高いお猫様の群れの中に一匹土煙に塗れた野良猫が混じっている。慣れない。どうにも落ち着かぬ。一日過ごして安藤はもう限界を感じていた。
「帰ってもいい?」
『ダメでーす』
職員室前に取り付けられた公衆電話に容赦なく十円玉を押し込みながら安藤は懇願した。
電話口の佐山はあははと笑う。笑えない。本当に笑えない。こっちは死活問題なのだ。このままでは息が詰まって死ぬ。戦場に戻らせて欲しい。懲罰部隊でもなんでも入る。もう特別手当いらないから。一生のお願いの使い所はここだと本気でそう思っているから。
「いや、ほんと、慣れない……。全く話合わないし……」
『コチラも忙しいんですよー? 今日も今日とて悪魔祓い。神崎先輩とアルベルト先輩が好き勝手やっちゃって今セドリック先輩に怒られてまーす』
「羨ましい」
『羨ましいですかー? 変わってますねー。平和的生活もいいもんでしょー?』
「平和的すぎて噛み合わないんだってば」
ああもう、帰りたい。ハンドガンの整備をしたい。銃を撃ちたい。悪魔を祓うため廃墟を探索する時間がこんなにも大切なものとは知らなかった。昼夜逆転している安藤の目は真昼間だと使い物にならない。
ちなみに、安藤は教室を抜け出して電話をかけていた。もちろん昼休み。この会話が聞かれたらマズイ。初めはなんとか清廉潔白、品行方正で清楚な安藤陽葵ちゃんを演じ切ったのだ。ここでポカミスして努力がパーになるなんて笑えない。
『──あ、安藤さんだあ。元気ー?』
『ちょちょちょ! 神崎先輩! 電話取らないで!』
『ちーっす、ヒマリちゃん! エンジョイしてる?』
『アルベルト先輩まで! えっと、一旦切ります!』
ガチャン! と唐突に電話が切られた。
安藤は受話器を戻してため息を吐く。十円玉をポケットに突っ込んで廊下を歩き始める。
気が重い。
単純に気が滅入る。お高い制服も気高い学生鞄もレンガ調の校舎もどこか余裕のある生徒たちも何もかも違くてイヤになっていた。再度ため息を吐く。平凡な世間一般の幸せというのは多分こう言った状況を示すのだろうけど安藤は気に入らない。血と暴力と怒号と叫び声とむせかえるような不快な空気こそが安藤陽葵を構成する全てであったから。まさに水と油。
昼休みということもあって学校内はそれなりに騒がしかった。安藤が所属する組、一年二組に足を運ばんと階段をゆっくり上がる。
「あ、安藤ちゃん!」
上の階から声がした。ぎこちなく笑みを浮かべて声がした方を見やる。
「何してたのー?」
「……ちょっと、電話してた」
古風なセーラー服がよく似合う少女だった。烏のような黒色の髪は綺麗な三つ編みにされている。さすが金持ちはオーラが違うなと悪態のようなものをついてみた。
彼女は
「へー、誰と?」
「んー……弟?」
「安藤ちゃん弟いるんだ! 意外だなあ」
正確には手がかかるバディと先輩と後輩であるが、安藤に弟がいるのは事実であるから、嘘は言っていない。言ってるかもだけど。
「今何歳?」
「小学校上がったばっかりよ」
「ちっちゃいねえ」
ふわふわ笑いながら三条は階段を上がる。一年二組の教室は三階にあるためほんの少し遠い。
それで、と三条がさらに質問を重ねようとして、途中で止まった。
潮の匂いがしたような気がした。
「──お久しぶりやなあ、三条ちゃん」
踊り場に、一人の少女が立っていた。
綺麗な墨色の髪を腰のあたりまで伸ばし、特徴的な垂れ目でこちらを眺めている。上靴の色からして上級生、二年生だろう。
彼女はのほほんと、しかし威圧を感じさせる笑みを浮かべながら、三条に言葉を投げかける。
「委員会に顔出してなかったもんなあ。ほんと、久しぶりやわあ。死んだんかと思うたもん」
「お、おひさしぶりです、鳴海先輩」
「忙しゅう中連絡ありがとうなあ? ……学生の分際でいいご身分やね」
「え、えと、それはですね」
「大丈夫やって。お家の用事だって嘘吐いて遊び呆けてたん知っとるから」
……こいつは何やらかしてんだろう。
