第38話 相対する星々
「僕は……彼女に……彼女を……どうか、姉さん」
クラリスの口から赤黒い血が漏れ、咳き込む。先ほどの猛攻のせいか、彼は相当弱っているらしい。
「クラリス、もう話さないで。大丈夫、大丈夫だから……」
涙を流しながらそういい続ける彼女の傷も、決して浅いものではない。息も絶え絶えな二人を支えるように春樹は必死で回復を続けている。
「……つまらぬな、パリスレンドラーとて、所詮は利用価値のない捨て駒にすぎん」
「二人を物みたいに……」
「物? ……そういう言い方もあったか」
彼に気づいた彼女が冷たく言い放った。ガクが何かを言いたげに拳を握りしめる。
──こんなこと、いうつもりはなかった。
「あなたは、いったい誰? ガクと同じ種族なのに、仲間なのに、どうしてこんなことをするの? どうしてみんなを傷つけるの……?」
「結衣菜!」
結衣菜は気がついたら立ち上がって口を開いていた。娘を心配する春樹の声が聞こえた。足から流れる血が気持ち悪い。怖い。けれどそれよりも大事なことがあった。
「もうやめて、お願い。どんな理由があっても、命を粗末になんかしちゃいけない。人を傷つける理由になんかならないよ!」
結衣菜は赤い髪の女を見上げた。それは彼女の力に対する恐怖なのか、傷ついた人達への悲しさなのか分からなかった。目から何か熱いものがポロポロと流れていき、彼女はそれを左腕で拭う。どこでついたのか、血が伸びた。
「ユイナ……」
「そんな綺麗ごと、私には関係ない。……私はミアー。不必要なもの。世界を壊すためだけに、ここまで来た」
彼女の琥珀色の瞳と目があう。ぞっとするほど冷たいその瞳に宿るのはとても単純な感情だった。
──怒り。
人が世界を滅ぼすほどの怒りとは……。逡巡した結衣菜には魔法が飛ばされた。寸前のところで飛びのいた彼女に彼女の剣線が迫る。自分の身長ほどある大剣を軽々と操る彼女の攻撃を避けながら、結衣菜はだんだんと追い詰められていった。
限界を感じた結衣菜に向かって振りおろされた大剣。それを受け止めたのはティリスだった。相当な重さなのか受け止めた彼女の腕が今にも耐えられずに弾かれてしまいそうなほど震えていた。
「なかなかやるわね」
挑発的な言葉をミアーにかけて口の端を引いたティリスは結衣菜に目配せをする。
――合図だ。
『いい? 私が合図をしたら、光の魔法を使って。一気に距離を詰めて、畳み掛けるのよ』
それが、今回の戦いで彼らが決めた唯一の作戦だった。
「エーフビィ・ビアーインドュルケンデ・リヒト!」
結衣菜の手のひらから光が迸り、鈍い金属音が鳴った。ティリスがミアーの剣を振り払ったのだ。光の魔法を発動させたと同時にミアーから距離をとった結衣菜は彼女を取り囲むように炎の壁を作り出す。この瞬間に相手を囲み、一斉に攻撃を仕掛ける算段だった……の、だが。
炎の壁の中から悠然とその姿をあらわす女。さも当然のように炎を纏いながら歩くその姿に、結衣菜達はただ呆然と立ち尽くす。彼女がこちらに向かって歩いてくると、結衣菜の体にとてつもない重力の様なものがかかる。炎の壁を持続させる力もなく、結衣菜は地に伏した。体が動かない。
「ユイナに手を出すな!」
チッタが金色の毛をなびかせて彼女に突っ込んでいったのが見えた。彼女の攻撃がチッタに浴びせられる──そのとき、彼を庇って倒れたのは、春樹だった。
「お父さん!」
返事をしないその体に覆い被さられ呆然とするチッタに追ってミアーの攻撃が降りかかり、チッタの体も地に伏した。双子は立つ様な体力も残っていない様で、ただ呆然とその様子を見つめていた。ガクも結衣菜と同じ状況である。
そのとき、女の注意が別へ向いた。ティリスがミアーに斬りかかったのだ。ティリスの剣を受けた大剣が暗い炎を宿す。
「宿魔法? ……貴女一体?」
ティリスの驚愕の声が遺跡の冷たい水晶に響き、反響する。
「……剣聖フィリス・バスティード」
「……何故母を?」
言葉を交わした彼女らは間合いを取り、お互いを見据えた。
「私が唯一尊敬する者だ。その娘と戦えるとは」
「そう。あなたも母の剣を……。ならば私は負けられない」
二人の間で何かが通じ合ったのだろうか、ミアーを見つめるティリスの目が、いつもよりも鋭くなった様に感じた。
「容赦はしない」
「……行きます」
剣先を振りかぶって勢いよく駆け出したティリスに、ミアーの大剣が降りかかる。飛びのいた彼女がいた場所に大剣が突き刺さり、ティリスが一気に間合いを詰めた。ミアーは床に突き刺さった大剣を引き抜きもせず、代わりに腰に携えていた長剣を引き抜いた。抜刀と同時にティリスの剣が振り下ろされ、金属の音が響き渡る。
何度も鳴り響く金属音。
ミアーの剣筋よりティリスの方が早い。しかし双子は意識を失っているようで、チッタは目を覚ました様に見えたが、とても戦える様な傷ではない。ヴィティアは部屋の隅でうずくまって唸っていいて、依然結衣菜とガクは身動きが取れない状態だ。
いくら優勢だと言っても、ティリスを援護することも、逃げることもできない彼らは、激しい剣のぶつかり合いの様子をただ見ているしかなかった。攻防がいつまで続くかと思われたその時、ティリスがミアーの長剣を彼女の手から弾き飛ばした。
「……終わりね」
武器を失ったミアーを、息が上がりながらもティリスがゆっくりと追い詰める。全員が勝利を確信したその時、ミアーがティリスに向かって駆け出し、そしてティリスが崩れ落ちた。
立っていたのはミアー。崩れ落ちたティリスの腹からは鮮血が流れ出ていた。ティリスの腹には短剣が刺さっている。
「汚いわ……こんな……うっ」
「これを卑怯というから甘いのだ。お前の母親もそうだった。……生きるために、綺麗事は必要ない」
吐き捨てる様に言った彼女は先ほど飛ばされた長剣を拾い、後ろを振り返る。そこには意外な人物が立っていた。琥珀色の目があった。ガクはいつのまにか重力のような力を振り解き、剣を構えていたのだ。
「もうこれ以上皆を傷つけるな」
「お前に何ができるというのだ。私には勝てない」
「やってみないと分からないだろう」
琥珀色の瞳が、朱色を帯びた様に感じた。
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