老人しかいない村と誰も知らない英雄――1


 嘆きの森を抜けて、そこからさらに数時間ほど歩き、目的地であった村に着いた。

 この村については、事前の情報があまりない。

 あまり旅人も寄っていないみたいだ。


 昔、ある町の酒場で、この村に来たことがあるという人に出くわしたが、つまらないところだから行かなくていいよ、としか言わなかった。

 しかし、僕の故郷では百聞は一見に如かずという言葉がある。だから本当にそうか確かめることにした。


 さて、いつものメンバーにサフィラさんを加えて村の中に入って、しばらく歩いたのだが、今のところ老人しか見かけていない。

 木製の簡素な家か田畑か高齢の人……この村で見るのは、そのどれかだった。


「まさか、ここ、老人しかいないのかしら?」


 とチャーリーが疑問を口にした。

 村の人々は先ほどからこの自転車のことをチラチラと興味深そうに眺めている。


「どうだろうな、まだ村の中を全て回ったわけじゃないから……」


 と僕が周囲を見ながら言うと、その会話を聞いていたらしい、近くにいた老人がこちらに来て、声をかけてきた。


「ええ、そうです……ここは、老人しかいないのです」

「あなたは……?」


 と訊くと、老人は口をゆっくりと動かした。


「私はロルット……この村の民です」

「老人しかいないって本当ですか?」

「ええ、数年前までは若い人も多少いたんですが、みんな出て行ってしまいましたね」

「そうだったんですか……」

 

 老人との会話をそこで終えて、考え込む。

 そうなると旅人が泊まれるような施設があるかも怪しそうだなあ。

 と思っていたら、サフィラさんがそのことについてロルットさんに訊いていた。


「あの、宿はありますか?」

「宿はないが……村長の家に空き部屋がたくさんあるから、おそらく村長に言えば泊めてくれるでしょう」

「そっか、よかった」

アンタたち、ここに泊まるつもりかい?」

「ええ」

「そいつは嬉しいな、滞在してくれる人なんていつぶりだろう……村長の家まで案内しよう」


 歩きだしたロルットさんに僕たちはついていく。

 村長の家は村の奥の方にあったが、そんなに広くない村なのですぐに着いた。

 呼び鈴を鳴らして、しばらくすると、老婆が出てきた。


「私はムアナ……ここの村長だけど、あなたたちは旅人か? 何の用だ」

「この人たちを泊めてやってくれないか?」

「お安い御用さ、それくらい、何日でも泊まっていきな、いっそずっと住んでもらってかまわないよ、ていうかそうしてくれ、是非!」


 ムアナさんは、ずずいっと僕たちとの距離をつめてくる。


「このままだと村が滅ぶ、どうかこの村に住んで、子供をたくさん産んでくれないか、そこのきれいな二人に最低でも十人ずつは産んでほしい!」


 とムアナさんはクルシェとサフィラさんを見る。


「じゅ、十人って……」


 とクルシェが絶句している。

 サフィラさんも困ったような笑みを浮かべていた。


「そこの若い兄ちゃん、この子たちはお前の女なんだろう? お前からもこの村で一緒に暮らして、俺の子を産めと言ってくれないか」

「俺の子を産めって……違います、彼女たちは旅の仲間です」

「おや、そうなのかい……だが、これからそうなればいいだろう?」


 とムアナさんは引き下がらない。

 僕も困っていると、視界の端である村人が大きな荷物を持って、村の出入り口の方へ向かっているのが見えた。

 僕はそれを利用して話題を変えることにした。


「あ、あの人、どこへ行くんでしょうね?」

「ああ、ベリックか……あいつは洞窟に行くつもりだよ、毎日、日課のようにそこへ行っているんだ、村のみんなが気味悪がっているくらいだよ」


 とムアナさんが嘲るような顔で言う。

 クルシェが首を少し傾けて聞き返した。


「洞窟?」

「村を出て、東へ少し進んだところに洞窟があるんだ。薄暗くて不気味であいつ以外は入らないようなところだよ」

「そのベリックという人はどうしてそんなところへ?」


 と僕が訊くと、ムアナさんは興味なさそうな顔で、


「さてな、言いたがらないんだよ、まぁどうせ大した理由じゃないだろうさ」

「あんな暗くて怖い洞窟、よく毎日入るよなぁ、まぁ、変な奴だから気にしないでいいよ」


 とロルットさんが快活に笑う。

 なんとなく、僕はそのべリックという人のことが気になったが、この二人があまり彼のことをよく思っていなさそうだったので、それ以上聞くのはやめておいた。


 その後、僕たちはムアナさんの家に泊めてもらい、ご飯を食べて、湯浴みも済ませた。

 そして、夜になる。

 窓の外がだいぶ暗くなったので、ちょっと早いが、特にやることもないし、僕たちはもう寝ることにした……


 ――のだが、僕はなんか眠れなかった。

 チャーリーのいびきがうるさいせいか、僕の隣のベッドにサフィラさんがいるせいか、彼女がなぜかさっきから僕のことをじろじろ見ているせいか、どれが原因かはわからないけど……。

 いや、もしかしたら全部が原因かもしれないな……。


「眠れないの?」


 とうとう、サフィラさんが声をかけてきた。


「あ、はい、サフィラさんもですか?」

「ええ、困っちゃうわね」


 なんて言って妖しい笑みを浮かべる。


「あの……さっきから僕のことをじろじろ見てますけど、僕の顔になにかついてますか?」

「あ、そういうわけじゃないの、なんでもないわ、ごめんなさいね」


 とサフィラさんは言うが、しかし、その少し後にこんなことを言い出した。

 

「……ねえ、テル君、よかったら、さ、私と……夢を見ない?」


 ……夢?

 いったい、なんの話だろうか?

 と思っていたら、サフィラさんは立ち上がり、こちらのベッドに来た。


「へ……な、なにを……?」


 驚愕していると、サフィラさんがもぞもぞと僕のベッドに入ってくる。


「ちょ、ちょちょ、なにしてるんですか!?」

「なにって、わからない? 私がしようとしていることが」

「こ、ここには、クルシェがいます、チャーリーも」

「二人とも寝ているわ」

「起きてしまうかもしれないでしょう!」

「大丈夫よ、私、声を出さないよう我慢するから……」


 と彼女は僕の腰の上にまたがってきた。


「ねぇ、私に一夜の夢を見させてよ、なんでもしてあげるから……」

 

 と言って、サフィラさんが熱っぽい目で見てきたとき、僕はあることに気づいた。

 気づいた途端、急速に冷静になった。

 そして僕は彼女に訊いた。おそらくこの空気を崩すことになるようなことを――


「サフィラさん……あなたは今、誰を見てますか?」


 それを言うと、彼女は固まった。

 確信はなかった。でも、今の反応で確信した。


 サフィラさんは僕を見ていない。

 おそらく、彼女が見ているのは……


「勇者にね……少し似てるの、あなたが」

「五代目の勇者にですか?」

「……ええ」

「……あくまで少しでしょう?」

「……ええ」

 

 唇をきゅっと結び、目をそらす彼女。

 僕はふぅーとため息をついた。


「あなたは無理矢理、僕を勇者の代わりにしようとしている、違いますか?」

「……そうよ」

「僕は誰の代替物でもない」

「……そうね」

「自分を慰めるための道具に、僕を使わないでください」

「……ごめんなさい、でも、私……辛いの、あなたを見て、勇者のことを思い出してしまって、もう吹っ切れたと思っていたのに……ねえ、お願い、私を癒してよ……私、たくさんの人を詩で癒しているんだから、私だって癒されていいはず……ねぇ、テル君もそう思うでしょう?」

「ええ、思います」

「なら……!」

「でも、こんなことをしたって、あなたは癒されませんよ」


 そう言うと、彼女は口を半開きにして、また固まった。


「もう一度、よく考えてください……あなたは僕とそういう関係になって満たされるんですか? 一時、辛さを和らげることはできるかもしれませんが、後々また余計辛くなるだけだと思いますよ」


 サフィラさんはずっと黙って聞いていたが、やがて唐突に笑いだした。


「フフ、フフフフフフフフ!」


 十秒ほど笑った後、サフィラさんはすっきりした顔になって、


「まったく、君って子は……後悔するわよ?」

「しませんよ」

「生意気……私のことエッチな目で見てたくせに」


 ぎくっ。


「私の胸とか、じろじろ見てたくせに」


 ぎくぎくっ。


 ……しかたないじゃないか、僕だって男だ。

 胸が大きい女性は、どうしてもそこに目が行ってしまうんだよ。


 僕が黙っていると、サフィラさんははくすっと笑ってベッドから出て、立ち上がった。


「気が変わったわ……安心して、もうあなたをそういう目で見ないから」


 サフィラさんは自分のベッドへ戻っていく。


「今夜のことは忘れて」


 そう言って、彼女はベッドに横になり、ふとんを被った。


 ……今夜のことは忘れて、か。

 

 忘れられるわけないだろ! あんなことされて!

 今ので、目がギンギンに覚めてしまった。

 結局、その日は一睡もできなかった。

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