もう目も当てられない。仕事やら約束事をすっぽかすのが一番タチ悪いのだ。案の定三条は
「で、そこの子は?」
一気に視線が安藤に向いた。
鳴海はふんわりとした顔で安藤を見やる。そうだ、自己紹介をしていなかった。仮にも安藤は世にも珍しい(あんまり珍しくないかもだけど)転校生なのだ。
「……安藤陽葵です」
「安藤ちゃんかあ、よろしゅうね。ウチは
鳴海、珍しい名字だなあ。覚えやすくて結構結構。頭の片隅に記憶しておく。
お忘れかもしれないが、安藤陽葵は傲慢の悪魔使いを探しにこの学校へやって来た。
だから接触した人間は逐一報告する。徹底的に、怪しくなくとも、たとえ一般人であることがわかっても。
「せや、安藤ちゃんもご一緒にどうや?」
「ちょ、鳴海先輩、それは」
「おサボりした子は黙ってよか。……安藤ちゃんは学校の七不思議とか興味ある?」
鳴海はいたずらっ子のような笑みを安藤に向ける。
学校の七不思議なんて絶滅危惧種だと思うのだが、現存していたのか。三条が頭を押さえる。やりやがったなこいつとでも言いたげな顔をしている。
「何やるんですか?」
「悪魔召喚」
ひどく端的に、鳴海は答えた。
え、ヤバ。この学校は古い。そんな学校に残っているオカルトチックな噂話といえばそれなりの信憑性があるワケで。しかも悪魔召喚となれば一端のエクソシストである安藤は見逃せない。たとえ遊び半分だろうが召喚し契約した時点で敵だ。捕獲対象だ。身バレはしたくない。傲慢の悪魔使いに安藤の素性がバレたら身も蓋もない。
なるべく危険因子は潰さなければ。
「……ぐ、具体的にはどんな?」
「コックリさんみたいな感じやねえ。チャーリーゲームって知っとる? それを四階の空き教室でやると本物の悪魔が降りてきて色々教えてくれるんやって」
チャーリーゲーム。紙と鉛筆二本で出来るお手軽簡単悪魔召喚の一種。チャーリーと呼ばれるメキシコの悪魔を呼び出し、質問したら答えてくれるという英語圏発コックリさん。
なら問題ないかも。チャーリーゲーム自体信憑性がない。ありゃあ鉛筆二本をクロスさせるから、ちょっとした空気の動きで回転するのだ。まさにお遊び。
しかし、だ。だからと言って危険性ゼロのお遊戯であるとは言い切れない。その辺を彷徨いている雑魚悪魔が引き寄せられて面白半分で契約を持ちかけてくることはたまにある。安藤はそういったお馬鹿さんを何度も説教してきた。
「いつやるんです」
「せやなあ……集まれたら明後日の放課後にでも」
「参加したいです。いいですか?」
「……もちろんや! 楽しみにしとるよ」
心底嬉しそうに、参加者をゲットした鳴海はまた明日なと言いながら自身の教室に引っ込んでいった。また踊り場は静まる。三条が長い長いため息を吐いた。
「……安藤ちゃんって命知らずだね」
「失礼すぎない?」
三条が階段を登る。慌てて後を追う。
「そんなヤバい人だったの?」
「ヤバいよお。ほんと怖いんだから」
そんなに恐れるならサボんなきゃいいのに。命知らずはどっちだよ。安藤は先ほどまで鳴海がいた踊り場にもたれかかった三条の横に止まった。
「どんな人?」
「……不思議な人?」
「なにそれ」
「噂だけどね、なんか、魚と喋れるとか、息継ぎなしで五十メートル泳げるとか、魚の餌をおやつに食べるとか、水族館の大きい水槽の前に立つと魚が全員鳴海先輩の前に集まってきて見えなくなるとか。あと、人魚飼ってるらしいよ」
「……突拍子がなさすぎる!」
「そうなの。でも信じたくなるぐらいに人間離れしてるんだよねえ」
どうやら鳴海志保という人間はかなり変わったお方らしい。こんな根や葉どころか茎すら存在しないだろう噂がまことしやかに囁かれてしまうぐらいには。
しかし、話してみた感じそんな変な人間ではなかったように思う。サボった後輩に怒っているちょっと怖い先輩。ありふれた学生。それなのにあまり良からぬ噂が囁かれるというのは一体何故だろう。しかもお遊びとはいえ悪魔を召喚しようとして。
──何かあるな。
「でもすっごい人だよ。特待生だし、あの
……皇?
