第8話

普段能天気でラブホの事しか考えてない先輩だとは思えない。

弱いところもあったんだ。


そりゃ当たり前か。

誰もが真咲藤和を神様みたいに扱うから、そんな当たり前の事も忘れてた。


「いじめられるとさ、だんだん仲良くなろうとする事がしんどくなってさー……。で、人と仲良くするのを頑張る事をやめたんだ」

「……はい」

「そしたら、いじめられなくなった。その分、友達もできなくなって、机に一人座る毎日」

「……はい」

「女みたいって言われ続けたのがトラウマになってさー。女の子を組み敷いたらね、その嫌な気持ちがちょっと解放されんの」

「…………」

「引いた? 引いたよね、ごめん」


先輩はそう言ってから、諦めたような表情で溜息を吐くように笑った。

哀愁の漂う切なすぎる表情が切なくて、私は胸がぎゅっと掴まれるような気持ちになる。


悲しい。辛い。悔しい。

先輩の色んな感情が感じられて、なんで誰も先輩の良さを分かってやれないんだろうって眉をしかめた。

こんなに可愛い人なのに。

いじめてあげないでよ。

子供時代の事を思うと胸が痛くなって、涙腺がうるうると緩んだ。


「でさー、俺さ。ほんとはあいちゃんにあの日お礼を言いに行こうとして教室に行ったんだ」

「え?」

「最初から、告ろうって思ってたわけじゃないの」


あの日。

多分先輩が教室にいきなり入ってきて、私に付き合ってと言った日だ。

お礼を言いに……?

お礼って言うのは、ゴミ捨て場で私が「彼氏いるか聞こう」ってアドバイスした事についてだろうか。


「教室覗いたら、あいちゃん。一番後ろの席で女友達二人に囲まれて楽しそうに喋ってて。あいちゃんは座ったままで、あいちゃんの席に二人が集合してんの」

「ああ、うん」

「うらやましくてさぁ。ほんとにうらやましくて」


先輩はそこまで言ってから、下唇をぎゅっと噛みしめる。

ばか。先輩の馬鹿。

私に話すみたいに話せば、誰でも友達になってくれるのに。

ほんと、ばかだなぁ。


「俺にアドバイスくれたじゃん?」

「うん」

「その時にね、こういう人が誰とでも仲良くできる人なんだろうなって思ってさー」


あの時、私は彼氏いる?って一度聞けって適当な、本当に適当なアドバイスをしたのに。

それを先輩はそんな風に思ってたんだ。


「それからさー、本当にうまく行っちゃったりして、殴られなくなって。あの子は神様だったんだなって思って。教室行ったらやっぱり楽しそうに友達と喋ってるしねー。こんな人になりたいって思った」

「うん……」

「だから最初はあいちゃんを好きってより、あいちゃんみたいになりたかったんだよ、俺」

「で、でも先輩には若林さんって人がいるんでしょ。一人いれば十分ですよ」


階段の隣に腰かけてる先輩は、三角座りをした膝の中に顔を埋めて、上目遣いで私を見る。

その視線にドキッとする私を無視して、先輩は頼りなく首を振った。


「若林はねー、俺の心の中にいんの」

「はあ?」

「ふふふ。あいちゃんに友達が一人もいないつまんない奴と思われるのが嫌で見栄を張ったの。だから、俺には友達なんて一人もいない。若林も存在しない」


衝撃の事実に目を見開いていると、私の反応が怖いというように先輩は目を逸らした。

それから、私の返事を聞くよりも先にべらべらと喋り出す。


私は間違っていた。

この人は、女の人に節操がなくて、男友達なんて必要がなくて、一人でも生きていける強い人だって思ってた。

全然違った。

ただ、至って普通の私がうらましくて、友達がいないのが恥ずかしいなんて思うような普通の男の子だったんだ。


「先輩……」

「んー。はははー……俺ってださいよね。ごめんね。嘘なんてついて。嫌いになった? あいちゃんにつまんない奴と思われて嫌われるのが嫌だったから嘘ついたけどさ、嘘なんてついたらもっと嫌われるのにね。馬鹿みたい」


