第12話

【第四章 】


 風華はそのままパトカーの空席に揺られ、藤沢夫妻の乗った車を追尾した。警察署についた夫妻は別々の部屋で取り調べを受けていたが、二人とも素直に犯行を認めている。

 娘である璃子を亡くしてからの苦しみと、担任の宇都宮が何か知っているに違いないと疑ったこと。そして宇都宮から聞き出した足立花凛の情報。クラスの中心人物であった花凛がいじめの主犯だと思い、ライブ配信を行いその所業を明るみにしたこと。

 夫妻の宿願は果たされ、もはや失うものは何もない。だからこうも素直に犯行を認めているのかもしれない。

 一方、助け出された宇都宮は眠らされていたため、念のために病院で検査をしているとのことだった。そして足立花凛は面会室で家族と再会していた。

「花凛!」

 パイプ椅子に座っていた母親が弾かれたように立ち上がり、女性警察官と共に部屋に入ってきた花凛を出迎える。

「ママぁ」

 母親に抱きしめられて花凛は泣いていた。さらに上からそれを包み込むように、父親と兄弟が抱きしめた。

――あれ、この人。

 花凛と同い年くらいの兄弟には見覚えがあった。風華を見つけるために警察に働きかけていた例の名も知らぬ恋人だ。

「パパ、真琴……」

 今度は父親たちとハグをする。彼氏の名前は足立真琴というらしい。

「姉ちゃんが無事でよかったよ」

「死んじゃうかと思った……」

「怖かったな」

 どうやら真琴は弟らしい。

 それから足立一家は警察から説明を受け、明日また花凛に事情聴取をさせてほしい旨を連絡されその夜は帰宅した。


 ***


 その日の夜、風華は足立家についていくことにした。花凛のことも気になったが、恋人だった真琴にも興味があった。

 足立家までは車で帰った。例の如く足置きのところに縮こまりついていく。車内はほっと一安心という空気で満ち満ちていたが、皆疲れて誰も口を利かなかった。

 家に到着してからも、皆はシャワーだけ浴びてろくな食事もとらず眠ってしまった。それも当然だが、姉の一大事とあり、家族一同かなり疲弊していたらしい。

 翌朝、花凛は自室で目を覚ました。ぼんやりとした目のまま、彼女はスマートフォンを手に取り、途端に目を丸くしていた。着信が千件近く入っていたのだ。恐る恐ると番号を確認するが、どれも悪戯の類のようだ。

 あの動画が出回ってるんだ。

 風華はすぐにぴんときた。既に花凛の個人情報が出回り、いたずら電話がかかってきたのだろう。

 不安になった様子の花凛はSNSを立ち上げた。鍵つきの個人アカウントのフォロワーが減っている。フォローされているのは今はもう動いていないようなアカウントだけで、同級生のほとんどが花凛のフォローをやめていた。

 恐る恐ると自身の名前を検索すると、顔写真と共に例の動画が流れ、氏名や学校名学年やクラスまでが明らかにされて出回っていた。

『どうせこいつが、いじめてたんだろ』

『主犯じゃん』

『制裁されるべき』

 そんな文言と共に凄まじいスピードで花凛の情報が全国に、全世界にどんどんと拡散されていく。

「やめてよ……」

 震える手で花凛はスマホを取り落とし、ベッドの中で丸まった。小刻みに震える体は泣いているのかもしれない。そのとき部屋のドアをノックする音がした。

「姉ちゃん、記者が来てる」

 弟の真琴だった。花凛は涙をぬぐいドアを開ける。真琴も狼狽している様子だった。

「週刊誌の記者らしくて、出てないけど何度もチャイム鳴らしてきてさ。しばらくは俺も姉ちゃんも学校は休んだ方がいいな」

「……うん」

 こくりと花凛が頷く。

「父さんと母さんは仕事に行ったけど……。とりあえず、なんか食べる? 昨日の夜も食べてないだろ」

「お腹すいてない」

「それでも食べろって。大丈夫、食パンと目玉焼きくらいなら俺にも焼ける」

 真琴は花凛の腕を軽く引っ張り一階のダイニングへと連れて行く。その言葉通り、トースターで焼いただけの食パンと、少しはじの焦げた目玉焼きを皿に乗せ、花凛の前に置いた。