どこかで、聞いたような。いや聞いたか? 確証がない。曖昧模糊としている。記憶の残滓に似たような名前でもあったかしらん。
「だれそれ」
「うんとねえ……ヤバい人」
また曖昧な。さっきから主観的な評価ばかりじゃあないか。もっと端的に、履歴書にあるようなことが知りたいんだけどなあ。
「ほら、皇財閥ってあるでしょう? そこの一人娘なんだって。実質跡取り」
「……えと、皇財閥?」
「知らない? 知っとかなきゃヤバいよ。この学校の半分の生徒の親は皇財閥の子会社と関係あるって言われてんの。だから上級生でも頭の上がらない人が多くてさー」
どうやらこの社会的地位の高い生徒が集まる学校の中でもとびきりのお方らしい。だからこそ、恐れられ、怖がられ、忌諱されているワケだ。三条の語り口ではそんな雰囲気。関わりたくないと顔に書かれている。
「しかもチョー優秀なんだよねえ。ほんとに人間か疑いたくなるレベル。学校内での競いごと、大体あの人が勝っちゃうもん」
「ふーん……。で、そんな皇先輩とやらと肩を並べる鳴海先輩とやらは何者なの? 大企業の跡取りとか?」
「いや? そういった話は聞かないなあ……。そもそもご両親がどんな仕事してるかも知らないもん。多分、誰も知らないんじゃない?」
ますます怪しいじゃないか。
素性を調べなくてはならないような気がする。コレは単なるエクソシストとしてのカンだが、どうもよろしくない。いやに気になる。
ほんと、鳴海とかいう少女は一体なんなんだろう。
……
この学校は全寮制である。
奇しくも三条と同部屋となった安藤はほんのちょっぴり気が重かった。たまたま三条は一人部屋だったらしい。数奇な運命もあるもので……。この学校は大抵二人、三人部屋だから本当にもの珍しい存在だ。
しかし、同部屋というのは気が重い。安藤は腐っても腐らなくても万年人手不足のエクソシストの一人であり、ということは深夜にコール音で叩き起こされる可能性もある。いかにして三条の目を盗みながら出勤するか。そもそも深夜に呼び出すなという話だが、まあそうはいってられないのが今の職場環境であるから、安藤は涙を飲みながら奔走するのだ。
夕食後、安藤は夜の寮の廊下を歩きながら、自身の部屋を目指しながら考える。キュ、キュ、と上履きが擦れて音がする。
まず、鳴海志保という学生について。
持ち前の遠慮のなさで周りにガンガン聞きにいったところ、ますます分からなくなってしまった。アララ……。しかし突拍子もないのは事実。人間離れした噂ばかり。
やれ実家が海の底にあるとか。生魚をまるまる一匹飲み込めるとか。鱗が生えてるとか。人魚の末裔だとか。メルヘンでファンシーでどうしようもなく御伽話的であった。このままあの堅物に報告できるかね……。
その他、メルヘンな噂以外ではやはり能力を称える、もしくは恐れる評価が多かった。頭脳明晰、努力の天才、あの人に噛み付ける唯一の挑戦者。ある者は立派だと褒め称え、ある者は不敬だと罵る。またある者は人間ではないと吐き出す。感情がなんであれ優秀さを認めているのには変わりなく、それ故に鳴海志保という人間は総じて成績優秀、品行方正、真面目でどこにでもいる学生であることになるのだが、そうなるとメルヘンな噂の出所が分からない。アンバランスでごちゃごちゃで、仮に嫌がらせで流された噂だとしても内容が内容である。嫌がらせだとしたら意味がないのだ。その優秀さを妬み幼稚に足を引っ張ろうとするならばもっと……そうだな、人には知られたくないような過去をでっち上げればいい。汚ねえオッサンと街を歩いているところを見たとか、裏アカ見つけたとか、小学生の時いじめをしていたとか、上記のように過激ではなくとも人生の間違い、汚点を並べ立てた方が効果的である。ウソだと分かっても傷ついた人物評価は直らず、偏見はこびりつくんだから。
