75 対面

小園こぞの――、ありがとう」


 その言葉と同時に、大稚だいちの両腕が、体を挟んで背中まで伸びて来た。

 不意に、抱き寄せられる。


「あ――」


 驚く間もなく、大稚だいちの胸に顔がまる。


 ――温かい……。


 抱きしめると言うほど、力は入っていない。どちらかというと、軽く包み込むといった感じである。

 これはきっと、感謝のハグ――、のつもりなのだろう。


「もう一度言っておくけど、もし居心地が悪くなったら、すぐに部屋を出て行ってくれていいからね」


 耳元で、大稚だいちが優しくささやく声がした。


「……うん」


 ――おっと……。


 ハッとして、意識を現実に戻す。

 頭がボーっとして、危うく、役割を忘れてしまうところだった。


 この人は時々、ごくごく自然に、想定外の大胆なことをする。


 ――こういうことは、幼馴染みの女の子にも、よくしていたのだろうか……。なんてことは、今は考えないでおこう。


 いずれにせよ――。


「それじゃあ、行こう」


 大稚だいちの、気合いの入った掛け声。


了解ラジャ


 ――俄然がぜん、やる気が湧いて来た!


 精一杯、首を縦に振る。

 自覚はなかったけども、実は自分で思っている以上に、現金な性格なのかも知れない。


 大稚だいちの体が離れるのに合わせて、2人一緒に、扉の方を向く。


 ――いよいよここからが、本日の集大成。


 大稚だいちの手が伸びるよりも先に、扉のハンドルに手をかけた。

 大稚は少し調子が狂ったようだったが、ふふと笑い、ハンドルをこちらへ譲った。


 その「どうぞ」というジェスチャーを確認してから、扉を横へ、一気にスライドさせる。

 力いっぱい横へ引くと、幕が開くように、目の前の視界がどんどん広がった。


 しかし直後――、思いがけず、ガコンという衝突音が周囲に響き渡った。

 扉は軽く横へ引けば、自走じそうで開くしくみになっている。それをすっかり忘れ、つい手に力が入り過ぎてしまった。


「嘘……」


 背筋に、緊張が走る。


 ――信じられない。まさかこんな場面で、ミスをするなんて……。


「やだ……、ゴメンなさい」


 途端とたん委縮いしゅくしてしまい、足が数歩後退する。

 危うく、後ろを通ったスノーマン型給仕ロボに、ぶつかるところだった。


 大稚だいち呆気あっけにとられつつも、目が合うと、手を口元に当てクスクス笑う。


「――問題ないよ。小園は結構、力があるんだね」

「へ……?」


 ――ああ、穴があったら、入りたい。


 たしかにボランティア活動のおかげで、力にはある程度自信がある。

 けど、められたい部分ではない。


 ただ、不幸中の幸い、とでも言おうか。

 このハプニングのおかげで、それまでの緊張感や不安は、一気に吹っ飛んだ。

 手の震えも、もうない。


 もう一度、仕切り直しだ。


「こっちへ」


 大稚だいちが、手を差し出す。

 その手を取り、大きく開口した扉の前に2人並んで立ち、真っ直ぐに前を見据みすえる。


 間を置かずして、横目に、大稚だいちの顔が縦に大きく振れるのが見えた。

 ミッション開始を告げる、合図である。


 その合図を受け取り、病室内へ、最初の一歩を踏み入れた。

 そのまま足を止めず、正面のクローゼットまで突き進む。なるべく自然な速度を心掛け、一歩ずつ、着実に前進する。


 大稚だいちは開いた扉をそっと閉じてから、背後へ続いた。


 とても柔らかい視線が絶えず向けられているのは、ベッドが視界の端に入った時から、ずっと感じている。それが村元綾香むらもとあやかさんのものであることも、もちろん承知している。

 肌感触ではあるが、今のところ落ち着かれている様子だ。


 背後から大稚だいちすすめられたため、着ていたコートとマフラーをはずし、窓際に置かれた2人掛けソファの座面部分に置いた。

 大稚のモノは、アーム部分に引っ掛けられてある。


 ベッドサイドまで近づき、顔を上げると、そこには興味津々な眼差まなざしでこちらを見つめる、1人の女性の姿があった。上体を起こし、両手はふとももの上で重ねられている。


 見たところ――、表情は穏やかで、にこやかに笑みを浮かべている。

 肌は血管が青く浮き出るほどに白く、ガウンの袖口そでぐちから出ている手首は、折れそうなくらいに細い。左手には、点滴チューブがつながれている。


 痛々しい姿ではあるが、明るいピンク系の口紅がきめ細かい白肌に映え、とてもよく似合っている。キレイにセットされた肩までのボブは、上品で若々しい。


 ――優しい空気をまとった、美しい女性――。


 それが、第一印象である。

 気のせいか、顔はどことなく、誰かに似ている気がした。


 背筋を伸ばし、挨拶代わりに、ペコリと小さくお辞儀する。


 すると綾香さんの顔には、たちまちあふれんばかりの笑みが広がった。

 造形では表現しきれない繊細な筋肉の動きに、一瞬目が奪われる。HPの母も多彩な表情を持ってはいるけども、やはり本物の人間は比較にもならない。


 目の端には、光るモノまで見える。感激で胸が一杯――、といった様子だ。


 それはまるで、映画のワンシーンを見ているかのようだった。

 目に映るシーンに、胸の奥が刺激され、心が大きく揺さぶられる。瞬きをする度に、心臓の鼓動が速くなる。こんな感覚は、生まれて初めてである。


「彼女は、小園アイリさん。学校は違うけど、僕と同じ、中学2年生だよ」


 大稚だいちに紹介され、もう一度、今度は少し深めにお辞儀する。口は閉じておくよう言われているため、無言のまま、笑みだけを浮かべる。綾香さんの目が片時も離れないのが少しくすぐったいが、できるだけ真っ直ぐ、前を見るよう心掛けた。


「14歳……、なのね」


 綾香さんのくちびるが、わずかに動いた。

 周囲に聞こえるか、聞こえないかくらいの声だった。


 大稚だいちは一言も「HPC」だと口にしてはいないが、喜びに満たされたこの表情からいって、綾香さんの確信に疑いはないだろう。

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