そう言ってにこっと笑う先輩が痛々しい。

ぎしぎしと鳴る胸をきゅっと握り締めながら、先輩の腕にそっと手をかける。


「ん?」


問いかけてくる言葉を無視して、先輩の綺麗過ぎる顔にそっと顔を近づけた。

その後ゆっくり顔を離すと、先輩はぽかんと口を開いて固まってしまった。


「先輩?」

「……な、なんで?」


先輩の戸惑ったような子供みたいな声が聞こえる。

弱くて、弱くて。

本当は全然強くなくて。

それを愛しいと思う。


その気持ちをきっと恋というんでしょう。

私は知ってしまった。

先輩がどれだけ弱くて愛おしい存在か。

それでもまだまだ好きの気持ちが溢れてくる自分がいて。


「嫌いになってないの? 若林なんていないし、いじめられっ子で、自分偽ってばっかで、あいちゃんの事うらやましくてたまんないのに……」

「うらやましいだけですか? 好きじゃない?」


私がゆっくり聞くと、先輩は耳までかぁっと赤くしてまた膝に顔を埋めた。

柔らかい髪にそっと手を置く。


それだけでびくっと大げさなほど体を震わせた先輩は、捨てられた子犬みたいに心細そうだった。


「好きに決まってる。じゃなきゃこんなに、こんなに……怖くなるわけない」


その言葉が愛しくて、私はじわじわと涙をにじませた。

先輩の弱い部分も全部私が補ってあげたい。

好きです。先輩。

弱くてもいいよ。

構わないから、全部私に見せてほしい。


「先輩。好きですよ。彼女にも友達にも全部私がなってあげます」

「……あいちゃん!」


綺麗な顔をぐっしゃぐしゃにした先輩は、私にがばっと抱きついて延々泣き続けた。

それが可愛くて、可愛くて。

私の彼氏はこんなにも可愛いんだと世界中に自慢したい気持ちになった。


「先輩は綺麗な顔してるでしょ」

「……知ってる」

「でも、私は先輩が最初から男の人にしか見えてなかったですよ」

「……当たり前じゃん」

「うん。当たり前ですよ、先輩。先輩は何もしなくても普通に男の人です。女の子じゃないよ」

「…………なにそれ誘ってる?」

「えへへ」


先輩は涙を流しながらまじまじと私を見つめてきた。

唇が触れ合いそうな距離まで近づいてから、焦らすようにそこでぼそぼそと喋る。


「キスしていい?」

「……はい」

「手出してもいい?」

「………う、うん」

「もっと男だって分からせてもいい?」

「………私だけしかだめですよ」


唇の先が触れ合ってる。

ほんの少しだけ触れてるのにお互い焦らすようにくっつけない。

風が吹いたら触れあうような距離にいるのに。


「亜衣」


綺麗な顔から出るはずのない低い声で名前を呼ばれた。

胸がこれでもかってくらい、痺れた。

先輩の事が好きだと思った。

人を愛しいと初めて思った。


呼び捨てで呼ばれるのは初めてで、動揺する私の唇にぐっと唇を押しつけてきた。


「ん……」


鼻から抜けるような声が漏れる。

先輩は私の顎をくいっと掴んで、ちろっと出した舌で唇を舐めてきた。

押し倒しそうな荒々しいキスに呼吸が持たなくなる。


薄い酸素を求めるように口を開くと、その隙に待ってましたと言わんばかりの勢いで熱い舌がもぐりこんで来た。

今までのキスとは違う。

先輩の顔は涙でぐちゃぐちゃのくせに、やっぱりどこからどう見ても綺麗でかっこよくて。

私がこんな人から好きでいてもらってるなんて奇跡だ。


「亜衣……」


キスの合間に切なげに呟かれる声にどくんと心臓が鳴る。


「せ、先輩」


助けを求めるように名前を呼ぶのに、慣れてると思われるうますぎるキスに抵抗できる手段はなくて、されるがままになる。

先輩の背中だけをきゅっと掴んで応えていると、顔が少しだけ離れた。


「先輩…」

「ん。可愛い」


とろけるように甘く囁かれて、顔を真っ赤にする私に先輩はくすくす笑う。

やっぱり慣れてる!


「ず、ずるいっ」

「あいちゃんのがずるいよ。俺なんてもうこんなになってる」


そう言って、分かりやすく私の太ももにぐいぐいと何かを押しつけてくる。

それが分かってかぁっと顔がもっと赤くなる。

ばっかじゃない、この人。


それでも神様みたいに綺麗な先輩に、こんな現実的なモノがついているといまだに信じられない私はそこをまじまじと見てしまう。


「見てるの?」

「え、あ、み、見てない」

「ふふ。俺のおっきいよー。触る?」


そう言われて、ぶんぶんと首を振って、先輩のほっぺを結構な力でぶっ叩いた。

こんなに綺麗な顔で、だ、だめだ。

犯罪だ。


「今日休憩で行こう。ね?」

「……………」

「だめ?」


休憩がもうただの休憩じゃない事くらい分かってる。

どうせ二時間何千円かの休憩の事だろう。

この人の頭の中には八割ラブホの事しかないはずだ。

またどうせラブホ行きたくなる病にかかってるに違いない。


だったら、私は…。



「今日は……」

「ん?」

「今日はバイト……休みです」


先輩が一瞬目を丸くする。


「……エンジェル!」


飛びつかれた。


「……………」

「宿泊! 宿泊! 宿泊!」

「十八歳未満はラブホだめなんですよ」

「うるさーい」


あれ。

先輩なんかキャラ違うんですけど。

怖いんですけど。

目が座ってますけど。


「エンジェル! 俺、想像するともう鼻血出そう」

「きもい、先輩」

「あはは。先輩じゃなくて夜のために藤和って呼ぶ練習しとこっか」

「えぇー?」

「ほら、藤和」

「と、藤和…」

「エンジェルっ」

「藤和」

「エンジェルっ!!」


この人多分エンジェルって呼ぶ気だ、これからも。

それだけは阻止しないといけない。


「藤和」

「エンジェルっ!」

「ふふ。友達多分できますよ、藤和なら」

「……ほんとー?」

「うん。藤和の笑顔だけでみんな好きになるから」

「知ってる……」

「知ってたらいいんですけど」


私がそう言うと、むっと睨むように私を見上げて、ほっぺをべろっと舐めてきた。


「な、な! 何すんの!」

「エンジェルが遠い存在過ぎて寂しくなっただけ」

「ばかじゃない」

「ふふふ。エンジェルっ」

「エンジェルって呼ばないで!」

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