……それでは、メルヘンな噂の出所はなんだ。
ああもう、意味が分からない。安藤は足音を鳴らしながら電灯が十分に機能していない階段を上る。部屋は三階にあるので少しだけ遠い。
あることそのままを伝えるにしても、安藤は疑問に思う。一体全体、鳴海志保の何がこの意味不明な状況を生み出したのだろうか。
そりゃ悪い噂を流されるということはそれなりに嫌われている証だろう。どれだけ聖人君子でも嫌われるときゃ嫌われるし、本人が優秀なら尚のことで、嫉妬したおバカさんたちによってクスクスケラケラお茶会の肴になる運命にある。やる方がバカなんだな、こういうのは。
しかし、此度はどうも様子がおかしい。内容が変である。そういった悪口で盛り上がるためには徹底的に相手を貶めるような内容が好ましいワケで、御伽話をでっち上げたところでなんになろう。少なくとも似たような噂がクリスマス当日のチキンぐらい売り出され飛び交っているのは事実であるから、まあそれなりの根拠があるのだろうが、それにしたって突拍子がなさすぎるのである。
安藤は考える。考えて何になると言われればならないのだけど、どうも引っかかって腑に落ちない。スッキリしない。カツンと階段を上り終えて廊下を進む。設備が古いせいか薄暗い。
ふわりと、暗闇が揺れたような気がして安藤は前を見た。
「こんばんわあ、安藤ちゃん」
目の前に。
目の前に、鳴海志保が立っていた。
「ど、どうも」
唐突過ぎたせいで淡白な返事しかできずに安藤は固まる。思わず制服の裾を握る。それと同時に、何故鳴海の存在に気がつけなかったのか疑問が浮かんだ。
「なんや、今帰り?」
「え、ええ」
たわいもない、中身もない、なんてことない会話。おそらく部屋に戻ったら忘れてしまうような、そんな世間話。それでも安藤はこの場から逃げ出したくなった。あるはずのない銃を探してしまうし、鳴海から目線を外せない。
「安藤ちゃんは部活とか決まった?」
「まだ、です。三条さんが、明日色々教えてくれるって」
鳴海志保の視線が、一挙一動が見逃せない。髪を耳にかける動作に身構える。ふわりと笑うたび背筋が凍る。声のトーン。目線の動き。指先の動作。呼吸の回数と瞬きの頻度。瞳孔の開き具合。目が離せない。それ故に目が痛い。瞬きの間すらもどかしく、恐ろしい。首筋に刃物を向けられているような不快感。緊張感。
「安藤ちゃん」
「なん、ですか」
「探偵ごっこはほどほどに。気まぐれなお姫さんが怒っちゃうからな?」
彼女はそう言って、影を揺らす。輪郭を解き笑う。目を細める。暗闇に溶ける。
そうか。わかったぞ。鳴海志保の不可解でメルヘンな噂の出所が。
──鳴海志保は、これ以上ないほど不気味な存在なんだ。
……
「というワケなんだけど」
『冗談か本気かちょっと判断しかねるのでもう一度よろしいですかー?』
電話口の佐山はため息を吐いてそう言った。
深夜一時。もちろん就寝時間。非常識にも程がある時間帯に、安藤は公衆電話を陣取って小声でヒソヒソ話していた。十円玉がチャリンと音を立てて消えていく。小型ケータイを支給してほしい。
『鳴海志保が不気味って話はよおく分かりましたよー? でもですねー、根拠がないじゃないですかー。悪魔の気配がしたとか、権能を使ったとか、十字架とかに反応したとか。そういった……なんだろ、分かりやすい反応じゃないと。何十体もの悪魔を祓ってきた安藤陽葵としてのカンってのは、社会的に信用ならないんですよー』
