第2話 いつもの朝に
薄明の光が差し込む庭、かすかな冷たい空気が漂う。両親の職場であるブリュメンバッハ城の尖塔が朝靄の中、遠くに見える。
ヘルミーネは昨夜の熱い想いを胸をわすれないうちにと、外へ出た。いつもよりも魔力が充足しているような気さえする。目を閉じ、深く呼吸をして鼓動を落ち着かせた。
「集中、集中……」(前みたいに植木を燃やさないように……フレイムスティンガーをしっかり丸太に当てるだけ。私ならできる!)
叔母がヘルミーネの生まれ年に植えたオークの木の一部を消失させてしまったことが、まだ心に刺さっている。あわてて魔法を無効化するのを忘れたあの日、炎は止まることを知らず、木の大半を消失させた。魔法が恐ろしい力であることを肌で実感した。
「まぁ、そのおかげで庭にりっぱな煉瓦の壁ができたわけだけど……」ヘルミーネは苦笑した。
その失敗以来、壁職人たちがやってきて、今では見事な彫刻を施した煉瓦の壁が庭を取り囲んでいる。かつて緑豊かだった植木は、焦げ跡を残したまま、その後ろにひっそりと隠れている。火の被害をこれ以上出さないよう、そして魔法の秘匿に努めるようにと、両親の遠回しの気遣いがそこには込められていた。
ヘルミーネは炎の形状や大きさを強くイメージした。魔力が全身を駆け巡る感覚がある。それを手に集める。
「熾炎の精霊よ、悪魔リリアンの名において命ずる。イグニス・コンスマト・オムニア!(焼き尽くせ)」
手の平に一本の炎の矢が鮮やかに浮かび上がる。彼女の手の中で、震えるその矢は、今にも標的に向かって飛び出すように見える。不可視の弦を引くと、張力で力を蓄える。彼女は丸太に標準を絞った。
「いけえ!フレイムスティンガー!!」
炎の矢が空気を切り裂くように飛んでいく。一瞬の閃光の後、一本の丸太に命中。それは通常の火ではありえない、丸太に絡みつくように火を絡めた。
しかし、ヘルミーネは満足しない。以前リリアンの母、エレオノーラおば様に見せてもらったものは、雷撃魔法で一気に五本倒しする強力なものだった、それに比べたら、発動は遅いし、威力も弱い。
「まだまだね……」ヘルミーネは肩を落とす。
「お姉ちゃん、殺し屋にでもなるの?」
背後からの皮肉な声に、ヘルミーネは顔をしかめる。振り返ると、十歳の妹ルイーゼがニヤリと笑っていた。
「ルイーゼ、そんな冗談、言わないで」ヘルミーネは肩を落として、たしなめた。
「冗談じゃないよ?だって、お姉ちゃんの魔法、かなり怖いもん」
「怖がらせるつもりはないの。これは……その、防御のためよ」
「へぇ、女の子は男の人に守ってもらうものよ?」エマの目が好奇心で輝く。「あ、それと、朝ご飯だってさ」
ヘルミーネは答えに窮する。確かに、彼女自身もまだ魔法の真の使い道を掴んではいなかった。
すでにルイーゼは館へ戻った。ヘルミーネは燻っている丸太を見て、もし人間だったらと想像してみた。「殺し屋」という、さきほどの妹の一言が心に引っかかる。頭を振って残酷なイメージを振り払う。
朝食の間。テーブルには温かいパンと果物が並ぶ。
「どうだ、魔法の練習は順調か?」父が最近印刷所で開始された『Zeitung(ツァイトゥング)』(新聞の前身のようなもの)から顔を上げた。
「まあまあ……」ヘルミーネは曖昧に答える。
「まあまあって、丸太は真っ黒こげだったよ、えへへっ」ルイーゼが口を挟む。
「ルイーゼ!」ヘルミーネは妹の頭を叩こうとしたが、避けられた。
「大きな力には大きな責任が伴うものなの」母がルイーゼを優しく諭す。「だから、お姉ちゃんの邪魔はしないでね」
「子供扱いしないで!」ルイーゼが反論する。近頃、反抗気味である。
父は新聞を置くと、真剣な表情でヘルミーネを見つめる。
「ヘルミーネ、お金と同じだ。魔法を万能だと思うなよ。使い方を誤れば自分を破滅させることだってあり得るんだ」
「わかっています、お父様」ヘルミーネは静かに答える。
「そうか。お前なら大丈夫だと信じているよ」父は微笑んだ。
席を立ち、コートを羽織りながら父が言う。
「さて、わたしも銀行で錬金術という魔法をかけてくるよ。行ってきます」
母が小さく笑い、ヘルミーネとルイーゼは顔を見合わせる。
「お父様のその魔法、いつか教えてください」
ヘルミーネが冗談っぽく返す。
「それはな、最も習得が難しい魔法なんだぞ」
父はウインクして、ドアへ向かった。
