第4話
大学の正門をくぐり抜け、キャンパスに入る。
エスカレーターの右側を足早に歩き、五階に上った。
窓から差し込むオレンジの夕陽を横目に、文芸部の部室まで走る。
そういえば、俺退部したけどまだ部室って入れるのかな……。
一瞬不安に思ったが、部室の扉のカードリーダーに学生証をかざすと、部室の鍵は解錠された。どうやら杞憂だったらしい。
部室の一番奥の席。いつも和泉先輩が座っているところの対面の席に座った。
一心不乱にパソコンを開き、執筆アプリを起動する。
そして、『朝起きたら異世界にいたので、ハーレム作ってみた』の最新話を書いていたページを開いた。
和泉先輩にずっと続きを
微かに頭に浮かんでいた構想を必死に思い返し、キーボードを叩く。
一秒でも、一刻でも早く、書きたかった。
胸に渦巻く気持ちがキーボードを叩く手を加速させる。
無我夢中に、燻っていた気持ちを埋めるように、書き続けた。
どれだけ時間が経ったのだろうか。
——ガチャ
部室のドアが開いた。
甘い香りと共に、気品のある声が耳に届く。
「——戻ってきてくれたんだね」
そこには——和泉先輩がいた。
「——添木くん、『朝起きたら異世界にいたので、ハーレム作ってみた』の最新話はまだかい?」
和泉先輩はにやけながら、さっきと同じことを聞いてくる。
「……明日には投稿しますよ」
少しぶっきらぼうに言うと、和泉先輩はパソコンに向かう俺の顔を覗くようにして、
「あれれ、もう書かないんじゃなかったっけ~?」
なんておちょくってくる。
「……いえ、書きたくなったので」
俺は照れ臭さから、和泉先輩に目を合わさず言った。
「どういう心変わりなのかい? さては私に嫉妬したとか?」
なおもニマニマ話しかけてくる和泉先輩。
……まあ、嫉妬したと言えばそうなってしまうのかな。
ずっと胸の奥にあり続けていた気持ち。それが、さっきの和泉先輩と明莉の一場面がトリガーになって爆発したのだと思う。
「和泉先輩、俺は和泉先輩が——『和泉千乃』が羨ましいです」
「……それはどうも?」
「処女作が大ヒット小説で、その後もずっと面白い小説を
和泉先輩は真っすぐ俺を見据えながら、次の言葉を待っている。
「俺も——和泉先輩みたいになりたいです」
目の前にいる天才に、一瞬ひるみそうになる。
でも、俺は強がりの笑みを浮かべて和泉先輩を捉えた。
「だから、俺は和泉千乃よりも凄い作家になります」
凡人でありモブキャラの俺が何を言っているのか。今はそう思われても仕方がない。
「絶対に、最高に面白い小説を書きます」
——才能が無くたって、そう思ってしまったんだからどうしようもないじゃないか。
俺は凡人でも、一丁前に天才に勝ちたいなんて思ってしまう、生粋の中二病なんだ。
和泉先輩なんて一生かかったって越えられないかもしれない、そんな高い壁だ。
でも、天才に一矢報いるためには凡才の俺は書くしかない。
沢山書いて、天才の一歩を凡人の百歩で埋めるしかない。
凡人なりに、足掻いてやりたい。
だから、一刻も早く書きたかった。
「——添木くんはいつかそう言ってくれると信じてたよ」
和泉先輩は真っ直ぐこちらを見つめて言う。
「私は添木くんの小説が好きだ」
「え……?」
「たしかに、添木くんの小説はまだまだな所も多いかもしれない。でも、添木くんは小説には泥臭さがある」
泥臭さ……。
「君なりに流行りを分析して、どういう小説をネットにあげれば読んでもらいやすいか、とかよく考えていると思うよ。タイトルとかあらすじを工夫してね」
そんなのはウェブ小説の基本だ。
あくまでも凡人の藻掻きである。本当に才能がある作品は、どんなジャンルでどんなタイトルでも人気が出る。つまり、俺の小説はそんな手を使わないと伸びないのだ。
「私はそれがものすごく格好いいと思う」
「……!」
俺の冴えない顔を見て本意がイマイチ伝わっていないと思ったのか、和泉先輩は言葉を被せるようにして言う。
「私は初めて君の小説を読んだとき、衝撃的だったよ。私の書く小説とジャンルは違うけど、こんなに読みやすくて、面白い小説は初めて読んだからね。文章を書くのにこんなに工夫しているのか、って」
「和泉先輩……!」
和泉先輩がそんなことを思っていたなんて……! 俺はただ俺なりにできることをやっていたまでなのだが。
「しかも私は今絶賛スランプ中なんだ。いつまでもデビュー作を越えられない作家だしね」
和泉先輩の作品はどれも面白く実際に売れていてスランプ中とは言えないと思うが、確かにやはり『和泉千乃』の一番の代表作と言えばデビュー作の『ペパーミント』だ。