「ヒドイ話ね」
『マッタクです。……しかし現実問題、鳴海志保から悪魔の気配はしなかったんでしょー? 思い違いではー? 悪人でなくとも容姿で何度も職務質問を受ける人間ってのは一定数いますしー』
「……気配がしないのは事実よ。でもあたしが察知できない程に弱っちいのかもしれない。逆に強大すぎて飲み込まれてるのかもしれない。一年中猛吹雪が続くような土地に住む人間は晴れの日を想像しないように。猛吹雪が異常だと気づかないように」
『それはそうですがー……。でもですよー、とにかく確認しないことにはコチラも動けません。コイツもしかしてそうかも、なんて憶測で動いたら全人類が捜査対象です。安藤先輩は引き続き調査をお願い致しますよー』
「今夜の任務はない?」
『ないですよー。というか、あくまでも安藤先輩は潜入調査中なんですから大人しくしてくださーい』
「つまんないわね。はいはい、おやすみなさい」
『つまんなくないですー。それでは、おやすみです』
ガチャンと電話は切れた。安藤は十円玉をポケットに入れて自室を目指す。
結局のところ、そうなのだ。鳴海志保がどれだけ怪しかろうが決定的な証拠を出さない限りお役所仕事的なところがある教会は動けない。とにかく確かめるしかない。鳴海志保が単なる一般人なのか、それとも悪魔使いなのか。冤罪でアルベルトに火刑にされたらそれこそ夢見が悪くなる。確認は大事だ。右よし左よしもう一度右よし。生死が関わっているので間違えちゃったてへぺろでは許されぬ。結構デリケートな問題なのかも。
もういっそ安藤を殺しにきてくれないかしらん? 決定的だし捜査は早く終わるし何より戦えるし。いや、鳴海が傲慢の悪魔使いと決定したワケじゃあないけど、それでも何かしら隠しているんだろうなあぐらいには安藤は思っている。灰色はとりあえず罰しとくのが安藤の考えだ。
そこまで考えて、急に袖口を引かれた。
廊下の角に引っ張られる。尻餅をついた。痛え。
「きゃ、あ!」
「声を出すな馬鹿者。私は怪しい者でもなきゃ警備員でもない。君の味方だ」
「最初そういうこと言うタイプのキャラは裏切る確率高くない?」
「そうか? とりあえず口を閉じろ。指導室に連れて行かれたくなければな」
安藤は袖口を引っ張って尻餅をつかせた張本人を見やった。
暗闇の中ではわかりづらかったが、どうやら制服姿の女学生らしい。いや、この空間では教師以外それしかないんだけど、確認は大事だ。安藤は立ち上がる。
まあ、結構な美人さんだった。切り揃えられたミルクティー色の髪とキリリとした瞳。首に一周ぐるりと円を書くように傷痕がついているが、凛とした立ち振る舞いにより戦士の勲章に見えなくもない。あれだな、可愛いよりかっこいいタイプ。どちらかといえば守られるより守る方が似合う、そんな子だった。
「あなたは──」
「だから黙っていろと言っているだろ。お口チャックだ。巻き添えはごめんだぞ」
とりあえず口を閉じる。廊下の奥からカツン、カツン、と足音がする。
足音の正体は警備員だった。
廊下の曲がり角、その角に身を隠す二人が一瞬だけ懐中電灯に照らされて、すぐ引っ込んだので気づかれずに済んだ。いつの間にか詰めていた息を吐く。少女が身を乗り出して確認する。
「行ったな。もう喋ってもよろしい」
「はあ、どうも。……助けてくれてありがとう」
「巻き添えを喰らいたくなかっただけだ。……君はこんな深夜に何をしていた?」
「電話。重篤なホームシックなの。あなたは?」
「私は今帰ったところだ。夜遊びだな」
ほう、夜遊び。この不良娘め。しかも制服姿。素直に怒られときゃいいのに。
