第3話
それからまたしばらく経ったある日。
今日は四限終わりなので太陽の位置も低く、夕暮れが近くなっている。オレンジ色の夕陽が辺りにどこかロマンチックな雰囲気を醸し出す。
「今日も疲れたね、一樹」
「そうだな……流石に一限から四限ずっと授業は疲れる」
俺は今日も今日とて明莉と一緒に帰っていた。普通の生活だ。
……なぜか明莉とはめっちゃ授業が被っているんだよな。まあ同じ学部学科だからそういうものか。
明莉と何気ない話をしながら大学のキャンパスの正門を抜ける。
「ねえ一樹、うち見たい映画があるんだけど今週の日曜日見に行かない……?」
「映画か、暇だし大丈夫だぞ」
「やった! 見たかったやつがあるんだ~」
「……なんか日曜日は毎週明莉といる気がするな」
「そ、そう⁉ そんなことはなさそうな気がするよ!」
まあ、暇だから別にいいんだけど。
大学前のアスファルトで舗装された綺麗な道を、二人並んで歩く。
最近、毎日が流れるように過ぎていくような感じがする。
毎日が普通、似たことの繰り返し。
前よりも心にかかる負荷は圧倒的に減った気がする。どこか満たされないというか、歯がゆい気持ちになることもあるが……。
明莉と適当なことを話しつつそんなことを考えながら歩いていると、前方には駅前の信号が見えてきた。
「そういえば一樹、昨日の授業の課題終わったー?」
「いや、まだやってないな――っ!」
——ふと、信号を待っている見知った人物が目に入った。
その瞬間、息が詰まったかような感覚になる。
長い髪を今日は真っすぐ下ろし、薄ピンク色のブラウスからは真っ白な肌が覗く。よく整っていて知的さも感じさせる横顔は、あたりに凛としたオーラを放っているように見えた。
どこか呆然としていると、その人——和泉先輩は俺の存在に気付いたようでこちらに歩み寄ってくる。
「おお、久しぶりだね! 添木くん」
「……お久しぶりです、和泉先輩」
和泉先輩は相変わらず俺をペンネームで呼ぶ。
「そういえば、『朝起きたら異世界にいたので、ハーレム作ってみた』の最新話はまだできないのかい?」
「いや……だからもう書かないって言ったじゃないですか」
「私はいつまでも待ってるのになぁ~」
そう俺を見つめて言ってくる。
微かに
普通の生活では感じなかった——小説を書いていた時にはよく感じていた気がするが――、気持ちが胸に渦巻く。
「……ねぇ、この人ってもしかしてあの和泉千乃先生?」
横から明莉が小声で聞いてくる。
「ああ、そうだよ」
すると、明莉はぱあっと笑顔を輝かせて言う。
「ほ、ほんと! あ、あの、うちめっちゃ和泉先生のファンです! 小説全部読んでます!」
「おお、本当かい! 嬉しいね」
「はい! 特に『ペパーミント』がめっちゃ面白かったです!」
「やっぱ『ペパーミント』は人気だね。ありがとう!」
和泉先輩は笑顔で応える。
そういえば明莉、和泉千乃の小説好きって言ってた気がするな……。
小説家と、ファン。
もしかしたら小説家がファンと
ファン側としても作者と会えて嬉しいだろうし。
部外者が見れば、双方にとってプラスの非常に微笑ましい光景なのだろう。
だが——、俺は素直に微笑むことができなかった。
ひつひつと今まで抑え込んでいた、ずっと胸の奥で感じていながら無視していた気持ちが押し寄せる。
——悔しい。
小説なんて前に辞めたはずなのに、なぜこんなことを感じるのだろうか。
でも、俺の胸の奥には常にこの気持ちがあり続けていたのかもしれない。
俺も昔、明莉に自分の書いた小説を読んでもらったことがある。しかし、明莉は途中まで読んで「まあまあ面白いね」とだけ言い、そこで読むのを辞めてしまった。俺の小説は、その程度のものだった。
しかし、『和泉千乃』の小説のことはここまで「面白い」と言っている。
負け。
この世には、天才の輝きの裏に無数の悔しき凡才による敗北が点在している。主人公の大活躍の裏には、無数のモブキャラがいる。
俺が天才になんて勝てっこない。そんなの分かっている。
でも——それじゃあ我慢できない。
モブキャラである俺が何かをやったとしても、もしくは何もやらなかったとしても、世界は回る。天才が順当に輝いて、地球が回っていく。
でも、そんなので我慢できていたら小説なんて書いていなかったのかもしれない。
モブキャラで我慢できるわけがない。
——俺は、主人公に成りたいんだ。
胸の中のこの感情は高鳴り続けている。
才能が無くても、それでも諦めたくない。諦められない。
そんな、ずっと胸に隠していた青臭い気持ちが押し寄せる。
「和泉先輩、失礼します! 明莉、先帰ってて!」
俺はそれだけ言い、走って大学に引き返した。
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