3
私は思わず、その場にへたり込んでしまった。
同時に、今までに一度も感じたことのない不安感が、身体中を蝕んでくる。
胸が苦しい、痛い。
鼓動がどんどん速くなっていく。
私は胸を両手で強く押さえつけて、大きく深呼吸をする。
まだ不安感は拭えないが、鼓動は少し落ち着いたように感じる。
思いの外、二人の姿は衝撃的だったようだ。
それにしても、どうして二人は抱き合っていたんだろうか?
もしかして、二人は付き合ってる?
いやいや、まさか。二人とはよく一緒にいるが、そんな素振りは一度も見たことない。
私が考えあぐねると、教室の中から声が聴こえてきた。
盗み聞きは良くないと思いつつも、追求心が勝ってしまい、二人に気づかれないようにそっと耳を澄ませた。
──抱きしめられて、どう感じた?
──一花さんに抱きしめられているときと比べ物になりませんでした。友人と想い人とでは、こんなにも違うのですね。
──これで気持ちの整理はできたか?
──はい。私の好きは友愛としてではなく、恋愛としての好きだと自覚できました。恋ってこんなにも素敵なものだったんですね。
──そっか、それを知れて俺も嬉しいよ。
それ以上二人の言葉は耳に入ってこなかった。
二人は付き合っていないと、心の何処かで否定していた考えは見事に打ち砕かれた。
正確には今から付き合い始めるのだろう。
そうなると、今後二人の時間が増えるよね。
今までみたいに私も一緒だとお邪魔だよね。
二人なら気にしないって行ってくれそうだけど。
ああ、胸が凄く痛いなぁ。
私って最低だなぁ。
二人が恋人になることを素直に祝福できそうにないなんて。
「私の心臓、治まってよ……」
胸を押さえつけている腕に、力が更にこもる。
それでも何ら症状は変わらない。
深呼吸をしようにも、呼吸は乱れていくばかり。
ここまでくれば、流石の私でも自覚する。
「私も……好きだったんだ」
二人に鉢合わせてはまずいと、重い腰をあげて、ふらふらと体育館に戻る。
水筒は教室に置いたままだけど仕方がない。
何だか自主練をする気力もないので、そそくさと帰り支度を済ませて帰路へとついた。
家に帰ると、台所にいた母親に、今日は食欲がないことと水筒を学校に忘れたと伝える。
大丈夫? と、心配してくれたが、病気ではないので、久しぶりの学校で思ったよりも疲れたと嘘を吐いた。
自室に戻ると、私は制服のままベットへと倒れ伏した。
制服がシワになるとか、部屋着に着替えなきゃとか気にする気にもなれない。
スマホでSNSのチェックを気力すら湧かない。
気怠さに押し潰されて、私は気づかぬうちに眠りへと堕ちていた。
翌日、制服のまま寝てしまった私は、一旦シャワーを浴びてから学校に向かった。
教室に入ると、既にぼたんは自分の席に座っていた。
潮はまだ来ていないようだ。
私の席はぼたんの後ろなので、そのまま窓際へと進む。
途中でぼたんと目が合い、にこりと微笑まれる。
普段なら直ぐ様ぼたんに駆け寄って話しかけるのだが、今は話し掛けづらい。
だからと言って、無視をするのは間違っている。
このモヤモヤした気持ちは私個人の事情なのだから。
「ぼたん、おはよっ!」
「おはようございます、一花さん」
ぼたんに気づかれないように、極めて自然な挨拶を交わし、私は直ぐ後ろの席に座る。
するとぼたんは身体をこちらに向けて、少し首を傾げた。
「今日は抱きついてくださらないのですか?」
いつもの私はなにやってるんだぁ。
頭を抱えたくなるが、何とか冷静さを装う。
確かに、潮のことを好きだと知らなければ、いつものように抱きついていただろう。
でも、二人は付き合っている以上、同性であっても過剰なスキンシップはできない。
大体ぼたんは、昨日潮と熱い抱擁を交わしていたのに、私にまで求めるのは節操がなさすぎない?
いや、同性だからといって今までしてきた私も人のことは言えないか。
元々誰に対しても距離感は近い方だったかもしれない。
とはいえ、抱きつかれるのが当たり前と認識されるほど、ぼたんに対して度が過ぎたスキンシップをしていたのだなと自覚する。
「流石に2年生だし自重を覚えたんだよ」
「そうですか……」
ぼたんは、何故か寂しそうな顔で俯いた。
そんな顔をしないで欲しい。
「それより、今日はどのお店に行きましょうか?」
「へっ?」
そういえば、昨日モールに行く約束してたんだ。
すっかり忘れていた。
「ごめん、急用ができて行けなくなった」
私は、顔の前で両手を合わせて頭を下げる。
勿論、急用なんてものはない。
ただ取り繕う余裕がなくて、咄嗟にでまかせを言ってしまった。
「そうですか。用事があるなら仕方ないですね」
発言とは裏腹に、ぼたんは先ほどよりも更に悲しそうな顔をした。
これは流石に私が悪い。
「今度埋め合わせするよ。そうだ、今日も潮と遊んできたら?」
「浅原さんとですか? 今日は特に用はありませんが」
「でも一緒にいたいでしょ?」
「いえ、確かに男子生徒の中では仲が良いほうですが、別段そこまででは」
付き合い始めって、もっと一緒にいたいもんじゃないの?
それとも付き合えたことで余裕ができた?
ぼたんの気持ちがわからない。
「私のこと気にしてるんだったら、気を使わなくていいよ」
「気にしてるも何も、浅原さんには申し訳ないですが、本当に何も思っていないので……」
ぼたんは、困り果てた顔で答える。
「何も思ってないなら昨日何で抱き合ってたの……」
どうにも、ぼたんの言動に納得のいかない私は、思わず震えた声で細々と呟いてしまった。
「っ!? 見ていらっしゃったのですか?」
か細い声だったが、ぼたんには聞き取れたようだで、驚きの表情を示し、開いた口を片手で覆い隠した。
「やっぱり抱き合ってたじゃん……」
喉がギュッとつまりながらも、声を絞り出す。
また胸が苦しくなってきた。
「それには事情がありまして──」
「どんな事情があっても事実だよね。ごめんね、なんか今の私、感情がぐちゃぐちゃで素直に二人の仲を祝福できそうにないや」
ぼたんの言い訳を遮って、私は捲し立てる。
居ても立っても居られなくて、私は席を立ち上がると、教室を飛び出した。
ちょうど教室に入ろうとしていた潮とすれ違ったが気にする余裕はなかった。
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