「足立さーん! いるんでしょー!」

 カーテンのかかった窓の向こうからそんな声が聞こえてくる。それが花凛から食欲を失せさせていた。

「気にすんなよ。人のうわさも七十五日。すぐに帰るさ」

「七十五日も、私耐えられないよ」

「そんだけすぐって例えだろ。本当に七十五日だとは言ってない。人間なんてもっとすぐ別に興味を持つだろ、普通」

「真琴は他人事だからそんな風に思うんだよ」

 叩きつけるように花凜がそう言った。真琴は黙り、困った表情のままぱくりとトーストをかじる。

「……ごめん」

 しばらしてから、ぽつりと花凜が呟いた。

「いや、まあ、姉ちゃんが大変なことには変わりないし……。なんにもできなくてごめん……」

「そんな、弟のあんたが謝るようなことじゃないでしょ」

「双子なんだから姉も弟もないだろ」

「でも、あんた普段姉ちゃんって呼ぶじゃん」

「小さい頃からの癖で抜けないんだよ。いいだろ、別に」

 ふふっと花凜が笑った。その表情を見た真琴も少し微笑む。そのとき、花凜がテーブルに置いていたスマホが震えた。真琴の側からは見えなかったが、風華からは名前が見えた。

『MIRAGE』

 ミラージュと書かれた名前だった。花凜は強ばった表情でスマホを掴むと、廊下に出た。

「……もしもし」

 風華は花凜のスマホに耳を近づける。

「もしもし、なのかちゃん? いや、花凜ちゃんって言った方がいいのかな」

 半笑いで馬鹿にするように相手が言う。中年くらいの男性の声だった。

「あの……。ご用件は?」

 ごくりと唾を飲み込み花凜が問う。電話先の男はへらへらとした口調で話した。

「動画、出回ってるでしょ。すごいよね。インターネットってやつが、俺のガキの頃になくてよかったよ。あのね、うちに花凜ちゃんを取材したいって人が来ててさ〜。ちょっとホテルで話せないかな? もちろん変なホテルじゃないよ。先方も女性のライターだし」