「だから、君が一年生で文芸部に入ってきた時は焦燥感を覚えたよ」
「……は?」
「添木くんと会うまで、私は正直そこまで頑張ってなかったんだ。『ペパーミント』を越える小説も思いつかないし、最悪このまま小説書くのを辞めちゃってもいいかなって思ってた。でも……添木くんの小説を読んで刺激をもらった」
初めて聞く和泉先輩の気持ち。
なぜ俺ごときの小説を読んで『和泉千乃』が焦燥感を覚えたのかは分からないが……それで言ったら俺の方が焦燥しまくりだったと思うし。
「だから……『添木一』の泥臭い小説に負けてられないって思ったから、私はまだ書くことする。だから、君にも小説を書いてほしい」
そんなことを言ってくれる。
天才からの、挑戦状。
きっと天才には天才なりの悩みがあるのだろう。凡人の俺にはよく分からないが。
でも、俺だってこのまま『和泉千乃』に負けてばかりじゃ我慢できない。
——天才なんかに負けてたまるかよ。凡人なりに、凡人の意地を見せてやる。
「俺も負けません」
もう一度強がりの笑みを浮かべて、言う。
「言ってくれるじゃないか」
俺と和泉先輩は固い握手を交わす。
部室では『和泉千乃』と『添木一』という二人の未来の主人公候補が対峙していた。
天才と、凡人。選ばれし者と、無能。
それぞれにそれぞれの葛藤があるのかもしれない。
でも、負けたくない、という気持ちは同じだと思う。
今は凡人でも、自分の望む自分を映し出し続ける。そうすれば、いつの間にか天才と呼ばれるような存在になれているのかもしれない。
大学生にもなって、身分不相応な夢への気持ちが胸に渦巻く。
でも、大学生だろうが社会人だろうが関係ない。いつまでも中二病みたいに夢を追う心を持ち続けても、いいんじゃないだろうか。
和泉千乃の不敵な笑みに、俺も負けじと笑い返す。
そんなバトル漫画の最終シーンかのような雰囲気に包まれるかな——。
「ちょ、ちょっと待ったー!」
部室のドアが開くと同時、脳に響く声が二人の間を割り込む。
……そういえば忘れてたけど、俺が和泉先輩を置いて学校に走った後、明莉は何をしていたんだろう。
「な、なに二人いい感じになっちゃってるの!」
いつからここにいたのかは分からないが、明莉は顔を真っ赤にしてこちらを睨んでくる。
「いい感じって……いや、確かにいい感じにまとまったのかもしれないが……?」
俺の言葉はどうやら明莉には届いていないらしい。
「いや、なに手を握り合ってるの⁉ だ、駄目ですからね、和泉先輩! うちがいつから想ってたと……!」
「……ほう」
和泉先輩は面白そうなものを発見したように怪しく笑う。
「でも、私と……
含み笑いをこちらに向ける和泉先輩。
いや、たしかにただの先輩後輩から、ライバルみたいな関係にはなったが。
「ちょ、ちょっと! なんで! うちは小さいころからずっと……! そのために勉強もオシャレも頑張ったのに!」
なぜか泣きそうな顔で憤慨する明莉。
「私、これからは一樹くんのために小説を書くつもりだよ」
「ど、泥棒ネコ! ぽっと出のよく分かんない奴!」
さっきまでの「ファンです!」みたいな態度はどこに行ったんだ! 先輩に対して結構な暴言を放つ明莉。
「ど、どうしたんだ明莉?」
「うるさい! 黙ってて! 一樹が悪いんだからね!」
「えぇ……?」
なんだこのツンツンな幼馴染みは……。
「で、でも、負けませんからね、和泉先輩! まだまだ諦めません!」
「ふっ……のぞむところだよ」
……なぜか俺の知らないところでそちらでも試合決定してしまったようだ。
「では副島一樹くん、最新話楽しみにしてるからね」
「はい。和泉千乃先輩も〆切ばっか破ってないで、早く『ペパーミント』を越える最高傑作を書いてください」
「あーー! 二人で話さないでください!」
メラメラ、と熱い気持ちが胸に押し寄せる。
三人のまだ見ぬ未来の主人公候補たちは、それぞれの想いを持って熱く魂を燃やした。
頑張るのは大変だ。理不尽なことだって沢山ある。
だけど、物語の主人公になりたいなら、頑張らなきゃいけないんじゃないか。
そうしないと、多分天才たちが順当に輝く世界になってしまう。
俺は無能なりに藻掻いてやる。
こうして、選ばれし者対無能の戦いが始まった。
選ばれし者対無能 不管稜太 @fukuba_ryota
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