第一部 18年の猶予 第一章 流星雨誕

第1話 名付け

 世界最大の大陸であるウルティマ大陸の北東に位置するノヴァネクス共和国。その更に北方、高緯度に位置する雪割市。


 ここはアンナを信仰する者が多く集まり、小さかった街が発展していく過程で自治性を与えられた場所だ。


 では何故、アンナがここに居を構えたのかと言えば街の北にある双子岬、この弟側にある旧天文台を研究所として再利用したからである。


 接収した当時、使われなくなり久しかったが、国の地方再生事業の肝入で造られた建物は、ロマネスク建築に似た堅牢な作りで、研究所として打って付けだった。


 大戦後、天文学に割く余裕が無くなり下火になったこと比例して、街の発展も止まっていたがアンナの転居によって街の賑わいも戻っている。

 このことに街の住人は大いに喜び、アンナへの信仰心を強めた。


 アンナを慕い集まる人材が新たな産業を起こし、更に人を呼び込み首都から離れた片田舎の街が、今では人口二十万人以上の中堅都市になっていた。


 そんな賑わいをみせる街の喧騒から、離れた地にある転移研究所では、職員たちが一足先に帰り支度を終えていた。


 引き継ぎを受けた一般職員二名と、特別職員二名が当直番にあたっている。

 その一般職員であるヨウ•ボッシュは、今日が夜勤であったことに最大級の幸運を感じていた。高揚感を押さえ、所内にいる仲間たちにもお裾分けのサイレンを鳴らし、街にある協会支部への連絡も忘れない。


 サイレンを聞いた職員達が観測室に入ってくる。

「時空震か?」

 ボッシュは同僚からの問いに、勿体振る様に数度無言で頷く。


 アンナ帰還の兆候に沸く観測室に入ろうと、扉を開けた女性が何か言う間もなく、中から指示を受ける。


「アンナ様のお帰りだ。直ぐに受け入れ準備に入るぞ」

 報告を受け喜びを押さえ切れない女性、アルマ•レイ•モータリアはミルクティー色の髪をなびかせ、最上階にある帰還ゲートへと走って行く。


 後に続くボッシュの足取りも軽く、他の二人の職員を置いて行く。

 帰還ゲートのある部屋の中央には、大小三つのリングが別々の軌道でゆっくりと球を描いている。


これは屋上に展開された術式をくぐり、アンナが現界する際に起こる空間摩擦によって起きる高温のプラズマを、ミラー磁場により閉じ込めアンナと入れ替りで亜空間に逃がす為のものである。


 設備の起動を終えたボッシュとアルマの二人は、既に対光ショック防御体勢に入っており準備万端である。


 時間が経つに連れ、浮かれていた二人に緊張感が増し全身にうっすらと汗をかき始めた。肌を刺す圧迫感が限界に達した時、屋上の術式が発動する。


 アンナを現界させる為に、結晶化させたマナインゴットが次々と消費され、様々な術式が展開される中、リングが高速で回転する。


 部屋中を被う眩い光が、リング内で起きた物質転化現象の爆発的なエネルギーと共に亜空間へと抜けていく。

 役割を全うしたリングの中央に、待ちわびた人物が四つの光を携えて立っていた。


「ただいま、ボッシュ、アルマ」

 アンナは無事の帰還と吉報に、安堵する二人の歓待の言葉をそこそこに遮る。


「直ぐに転生の儀に入ります。準備はできていますか?」

「はい、日勤の連中がしっかり調整してくれています。今、ヴォルブとシュウゲンが対応中です」


 期待通りの返答に感謝を述べ、アンナは儀式場へと向かい二人もそれに続く。

 沿岸部に建られた旧天文台には、オーシャンビューの公開天体観測室があったが、今では転生の儀式場になっていた。


 海側に大きくせり出したテラスと部屋をぶち抜き、大きくスペースを取った儀式場には様々な設備が待機状態で並んでいる。


 純粋な魂を新たな生命に吹き込む為の、複数の術式がレール状に並ぶ様はマスドライバーを想起させるものだった。

 儀式場の扉が開き、準備を終えていたヴォルブとシュウゲンの緊張感が増すが、それはアンナの顔と四つの成果が見えたことで落着いた。


「アンナ様、お帰りなさい。いつでも行けます」

 ヴォルブが淡く発光する、展開済みの術式を指差す。

 アンナは労いの言葉を掛け、展開した術式の前に立つと手を胸元に置き目を瞑むり、自身の周りを公転する光球に想いを向ける。


 死後の唐突な誘いにも関わらず、賛同し付いてきてくれた三人に改めて感謝し術式を発動させる。


「皆様の力が、世界を導く一助になることを期待しています」

 すらりと伸ばした腕に力が込められると、光球の軌道が変わり指先に集まる。


 次の瞬間、幾つもの術式を経由し加速していくと、部屋からテラスを越え夕暮れの空へと向かう。高々打ち上げられた光球は、近い将来世界を照らす光となる為、流星のごとく各地に散っていった。