「取材? そんな、無理ですよ……」

「じゃあ、花凜ちゃんがうちで働いてたこと、うっかり週刊誌に口を滑らせちゃうかもな〜」

 男はけらけらと笑いながら続ける。

「そうなったらお互い困るでしょ。週刊誌さんはね、花凜ちゃんの口から話が聞きたいだけなの。ちょろっと話せば、ぜ〜んぶ丸く収まるから。大丈夫!」

 花凜は明らかに動揺していた。

「ほ、本当に話すだけなんですか?」

「嘘をついたりしないよ〜。疑うなんて、ひどいなあ」

「……わかりました。伺います」

 ホテルの名前と部屋番号を男が告げる。花凜はそれをスマホにメモすると、真琴が廊下に出てきた。

「何してんの……?」

 電話を切って、ぶっきらぼうに花凜が答える。

「別に。なんでもない」

「なんでもなくないだろ。敬語だったし、友達や彼氏じゃないだろ」

 真琴が花凜の手からスマホを奪おうと腕を伸ばす。

「離してよ!」

 花凜がその腕を払い除けるが、彼女の目には涙が浮かんでいた。それを見た真琴はスマホを奪うのをやめて、真摯に訊ねた。

「……姉ちゃんの事務所の人?」

「……違う」

「じゃあ誰?」

「……副業」

 ぼそりと花凜が答える。感情をコントロールできず、はらはらと頬に涙が伝っていた。

「ラウンジ嬢してるの。軽い感じの、キャバクラみたいなところ」

「そんなことしてたの?」

 真琴は呆れると言うより、心底驚いているようだ。

「ママたちには言わないで。ブランド品を買うのだって、仕事だけじゃ無理なんだよ。稼がないと」

「じゃあ夜にレッスンに行ってたのは?」

「半分は本当だけど……。半分はラウンジの仕事。うちの事務所、つるんでるんだよ」

「私、もう芸能界に戻れないかも……」

 不安を口に出す花凛は小刻みに震えていた。

「そんなこと……。わかんないだろ」

「わかるよ! あの動画が拡散されて! 顔も出回って! 私がモデルの仕事していることもばれた! ラウンジのことだって、大人たちがばらそうと思えばばらせるんだから!」

 それから花凛は真琴になだめられつつ、電話の詳細を話した。話を聞き終えた真琴は、ホテルに自分もついていくと言い出した。

「はあ!? そんな危ないよ」

「危ないのは姉ちゃんの方だよ。本当に女性記者かも怪しいし。子供が一人くらい増えたって文句言わないだろ」

 真琴はなんとか花凜を説き伏せて、花凜に先方へ連絡するように言った。弟が着いてくると言うと、先程の男は構わないと答えた。

「……記者が来てる。無視していくぞ。パーカーとか、フードがあるやつを着た方がいい」

「真琴もね」

 真琴はグレイのパーカー、花凜は黒のパーカーを着て、玄関のドアは真琴が開けた。大きなビデオカメラを持ったテレビ局の記者らしきものはいないが、代わりにスマホを持ったライターやユーチューバーらしき輩が五人ほど控えていた。

「おっ! 出てきたぞ!」

「コメントちょうだいよ!」

「足立さん、反省してないんですか!?」

 飛び出てくる罵詈雑言から逃げるように二人は地下鉄へと急いだ。

「最悪、最悪、最悪……」

 小声で祈るように何度も花凜はそう呟いている。真琴は黙ったまま、花凜の腕を引いていた。

 地下鉄に乗る二人を風華は無言で追いかけた。二人と同じように電車に乗り、栄駅で降りる。二人ともずっと無言で、スマホを見ることもなかった。暗がりを進む地下鉄は騒音ばかりで、窓の外を見てもきっと気が滅入るばかりだろうと風華は思った。

 取材を受けるためのホテルは、先の男が言う通り、怪しげなホテルではなかった。家族連れの観光客が使うような広々としたロビーに、今どきめずらしいホテルマンのいる受付のスタイル。高級そうな絨毯をスニーカーで踏みしめながら、二人は受付へと向かった。

「あ、そこの二人」

 受付へ行く前に、すぐそばの柱に立っている男が声をかけた。

「馬場さん……。ラウンジの人」

 ぼそりと花凛が真琴に説明する。

「足立真琴です」

 まるで威嚇するかのように、むすっとした表情で真琴が自己紹介する。四十代くらいの背広の男はにやにやと笑っていた。

「俺は馬場。呼び出して悪いね。ちゃっちゃと取材を済ませたら、三人で寿司でも食べに行こう。もちろん俺が奢るからさ」

 調子のいいことを言いつつ、馬場は二人をエレベーターの方へと案内する。

「取材って嘘じゃないですよね」

「正直な子だね。駆け引きがないのは嫌いじゃないよ」

「答えてください! 帰りますよ」

 三人だけのエレベーターの中で真琴が語気を荒げると、馬場は落ち着かせるように手をひらひらと振った。

「本当にただの取材。うちがよくしてもらってるライターさんがどうしてもっていうからさ。その人が女性なのも本当。大丈夫。悪いようにはならないって」

 馬場はそういうが、風華はここで取材を受けるのが得策だとは思わなかった。ここではなく、どこであろうと。あの動画が出回ってしまった以上、花凛は芸能界の道を諦めざるを得ず、ほとぼりが冷めるのを自ら待つ他ないような気もするし、それが一番よい方法だとも思う。