安藤は立ち上がり目線を合わせる。少女がおや、と口を開く。
「……君は件の転校生か? 話は聞いているよ、安藤陽葵殿」
「そりゃドーモ。……あなたは?」
「私は──」
少女は暗闇の中笑う。最愛の人との再会を喜ぶように。
「私は
……
「安藤ちゃんって度胸あるね。てか命知らずだね……」
部屋で三条に再度お叱りのような叱責をされた。
皇五十鈴というビックネームに幸運にも(全く幸運ではないかもしれないが)出会った安藤は安藤のために夜更かしを決行していた三条になんとなしに報告した。三条はどうやら非日常を好むタチらしい。電話のために夜更かしをするところまではノリノリで、コチラが若干引いてしまうぐらいだったのだが、安藤のビギナーズラックで起きた出会いにより打って変わって三条は安藤を信じられないモノを見る目で見つめていた。チクショウ。あんなにノリノリだったのに。見つかったら三条も怒られるのにすごい勢いで背中を押して見送ってくれたのに。
「皇先輩でしょ? 会話もしちゃったんでしょ? ……うーん、命知らず」
「ヒドイ言い草じゃない。ちょっぴり喋っただけよ」
安藤はベッドに腰掛けながら正面で渋い顔する三条に言い訳じみたことを言ってみた。三条はため息を吐く。
「……皇先輩はねえ、なんて言うか、アンタッチャブルって言うか……とにかく、あんま関わらない方がいい人、かな」
三条は重苦しい口調で。
「たとえばさ、総理大臣とか、大統領とか、国王とか、そんな人じゃなくても目上の人と話す時って変に緊張するじゃない。自分と関係あるなら尚更。この人の機嫌次第で自分の将来がどうなるか決まる……って状況が、ずっと続くの。もちろんこの学校に皇財閥に関係ない人間なんていない。みんなみんな皇財閥の手足で、だからこそ次期頂点となる皇五十鈴が恐ろしいの。あの子に嫌われたら首がちょん切られちゃう。不思議の国のハートの女王ってとこかな、うん」
「そんな、大袈裟な」
「ああ、安藤ちゃんは外から来た人だもんね。うん、確かに異常だよ。……でも、この空間だと大袈裟でもなんでもないの。教師も、大人も、誰も彼も彼女に従っている光景を見ればそんな考えは吹き飛ぶよ。だから夜遊びが見逃されてるんだし。……とにかく、みんな怖い。だから触らぬ神として遠巻きに眺めてるの」
皇五十鈴は。
皇五十鈴は、何者なんだろうか。
異常だ。おかしい。一介の小娘が──たとえ財閥嬢として崇められていても、直接的な権力を持っているワケじゃない。子供なんだ。子供は結局大人に敵わない。安藤は身をもって知っている。だからこそ、おかしい。教師さえ彼女に服従しているという事実。ただえさえ教師なんて生徒に対して絶対的な権力を持つのだから。彼女に従う理由なぞゼロに等しい。
この空間はいつから
ああ、それは置いておくとして、とにかく鳴海志保も異常となった。この空間で、この学校内で、皇五十鈴に従わない反乱分子。アリスかよ。いや、あんな気味の悪いアリスがいてたまるか。とにかく、ハートの女王に噛み付く恐れ知らず。実家が何やってるか知らないが、この学校にいるということはそれなりのお金持ちなはず。どういうことだ。ワケがわからない。
「じゃあ、何? 結局鳴海先輩って何者なの?」
三条は諦めたように笑って言う。
「だから言ってるじゃない。不思議で恐れ知らずであの人に噛み付く危険人物。またはよほどの馬鹿。あの人は本当に人間なのかと、疑いたくなっちゃうような人だよ」
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