 アンナは、一段落つき安堵する皆に振り返り向き合う。

「直ぐに言い出せなくてごめんなさい。実は勧誘に成功したのは3人だったの。折角準備して貰っていたのに…」

 光球がひとつ残っていた事を、不思議に思っていた職員達はアンナの謝罪を拒否する。


「では、それは何なのですか?」

 アルマは話の方向性を、変えるためにも疑問を投げ掛ける。


「これは…」

 異世界での出会いを説明しようとした最中、残っていた光球が静止する。皆の視線が、自然と光球に集まる、すると光球の表面がぼやけ一気に膨らんだ。


 その瞬間、アンナはシュウゲンの名を叫び、光球を外に向けて投棄する。

 アンナよりほんの少し遅れるように反応していたシュウゲンが、拳にマナを収束させる。


『貫通、貫通、放出、集中』

 単一術式の連続展開によって強化された拳圧が、内壁二枚越しに陸側の外壁までぶち抜き、外への逃げ道を開通させた。


 協会から派遣されている特別職員のシュウゲンは、この中で最も身体能力が高く、ただの研究員であるボッシュとヴォルブを両脇に抱え走り出す。


 同じく協会から派遣されているアルマは、アンナの世話役であり、この状況から一足飛びに避難することは出来なかった。


 アルマが唯一出来たのは、力を抜き身体を委ねる事だけであり、必然的に委ね先はアンナと言うことになる。


 アンナは神人の中でこそ身体能力は低かったが、それでも一般的な人間よりも力を持っており、アルマをお姫さま抱っこする形になった。


 アルマは信仰するアンナに、自身を運ばせると言う事が堪らなく辛かったが、この状況に置いてはこれこそが敬愛の証だと信じていた。


 アンナは自身の首に手を回し、申し訳無さそうにするアルマを優しく抱き抱え、自分が積み重ねてきた人徳に感謝する。


 避難する皆の後方、光球は更に巨大化しており、一瞬振り替えったアンナは光球の表面で物質転化現象が起きていることを確認した。


 外壁に開けた穴から飛び出し、十分な距離を取ったアンナ達が見たのは光球に呑み込まれる研究所だった。


 苦楽を共にした研究所の消失に皆が肩を落とす中、巨大化した光球は大地を呑み込み、遂には海面にまで達した。


 大量の海水を吸い上げる事で、巨大化は止まったものの依然として転化現象自体は収まらない。


 職員達が不可解な状況に困惑する中、この状況を招いた自分の選択を後悔すべきかアンナも迷っていた。


 アンナは土産というのは、てっきり本の詰め合わせか何かで、サプライズというのはきっと私たちの世界よりも進んだ情報媒体だろうと思っていた。


「転化現象って、こんなに長く続くものなのでしょうか?」

 眺めていることしか出来なかった皆の内、ボッシュが誰ともなく呟く。


「重質量金属もけっこう保管されてたよな…と言うか後期組どうしよう?」

 ヴォルブが視線をそのままに言い放つと、少し我に返る。


 やがて、皆が落ち着きを取り戻す頃には、転化現象にも収束の兆候が見られた。と同時に光球の中心に何か居るのが見てとれた。


「…人?」

 アンナの呟きが切っ掛けになったのか、極大化した光の球が弾けた。


 転化現象によって露出した海底に落ちていく人影は、難なく着地し渦を巻き押し寄せる海水に、身を濡らすことなく飛び出した。


 アンナ達の前方、少しはなれた場所に音もなく着地した人物は、そこから動きを見せずにいる。

 最大級の混乱の中にいるアンナ達も同様に動けず、お見合い状態となった。


『やはりサプライズは失敗の様です、霧島学術顧問』

 Asmu00は想定通りの展開に、次の一手の打ち方を考える。


 当然の事ながら警戒されている訳で、その上コミュニケーションが取れない以上、相手に先手を譲りたいAsmu00は一旦状況の整理に入る。


 これは既に確認済みだが、機関の一部に機能不全が見られる。機能自体は生きているのに、未知の現象によってアクセス出来ないでいる。


 推測に過ぎないが、アクセスできる機能と比べた差異から考えるに、機関の製造、搭載タイミングか、自身の存続にどれだけ重要かが関係している様に思えた。


 高帯域戦闘出力に上げられないのは、困った事ではあるが不幸中の幸いで、未知の現象による判定がズレていたら現界した瞬間に周辺を巻き込んで圧壊していたところだった。


 幸いと言えば、ナノマシンによる体表面保護被膜の形成が出来ることも好ましい、現地民の服飾品の質が高く、性差らしきものがあることから、外で全裸ということが常識外れだと推測されるからだ。


