「生産されたこの少女は、どういう世界で生まれ、生きることを運命づけられたのか」
読者はゆっくり理解させられる。木彫り熊ひとつが単なる北海道土産ではない。
国家が生産した無機質な命の物語に抵抗する、手仕事の象徴として描かれる純文学である。
かつて人間が、畑から採れるように生まれていた時代があった。
農村には次の世代が育ち、国家はそれを労働者として都市へ送り、兵士として戦場へ送り出した。
個人を丁寧に育てるというより、世代という大きな束から必要な人数を刈り取る発想である。
日本も近代化とともに「多産多死」から「少産少死」へ移行し、戦後には出生率が急低下した。人間が豊富な資源であるという前提そのものが、歴史の中で崩れていった。
HPプロジェクトは、その変化への近未来的で、そして恐ろしく合理的な回答だ。
畑で人が採れなくなった。ならば工場で作ればいい。
親が不足するなら、ヒューマノイドに育てさせればいい。
出生数が足りないなら、国家が需要を計算して発注すればいい。
しかし、人間を効率よく生産できる社会は、同時に、人間を効率よく処分できる社会でもある。
役目を終えた親は「リサイクル」される。
生まれた子どもは、受けた教育や税金への恩返しとして社会貢献を求められる。
命を守るために作られた制度が、いつしか命の用途を決め始める。
物語は中盤から制度、出生、血縁、人権、リサイクルという重い主題を次々と積み上げる。このまま社会派SFの硬い地面へ落とされるのではないかと不安に駆られる。
ところが最後に、ドスンと純愛へ着地する。
この冷たいSFが、最後には純愛へ強硬着陸する。キジトラタマ先生の作品にはこの芯がある。
これから読む人は、安心して、この感情のジェットコースターを楽しんでもらいたい。