番外編:幸せの豆大福 千里side

遠いあの日。

僕は額に流れる汗を拭いながら、田舎のあぜ道を歩いていた。

ここには明穂の思い出があまりにも多すぎて、僕には辛すぎる。


誰にも会いたくない。

明穂の両親にも和志にも、吉村くんにも、中学校の時の同級生にも。

誰一人会いたくない。明穂の話をしたくない。

いまだにこんなに辛いのに、明穂の事を懐かしい思い出話のように語られたらきっと泣いてしまう。


夕暮れ時、お墓に向かうと誰もいなかった。

みんな、朝かお昼に来たのだろう。

明穂のお墓には色とりどりの花が飾られていて、明穂の好きだったりんごのジュースの缶がお墓の前に置かれている。プルタブの開けられたそれが目に痛かった。


明穂のお墓に水をまいて、丁寧に掃除する。

みんなが綺麗にしたのだろうお墓はもうこれ以上何もしなくてもよさそうだったけれど、それでも僕が綺麗にしてあげたかった。


「明穂。ただいま」


オレンジの光が当たったお墓に声を掛ける。

明穂の大好きだった近所の和菓子屋の豆大福を供える。


「明穂、好きだったよね、これ。一緒に食べよう」


パックから大福を一つ取り出して口にした。

白い餅取り粉がパラパラと散って、風に吹かれていった。

パックの中にもう一つ入った豆大福は、今明穂が食べているだろうか。

口の周りを真っ白にして口いっぱいに頬張っていた明穂がフラッシュバックした。



「おいしい?」


涙がじわりと浮かぶ。

可愛かった。

たまらなく愛しくて、白い粉を拭いてあげたいと思いながら笑ってみていた。


明穂。

今どこにいるの。


元気?

お腹はすいてない?

まだ走ってるの?

そっちでも笑ってますか。


僕は今アメリカのハイスクールに通ってるよ。

英語も前より上達したよ。

苦手だったトマトも向こうで食べているうちに好きになったよ。

僕には豆大福は少し甘いです。


たくさん、聞きたい事があって、たくさん話したい事があって、でもどれも言葉にはならなかった。

水分を奪う大きな豆大福を食べ切って、明穂の分が入ったパックを手に取った。袋に入れ直して、お墓に向かい合う。


「また来年来るね。元気でね」


声を掛けてその場を歩いた。

一度後ろを振り返った。

もしかしたら明穂がそこに立っているかもしれないと思ったけど、いなかった。

もしそこにいたら、僕はこの先の人生すべてを捨てて構わないと神様にお願いしたのに。


お墓から家までの道を歩いていると、前方から自転車でこちらに向かってきた人と目が合った。


「あ」


向こうが声を出した。

顔をかっと赤く染められて、その露骨な反応に気付かないふりをして笑いかけた。


「久しぶりだね、千里くん」

「久しぶり。元気だった?」

「みんな元気してるよ。明穂のところも今日吉村たちとみんなで行ったんだ」

「そっか。ありがとう」


みっちゃんが自転車から降りて、僕と向かい合った。

彼女は髪が伸びて大人びたようだけど、大した感慨はなかった。


「千里くん、今アメリカだっけ?」

「そう。みんなは同じ高校?」

「そうそう。だいたいね。このあたりで近い高校って一つしかないしね」

「そうだね。吉村くんも元気?」

「あー、陸上部でエースしてるよ。この前全国大会にも出たんだよ」

「へぇ。すごいなぁ」


吉村くん。

彼も明穂を思い出す一つで、あまり自ら思い出しはしなかったけど、彼を懐かしむ余裕はこの数年でできたようだ。


「千里くん。ちょっと痩せた? 背が伸びたのもあるかもしれないけど」

「そうかな? 自分ではよく分からない」

「……そっか」


みっちゃんは困ったように視線を泳がせた。

僕と話すことなんてないだろう。当時小学校も中学校もろくに話をしたこともなかった。

みっちゃんはあんなに明穂の近くにいたのに。つくづく自分の社交性の無さが疎ましい。


「千里くん、大丈夫?」

「え?」

「なんか、ちょっと雰囲気変わったね」

「そうかな?」


首を傾げる。

自分ではよく分からない。

一年半、アメリカの学校に行っていて、日本語をしゃべるのも久しぶりだ。


その間に何か変わっただろうか。

何もかもどうでもよかったから、今の自分がどんな風なのかもあまり興味が無い。


「私さ、ずっと千里くんのこと好きだったんだ。好きっていうより憧れみたいな感じだったけど」

「え、あ、ありがとう」


いきなりの告白にびっくりする。

大して気合いを入れずに発された不意打ちの言葉に、どきりとした。


「なんかさ、あの時の千里くんって、ふわふわして王子様みたいで。他の男子って乱暴だったじゃない。ガキっていうかさ。その中で異質な存在だったから」

「いいように言いすぎだよ」

「女子はみんなそう思ってたよ。明穂、のそばにいる千里くんって本当に優しくて、明穂の事大事にしてて、いつも助けてて。明穂がうらやましいってずっと思ってたの」


明穂の話題は胸が痛い。

できれば聞きたくもなかったけど、この場で話を遮ることはできなかった。

夕暮れがだんだん暗くなってきている。

そろそろ日が落ちるのだろう。


「でも、今の千里くん見てるとさ」

「うん」

「助けられてたのは明穂じゃなくて、千里くんだったんだね。今の千里くん、ふわふわしてない。王子様じゃなくなっちゃった……」

「…………」


そう言ったみっちゃんは目にいっぱいの涙を溜めた。

僕も悲しくなって、涙腺が刺激される。

鼻の奥が痛い。泣く一歩手前の症状だ。


「千里くんは明穂がいないとダメだったんだなぁ。分かってたつもりだったけど、なんか、今本当に分かった。悲しいよね……、千里くん」

「うん……、悲しい。まだずっと苦しい。二年経ったけど、まだ全然……、受け止めきれてない。どうしたらいいか本当に分からないんだ」


僕はとうとう涙をこぼした

慌てて手の甲で拭ったけど、制御のきかない涙はぼろぼろと立て続けに零れ落ちた。そんな様子を見て、みっちゃんはわんわんと声に出して泣いた。

田舎のあぜ道に二人の湿った泣き声が消えた。


「千里くん。頑張ろう。明穂がきっと見てるから。……頑張ろうよ」

「……そうだね。とりあえず生きていかなくちゃ」

「よかったら、さ。来年のこの日、十二時くらいにお墓にみんなでいるだろうからおいでよ。一人で行かないでさ」

「ありがとう、みっちゃん」

「千里くんに会えてよかったよ。みんなに自慢しておく」

「みんなによろしくね」


僕たちは泣いたまま、笑顔で別れを告げた。


来年の七月二十一日。

僕はきっとみんなの元には行かないだろうけど、いつか行けるようになるかな。


みんなとお墓の前で笑えるようになるかな。

そうだったらいいな。


家に戻ると、水野の家に電気が灯っているのが見えた。

それをしばらく見つめてから、自分の真っ暗な家へ入ろうとすると、うちの玄関前に和志が座り込んでいた。地面に座り込んで小型のゲーム機をしていた。


「和志?」

「あー、千里兄。やっぱ帰ってきたな」

「うん? こんなところでどうしたの」

「どうせ、うちの家来ないでそのままアメリカに帰る気だっただろ。去年は捕まえ損ねたからな。ここで張ってた」