 更に、記憶野に関する機能が完全に機能しており上位プロトコルも健在しているのは助かる。未知の世界で目的もなく彷徨うのは避けたかった。


 しかし、不可解なのは直近の記憶を閲覧出来るということだ。機関そのものが生きているのは、その他の現象との類似性から一貫性がある様に思えるが謎である。


 ただ、この差異が未知の現象を解明する手掛かりになるやもしれない為、随時解析は進めておきたい。


 さて、しびれを切らして女性が話しかけてきたが、全く理解不能で、既存言語との類似性を見つけるにも流石に情報不足だ。


 あちら側に、こちらとのコミュニケーションの意識が生まれるのを待っていたAsmu00は、すかさず次の一手を打つ。


 大きくゆっくりとした動きで、ボディランゲージによる意思疎通を試みる、原始的だがこういう時はシンプルな方法がいいだろう。何度か繰り返す内に、現地民に反応があった。


「多分ですけど、書くものを要求してるのでしょうか?」

 そう言うとアルマは事務員も兼務していたことから、ポケットから小さなノートとペンを取り出し渡しに行こうとする。


 そんなアルマを制止したシュウゲンが、自身の役割だと渡しにいく。

 そうは言っても、手渡ししには行かず一拍では詰められないであろう手前の地面に置く。


 Asmu00もその意図を把握しており、シュウゲンが完全に下がり切るまで身動きしなかった。ノートとペンを拾う、この動作もゆっくりとそして敢えて下を向き視線を外す。


 ノートの紙質は量産品の様だが悪くない、ペンに関しては黒鉛が取り付けられた小さなカートリッジが複数個、筒状の物の中に連結して入っており、使い切ったカートリッジは最後尾に入れ替える事で先端を押し出す仕組みとなっていた。


 これならと、Asmu00 は何かを描き始める。これはペンとノートを貸してくれた女性とは別の、霧島学術顧問から聞いた特徴と合致する女性であるアンナ・フィン・クヴィスト、その人に向けたメッセージである。


「何か…人の顔でしょうか?良く見えませんねもっと大きなノートを持っていれば良かったです」


 日も暮れて距離もあるなか、はっきりと見ることができない職員達。しかしながら、見えたとしても理解できなかったであろう、何故ならそこに描かれていたのは霧島博士の似顔絵だったからである。


 アンナとの唯一の共通認識である霧島博士との縁、これの意味する所はアンナにも理解出来たようだった。


「彼は…敵では無いと思います。詳しく話すと長くなるので後ほど話しますが。先ずは交流出来ないか試して見ましょう」


 Asmu00はアンナ達に、会話が増えた事でこちらの意図が伝わったと仮定し、次の一枚を描き上げる。


「やはりもっと大きなノートが欲しいと言うことだろうか?」

「あれは本ではないですか?うーん本が読みたいということなのでしょうか…あっもしかしてこちらの言葉を知りたいのでは?」


 このアルマの察しの良さが、アンナの世話役として協会から任される理由の一つだろ

う。


「アルマ悪いのだけれど、街に戻って協会から小児用の教本を色々持ってきて貰えるかしら、もちろんボッシュを使って良いからね」


「わかりました、行きましょうボッシュさん」

 街道を走って行く二人の姿は、夕闇に染まり始めていた。


 さて、上手く伝わってるだろうか。…街道は舗装されている、街まで3800m程あの脚力なら結果がわかるのは一時間以上掛かるか。街自体の規模はそこそこ大きい、建築様式は入り交じってるが都市計画の元に区画整理されていて、外観的にも生活水準は高そうだ。