ドアを開けると、そこにはリリアン・フォン・リッツェンシュタインが立っていた。金髪に灰色が混じった癖毛のアッシュブロンドをボブヘアにしている。前髪が長すぎで、目元にかかっているのはリリアンの引っ込み思案な性格を表していた。柔らかなカールが顔を優しく縁取り、その上には小さな黒いベレー帽が乗っている。帽子の縁には、学校の紋章が金色で刻まれていた。
「やあ、リリアン、おはよう。おーい、ヘルミーネ、リリアンが来たぞ!」
「お、おはようございます、おじ様」
「リリアン、ちょっと待ってて!」
ヘルミーネはパンを口に詰め込むと、水で流し込んだ。
「こら、行儀が悪いですよ」母に叱られた。
ヘルミーネは手提鞄をつかむと、リリアンの手を引っ張って、教会学校の聖ルミナリア学院へ向かった。
ルイーゼはまだ家庭教師が勉強を教えていた。12歳になったら、彼女も学院に通うことになるだろう。
二人は教会指定の学生服を着ていた。前世代の女王が、淑女の知性向上が外交に今後必要であるという先進的な考えの持ち主であった。ゆえに、貴族の女子だけが通える他国にない学校が誕生した。貴族の淑女を預かるため、大司教が教会の威厳を示すために制服を特別に作ったという。
スカートの漆黒の下地に白の刺繍でチェックが描かれ、十字架を表現している。長さはすねまでの七分丈で優雅さと動きやすさを実現。これには当初「まあ、はしたない」という意見も出たのだが、ヘルミーネは走ることもできるこの長さが好きだった。もちろん、走ることはマナー違反だったのだが。裾には繊細な金糸の刺繍が施されている。胸元のクリーム色のベストはコルセット風のデザインで貴族風、首に大きな白の蝶ネクタイ。革靴は顔が映るほど磨くのが規則だ。そして制服によって、この街の住人は彼女たちをルミナリア学院に通える家柄だとすぐに判断できるわけだ。商人たちでさえ、この制服を見れば、知らぬ間柄でも挨拶をしてきた。
ヘルミーネは眉をひそめ、リリアンのマチのつぶれた薄い鞄を見つめた。貴族にももちろん素行の悪い女性徒はいるものだ。彼女たちは重い教科書を持ちたがらない。(まさか、リリアンも……!)
「ね、リリアン、教科書入っているの、それ?」
リリアンは少し恥ずかしそうに微笑んだ。
「教室に置いてきたわ。重いし……」
「どうして!復讐や予習はどうするのよ?」ヘルミーネの声には心配が滲んでいた。
リリアンは肩をすくめた。
「ヘルミーネ、ぼくのお母さんみたいだね。別に不良なんかじゃないよ。授業さえちゃんと聞いていれば大丈夫よ。それに……」彼女は少し躊躇した後、小さな声で付け加えた。「ぼく、一度聞いたことはほとんど忘れないの」
ヘルミーネは驚いた表情を浮かべた。
「知らなかった……たしかに法律にくわしいほどはあるわね、暗記は得意なわけか。でも、苦労してる私はなんなの、もう!まさか、リリアン、あなた……天才なの?」
「…………」
そして、ふと疑問がわく。思案し、リリアンをじっと見つめた。
「待って……じゃあ、テストの順位がいつも真ん中くらいなのは……」
リリアンは小さくため息をつき、声を潜めた。
「わざとよ。ヘルミーネならわかるでしょ?トップになったら目立つでしょ」
「でも、たかが学校のテストでしょ……いい点をとればいいじゃない」
リリアンは彼女の軽口に思わず周りを警戒するすることを忘れ、ヘルミーネに嚙みついた。
「ヘルミーネは全然わかってないんだから。楽観的すぎるんだよ。ぼくがいつもテストで一番をとってたら、両親はどんな人物かぼくがどんな行動をしているか興味が沸くだろ。そこから、種族のの秘密が漏れる可能性もある、そうなれば、付き合いのある君の家族も教会から目をつけられるんだよ!」
リリアンが思いのほか大きな声で反論してきたので、ヘルミーネは何も言えなかった。
「……ごめんなさい。お母さんから、『悪魔を受け入れる人は本当に少ないから、行動には気を付けなさい』って子供の頃からずっと言われてるから」
「私のほうこそ、ごめん。無神経だった……私のことまで心配してくれてるんだね」ヘルミーネは片手を差し出した。「学院に着くまでに仲直り」
「べ、別に怒ってないよ」
「いいから」
ヘルミーネは無理やりリリアンと握手した。
「もう、ヘルミーネはいつも強引なんだから」
リリアンは少しだけ元気を取り戻し、はにかんだ。
そして二人はそのまま手をつないで学院に向かった。
彼女たちは周りからはただの貴族の娘に見えたが、ヘルミーネは悪魔と契約した魔女の家系、そしてリリアンは悪魔の母と人間の父から生まれたハーフであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます