第40話 鈍色の記憶


 気がつくと、元の景色。遺跡はその水晶の色を取り戻していた。

「私は、お前を殺しにきたのだ。私を孤独に貶めたお前を、私から全てを奪ったお前を」

 口を開いた彼女の瞳からは、涙がこぼれていた。ガクと同じ琥珀色の瞳。既視感の正体は、彼らが姉弟であることを示していた。

「お前の姿を見たとき、初めは混乱するばかりだった。私がいるべき場所に、別の人間が、それも、呪われた子ではないお前がいたのだから。私の居場所など、もとよりなかったのだ」

「……俺は……」

 返す言葉が、見つからなかった。自分が彼女をここまで追い詰めてしまったのだ。知らなかったとはいえ、いや、知らなかったからこそ、その罪は重く感じる。

「あるいはあのときフィリスについて行っていれば、別の道もあったかもしれない。だが、あのときの私には両親を探すという以外の選択肢はなかった」

 ティリスが目を伏せる。長いまつ毛はかろうじてこぼれそうになる涙をとどめていた。


「愛されなければ、すべて滅びてしまえばいい。そう思い始めたのはその頃だった。そんな時、この世界のバランスを取っている存在、そこに倒れている双子の存在を知った。二人を引き放せば世界が滅びに向かうということも、それを利用してお前をここまでおびき寄せるというのも、そうして思いついた」

「でも、そんなの……」

「間違ってるとでも言いたいんだろう。そういうところが、気味が悪いんだ。いくら虐げられようと、暴力を振るわれようと、何故その人達を許せるんだ。何故奴らを憎悪しないんだ!」

「それは……」

「……お前のせいで、両親も死んだんだ。お前がいたから、彼らは……これは復讐でもあるんだ。だから、お前には今ここで死んでもらう。その後に、この世界を壊す。そして、私も死ぬ!」

 ガクが目を丸くする。振り上げた彼女の剣が彼の肩を貫いた。元々まだ剣術を始めて間もない彼には相当な一撃だった。なんとか彼が持つ不思議な力でその猛勢を食い止めようとしていたが、どうしようもなくじわじわと壁際に追い詰められていくのだった。ミアーは手加減をしているようで、その不気味な笑みがやけに恐ろしい。ガクの通った跡を、血が辿っていた。彼の背が遺跡の壁につく。弾き飛ばされた彼の剣が、激しい音を立てて床に転がった。

 絶体絶命。彼の細い首には彼女の鋭い剣の先が向けられていた。結衣菜は思わず目を背けたが、ガクは叫ぶ。彼の目は何よりもまっすぐ、彼女を捉えていた。

「殺すなら、殺せばいい。それであなたが幸せになるなら、それで、あなたのその悲しみが癒えるなら!」

「言われるまでもない!」

 叫んだ彼女が剣を振りかぶる。剣が振り下ろされるその瞬間、ガクのペンダントがまばゆい光を発した。


***


 気がつくと、辺りは鈍色に包まれていた。

 見覚えのある景色。そこは先ほどミアーの夢で見た家の中だった。これはきっと、ガクの記憶だ、と結衣菜は思って家の中を見回した。今のガクがもう少し年齢を重ねれば彼のようになるのだろう、ほとんど瓜二つと言ってもいい男性、彼の父が椅子に座っていた。唯一違うのはその煌めくアイスブルーの瞳ぐらいだろうか。その人が持っていた小さな紙切れをみて、まだ幼いガクが声を発した。

「それはだあれ?」

「これはね、あなたのお姉さまよ。ガク」

「お姉さま?」

「そうだ。ガイラルディア。私達はお前が生まれる前からずっと、この子を探している」

「何でお姉さまなのに一緒にいないの?」

 小鹿のように愛らしい瞳で見つめながら、彼は尋ねた。

 困ったように表情を曇らせる母に代わって、父が言う。

「いずれ理由はわかるさ。そうだガク、お願いがあるんだ」

「いいよ! なぁに!」

 元気よく返事をしたその子に彼は微笑んで優しく頭を撫でる。

「父さん達を手伝って欲しいんだ。この子を一緒に探そう。一日でも早く一緒に暮らせるように」

「分かった! 僕も一緒にお姉さまを探す!」

 そう言った彼の姿が、景色に溶けた。


──場面が変わった。

 野原をかける少年達。

 ガク以外はディクライット族の子供だろうか、四人一組、二つのチームで争って地面に転がした球を追う姿は、何かの競技のように見えた。その中で先頭を走るガク。

 彼の蹴った球が、木の棒で作った柵のような間をくぐり抜けた。友人であろう赤髪の少年が彼に駆け寄る。

「やったなガク! またお前にやられっぱなしだよ~」

「へへへ、これだけは得意なんだよ」

 照れくさげに笑う彼に他の子供が声をかけた。

「そういえばがっくんのお家って何処にあるの? 遊びに行きたい!」

 ガクは女の子の提案に少し困った表情を見せる。

「えっえーと、僕の家は……」

 不思議そうに顔を覗き込む子供達に彼は一歩後ずさった。

「ごめんね、教えちゃダメって言われてるんだ」

「えー!」

「なんでー!」

 彼らが文句を言うと、ガクは帰るよと彼らに背を向けた。

 その後ろで子供達が悪戯そうにニヤッと笑ったのが見えた。


──また、場面が変わった。

 一度街の中を通ってから再び先ほど遊んでいた草むらに戻ってきたガク。

「ふぅ。毎回毎回めんどくさいなぁ」

 そんな文句を口にしながら歩く彼が向かった先は街とは逆の方向にある森の中だった。

「今日は上手くいったんだ」

 先ほどの武勇伝のことだろうか、そう嬉しそうに語るガクに声を返すものがあった。正確にはそれは声だけだったのだが、男性とも女性ともつかぬものであった

――私が助けてあげたのよ。感謝してよね。

――それはいいけど、やたらと俺の上を走り回るのはなぁ。うるさくてかなわん。

 どちらも違う声色で、おそらくガクが言っている精霊さんの声なのだろう。普段は聞こえないがガクの記憶を通して彼らの言葉を聞いている……少し不思議だ。すると、見覚えのある家に辿り着く。