 待ち時間に少しでも多く情報収集に勤しむが、こういった時に衛星や観測機からの支援が大事だと実感する。


 あれこれ考えてる内に視界の隅に、先程の数倍の早さで戻ってきた二人が見えた。


 傾斜を考慮すれば、時速40km程度は出ている乗り物を女性が運転し、男性は大きなバックパックを背負っているのが見えた。


 水上バイクを少しスリムにした形状で、船底は地面に接触していない。浮力や推力をどう出力しているのか、形状的に流体制御による運動変化なのだろう。


 船体を90度曲げ、勢い良く到着したせいで土埃を巻き上げるが、それは不自然に後方へと流されていった。

 原理が気になるとこだが、それは後回しにしてアンナ達の動きに目を向ける。


 アンナがバックパックの中を確認し、先ほどと同じ手順で置いて行く。

 こちらも同様に受け取り中身を確認すると、中には大量の本が入っていた。一番上の一冊を手に取り、ざっと読んでみる。


 使い古されてはいるが、印刷技術によって製本された量産品ということがわかった。

 内容と言えば要望通り、言語学習に関するものでご丁寧に挿し絵多めの幼児用のものから入っていた。


 Asmu00は、それらをあっという間に全て読み終えると、ノートに何かを書き始める。

『ありがとう。これでかいわをしたい、よいか?』

 顔を見合わせるアンナ達。


「すごいですね、そういう能力持ちでしょうか」

「そうかも知れないわね、何にせよコミュニケーションが取れるのは助かるわ」


 そう言うと、アンナは筆談になることを想定していたアルマから新たなノートとペンを受けとる。


『あなたは、キリシマさまのしりあいですか?』

 相手がわかりやすい言葉を選び、更に霧島という部分に関しては発音して伝えた。


『そうだ、あなたたちにきょうりょくするようにいわれている。じぶんをつかってほしい。それとことばとかいわをもっとまなびたい』


『すこし、そうだんしたい』

 アンナの提案にAsmu00は了承する。


「私は彼の事を、受け入れるつもりです」

 そう言うと職員達に霧島博士との出会いを語った。


 想像も出来ない世界からの使者に驚くものの、アンナの賛導者達と呼ばれる職員達は肯定的であった。

 とは言え、妄信的な肯定ではない職員達を代表してシュウゲンが意見する。


「アンナ様が信用するといのなら俺たちも同じですし、うちの人間なら説得出来ると思いますが、全共連は…」


 全ウルティマ大陸及び南洋諸島共同体連合。世界大戦後急変する環境に対応する為に、発足された国際機関である。


「彼のことを実際どうするか。先ずは協会や市長達と協議して、どう報告するか決めなければいけませんね」


 研究所があった辺りを見ながら職員達は、どう報告すべきかとため息をつくが、それでも各々が自分に出来ることを考え前を向く。


 そんな空気に後押しされ、アンナが指示を出す。

「ボッシュ、ヴォルブ、あなた達は先戻って協会に説明しておいて」


「わかりました。実はさっき、街からでも転化の光が見えた場所があったみたいで、何かあったのかって引き留めるのを振り払って来たんですよ」

 そう言いながら二人は乗ってきた乗り物に跨がると、来た道を引き返して行った。


「アルマは、彼に言葉を教えてあげて」

「はい、私もそのつもりでした」

 子供好きで協会の関係施設でも、子供に勉強を教える機会があるアルマには適任だった。


 シュウゲンにはアイコンタクトに留め、アンナは待たせていたAsmu00に街に行く事を伝える。


 自然と二手に分かれて歩き始めた街道は、既に日も暮れ、等間隔に設置された街灯の光が頼りになっていた。


 シュウゲンはアンナが不在中の時の事を、雑談がてら話しながらも後方に意識を向けており、筆談を始めようとするアルマにAsmu00は同時に発音もお願いしていた。


 アルマが人差し指で簡単な術式を展開すると、小さな灯りが現れ手元を照らした。

「じゃあ、よろしくお願いします。私はアルマと言います。あなたの名前を教えてもらっても良いですか?」


『なまえはない』

「ない…と言う名前ではないですよね?」


『ばんごうはある』

「番号で呼ぶなんて良いんでしょうか…アンナ様どうしましょう」

 相手を番号で呼ぶ事が礼儀として、受け入れられないアルマが助け船を求める。


「転生計画で来て貰った訳だから、新たに名前を付けたらどうかしら」

 アンナの提案に賛同し、Asmu00に書いてみせる。


『わかった。そちらふうになづけてほしい』

 名付けを振られ、うんうん唸り悩むアルマが再び助け船に乗船する。


「…アンナさまぁ~」

 顔をしかめて悩むアルマの様子を微笑ましく、もう少し見ていたい思いを我慢し一緒に考えてあげる。


 アンナは旧天文台のあった場所から、夜空に目を向けると何か閃めいた。

「そうね…フェート・ミン・キリシマなんてどうかしら?」


「凄くいいと思います。流石です!」

 間髪をいれず手放しに褒めるアルマは、同時通訳といった勢いでAsmu00に書いて見せている。


「家名は当然キリシマ樣から頂いて、属名は私の姉のアーミンから貰いました。フェートと言うのは、この時季に訪れる、冬の流星群をイメージして付けてみましたが、どうでしょう?」


 決まった名前に特に不満はなく、復唱する。

「…私の名前は、フェート・ミン・キリシマです」

「えっ!凄いです。もう覚えちゃったんですか。発音も上手ですし、直ぐに私の出番が終わっちゃいそうですね」


「そんな事は、無い。まだ言葉の数は足りない。もっと教えてほしい」

 Asmu00改めフェートは更なる学習の為に、アルマとの会話を進めていった。








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