「……そう。おじさんとおばさんは? 元気?」

「まぁ、普通。さすがに今日は元気じゃない」

「……うん」


明穂の命日。

彼らもきっとお墓の前で泣いただろう。りんごジュースを供えたのはきっと彼らだ。


「和志、中学生になった?」

「おう。中一だよ、今。野球部に入った」

「へぇー、そっか。大きくなったね」


見ない間に背を伸ばしている。

だけど、明穂に似たつり目は変わらないままだ。


「千里兄。うちで飯食ってけよ。母ちゃんたち、ずっと待ってる」

「……そうしようかな」


今日は明穂を思い出す日なんだろう。

封じ込めたって出てくるんだから、たくさん思い出して悲しくなればいいんだろう。


「和志、豆大福いる? 一つあるんだけど」

「え、それってあそこの和菓子屋のじゃん。うちにもあるよ」

「えー、ほんと? ふふ、おかしい」


遠いあの日。

辛くて、苦しくて、出口がどこか分からなくて。

やみくもに歩いていた。


三年後にはお昼の十二時にお墓に行けるようになり。

五年後にはアメリカを離れ、日本に帰って来られた。

それと同時に普段は泣かなくなり、酒に酔うと明穂を思い出して泣くようになった。


吉村くんと再会して、それから美亜に会った。


遠いあの日。

今では僕の大切な過去になった。


「千里がみっちゃんと話してたなんて意外だなぁ」


思い出に浸っていた僕を引き戻すように、声がかかった。

隣を見ると、熱があるのか顔を紅潮させた美亜が嬉しそうに笑いかけてくる。

たまらなくなって、シートベルトを外して助手席に覆いかぶさるように抱きしめた。


「千里?」

「身体熱い。熱あるね。大丈夫?」

「うん。大丈夫だよ。よしよし」


そうだよ、みっちゃん。

僕は明穂がいないとダメなんだ。明穂のそばにだけ豊富な空気があって、自由に息ができたんだ。

ほら、今も彼女のそばだけ優しい空気に満ちている。


「よし、運転する。近くの内科でいいかな」

「うん。どこでもー」

「おけ」


シートベルトをもう一度付け直して出発した。

内科で順番を待って診てもらうと、結局ただの風邪らしいということで、薬をもらった。


風邪だと診断されると、美亜がほらーと恨みがましい目で僕を見てきたけど、痛くもかゆくもなかった。

何度同じことに出会っても、僕は今日のように心配するだろう。

僕の家に連れて行って、ベッドに早速寝かせて、寝床を整えて、おかゆを用意した。


ベッドの下に腰掛けて、じっと美亜を見る。

白い肌は簡単に紅潮して、僕を心配させた。


「千里、見られてたら眠れない」

「寝ていいよ」

「寝ていいじゃなくて、寝られないって言ってんの」

「ごめん。でも、心配だから」

「いいけど。それより今度質問攻めにあうんだから、その時千里も同席しなよ。私だけ攻められるの可哀想」

「ふふ。僕は遠慮しとくよ」

「あ、逃げたな。教授だって質問攻めに遭えばいいのにねー。やな感じだねー」


嫌味を言う美亜にくすくす笑う。楽しい。

美亜が風邪を引いているというのに、楽しくてたまらない。


可愛い。

大福の粉で口周りを真っ白になんてもうしないけど、今もすごく可愛い。


さらさらの前髪を払って、額を撫でた。

熱いそこは滑らかな丘を描いている。身を乗り出して、唇をそこに押し付けた。


「美亜」


こちらをじとりと見る美亜の目の縁に口付けた。

口付ける瞬間、美亜がまぶたを閉じて、まつ毛を震わせた。


頬にもキスをした。紅いそこは確かな温度を持って、僕を出迎えた。薔薇色の唇にも触れた。

熱い吐息が口元にかかって、たまらなくドキドキした。


「風邪移るよ」

「それは困るな」


心にもない事を言いながら、何度も触れるだけのキスを繰り返した。美亜は呆れた目で僕を見ながら、仕方ないなって顔で笑った。


「千里はダメな子だな。よしよし」


髪を優しく撫でられて、それを喜んで受け入れた。


「ねぇね」

「なによ」

「僕ってふわふわしてる? 王子様みたい?」

「ぶふっ。何言ってんの。千里。いい年したおっさんが。熱でもあるんじゃない?」


辛辣な言葉が次々に飛んできて、おかしくって笑えた。


明穂がそばにいる今。

僕はまたあの頃の雰囲気を取り戻しているのだろうか。

決して王子様ではないだろうけど、あの頃のような明穂に守られていた幸せな雰囲気を取り戻しているならいいな。


「隣で寝ていい? 寝るだけ」

「えー、風邪移るって」

「じゃあ、ここに座って見てる」

「もうー。はいはい、ほら、おいで」

「……うん」


もぞもぞとベッドに入り込んで、美亜の身体をふわりと抱きしめた。ぎゅっとくっつく僕を美亜は何も言わずに受け入れた。


「明穂。好きだよ。ずっとそばにいて」

「そばにいるよ。千里。今日は心配してくれてありがとう」

「……うん」


二人で眠りに落ちた。

とても幸福な夢を見た。

いつかの豆大福を中学生の明穂と二人で食べている。

その時の僕があんまり幸せそうで。


目を覚ましてすぐ、隣で眠る美亜の髪を撫でた。

幸せを噛みしめるようにもう一度目を閉じた。



おわり

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奇跡は2度降り注ぐ 【完】 大石エリ @eri_koiwazurai

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