「父さま、母さま! ただいま帰りました!」

 勢いよく入ってきて抱きついたにもかかわらず軽々と彼を頭上に持ち上げて抱きしめた父の幸せそうな顔がとても印象に残った。隣を見るとその母も彼を見て微笑んでいた。

――幸せな家族。

 その一言だった。その時扉を叩く音が聞こえた。

「がっくーん! 遊びに来たよー!」

 それまで微笑んでいた父の顔が、急に青ざめた。

「ガク、家を教えたのか?」

 首を振る彼に「じゃあ仕方ないな」と言った父は悲しそうな顔で彼の頭を撫でた。そして、母が扉を開けて微笑む。

「ガクの友達ね。いらっしゃい、ちょうど作った菓子パンが余っているの」


──また、場面が変わった。

 どうやら家までついてきてしまった子供達はもう帰ったようで、その日の夜のようだった。少しウトウトしていたガクを、優しく母が揺り起こした。

「ガク、起きなさい。出かけるわ」

「出かける? どこに?」

 彼女は尋ねた彼に微笑み、包み込むように抱きしめた。

「良いところよ」

「また、別のところを探すの? 僕もう嫌だよ」

 そういった彼を彼女は見つめた。

「……ガイラルディア。どうしようもない事なの。あの人達は……あの子達のお父さんお母さんは、私たちのことが嫌いみたい」

「……僕たちの髪の毛の色が違うから?」

「……ええ」

 悲しそうに笑った彼女に少年は不思議そうに尋ねた。

「どうして? どうして違っちゃいけないの?」

 母親は一瞬言葉を失う。しかし次の瞬間には優しい笑顔で彼の頬を撫でた。そして眉を寄せて語る。

「……この世界にはね、見た目や能力でその人がどんな人かって判断してしまう人がいるの。その数は少なくないわ。でも、あなたはそんな風にならないで。そして、どんなに傷ついても、酷いことをされても、私たちのこの力を人を傷つけることに使ってはいけないわ。そんなことをしても、みんなが悲しくなってしまうだけだから。……いい?」

 素直に頷いた少年に彼女はありがとうと微笑み、優しく頭を撫でた。


──場面が変わった。

 馬が車を引く音だけが聞こえていた。揺れる馬車、その中には母とガクが休んでいた。ガクは心配そうに母の服の裾を掴む。

「お馬さん、疲れたって言ってるよ。大丈夫かなぁ?」

「そうね……でも、このままだと……」

 彼女がそういった瞬間、勢いよく馬車が止まった。

「……母さま、こわい……」

 目に涙を浮かべて抱きついた少年に彼女は「大丈夫よ」と背中をさする。その体に触れる彼女の手もとても震えていた。彼女の恐怖が容易に伝わり、しかしまだ幼いこの子には悟られてはいけないという強い意志が感じられる。

 唐突に馬車の扉が開いた。焦った様子の父。

「ガク、馬車を降りて茂みに隠れなさい。決して目を開けてはいけないよ」

「どうして? 母さまたちは?」

「私たちも後で行くわ、大丈夫よ」

「でも……」

「良いから早く行くんだ!」

 突如として飛んだ怒号に驚いて怯える彼をごめんなと言って抱きしめた父親の瞳はしっかりとその子を見つめていた。父親の大きくてごつごつとした手が、彼の髪をくしゃくしゃと撫でる。

「大丈夫。お前はいい子だから、待っていられるね? ……どうしても不安なら、私がお守りをあげよう」

「……お守り?」

「ああ、お守り」

 彼がそう言いながら首から外したのは金色のペンダント──それはガクがいつも身につけていた物だ。母親は目を丸くした。

「セオドール。それは……」

「いいんだアロウィーン。この子が持つべきだ。それに私たちはもう……」

 彼は腰に携えていた装飾が沢山付いた宝剣と共にそのペンダントを少年の手に置いた。

「困ったときや怖い時、苦しい時は、これを握って祈るんだ。そうすれば、怖くなくなるから。な?」

 堪えきれず涙を流して少年を抱きしめた母を父が優しく包み込む。嗚咽の声が漏れ、二人は俯くその子を再び優しく撫でた。少年は少し不安げな顔で、しかし両親が何を思ってそうしているのかが、いまだ理解できないような風であった。

「さぁ、早く行くんだ。ガイラルディア」

 父のその声に少年は小さく頷く。

「……早く来てね」

 背中を向けて馬車を降りたその子に、「愛しているよ」という声が聞こえた。


──信じられない光景だった。

 その子が隠れていたのは木と木の間の背の高い草の中で、まだ小さい身体の少年を匿うには十分すぎる空間であった。

 必死で目を背けようと握りしめたペンダントと短剣に汗が染み入る。聞こえていたのは何人もの男の怒声。お前らのせいで自分たちの家族が、住む場所が奪われたのだと、その人たちは重ねるように両親にその言葉を浴びせていた。

 浴びせられていたのは言葉に限らず、その暴行はとどまるところを知らなかった。計り知れない恐怖のためか、涙も流せずにただ震えていた少年は、彼らが亡骸となった両親を馬車に乗せ、それに火を点けて去るまで、その目を背けることはできなかった。

 ふらふらと焼き尽くされたそれに近寄った彼の足取りは抜け殻のように力なく、黒く染まった空からは雨が落ち始めていた。



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