 馬場が抑えていた部屋はリビングと寝室に分かれているタイプの部屋で、リビングにはローテーブルを挟んで長いソファが二つある。三十代くらいの女性記者と、一眼レフカメラを持った四十代くらいの無精ひげの男性記者が控えている。面倒そうに席を立った二人は、こちらを一瞥するなり言った。

「写真写りがいいだけかと思ったけど、意外とちゃんと可愛いじゃん」

 乾いた笑い声で男性が言う。爬虫類を思わせる顔をしている女性記者はにこりと目を細めた。

「こんにちは。ラリーポストの渡葉です。こちらは伊部。緊張しないで。私も若い頃、あなたと同じように馬場さんのところでラウンジ嬢をしていたの」

 信用ならない微笑みを浮かべたまま、座るようにと彼らがソファを指差す。早く終わらせたい一心なのだろうか、花凛はそそくさと座り、渋々と言うように真琴がその隣に腰掛ける。

「写真撮るんですか?」

「もちろんモザイクをかけるよ」と男性記者。

 スマホをボイスレコーダーモードに切り替え、渡葉が聞いてきた。

「じゃあ、早速だけど、今日は取材に応じてくださりありがとう。あなたが渦中の少女ね」

 まるで刑事の取調べだと、風華は思う。無罪か有罪かは、すでに決まっている取調べ。

「……はい」

「Rさんを殺してしまったという罪の意識は感じている?」

 無感情に抑えた声で渡葉は訪ねてくる。ぶんぶんと怯えたように花凛は首を横に振る。

「いじめてなんていません。少なくとも私は――」

 渡葉は資料が入っているらしいタブレットに目を落とす。

「でも陰口や無視はしてたんですよね。いじめじゃないって決めるのは足立さんですか?」

 弾かれたように花凛は席を立って、渡葉に向かって叫んだ。

「そんなのわからないです! 誰にもわからないんじゃないですか!?」

 その言葉を撃ち落とすように、渡葉は蛇ような冷たい目をしていた。

「じゃあどうして璃子さんは死んだと思う?」

 ぐっと、花凛は言葉に詰まる。

 渡葉は勝ち誇った笑みを隠すように、無表情になって畳みかけてくる。

「わからないんじゃないでしょ。責任から逃げてるだけじゃないんですか?」

 次の瞬間、渡葉は伊部もろとも、壁へと体を打ちつけた。重厚感のあるソファには獣の爪で抉られたような二本の爪痕がついている。

「な、なに!?」

 動揺したように渡葉たちは辺りを見回す。その場にいる馬場も呆然としていた。真琴も花凛も目を瞬かせている。

 当事者の風華だけは、はあはあと苦しそうに肩で息をしていた。

 力は、使わないつもりだった。けれど使った。

 風華は腕を脱力させぶら下げてから、はっと両手で自分の顔を覆った。

 『責任』、そんな言葉を軽々しく使わないでほしかった。少なくとも人を殴るための道具に、してほしくなかった。

 花凛を憐れむわけではないが、渡葉のやり方は巧妙で小狡い。だから許せなかったのだ。

 悪霊化が進んでしまう。

 今はまわりに白瀬や鵜飼がいないので、自分の現状がどうなっているのかはわからない。しかし確実に悪霊への道を進んでいるはずだ。

「帰ろう、姉ちゃん」

 真琴が花凛の手を掴み、部屋から出て行こうとする。

「今のは何!? 何をしたの!?」

 渡葉が立ち上がり、怒声を浴びせる。

「あんたたちがどういうつもりで姉ちゃんを呼んだのかよくわかった。記事なら好きに書けばいい」

 真琴はそう吐き捨て泣いている花凛を連れていく。記者たちは止めようとしたが、馬場が首を横に振る。明らかに人の力では不可能な原因不明の突風と、ソファに走った獣の仕業のような大きな亀裂。これだけでも不気味なのに、この混沌とした室内に、対立する人間を残しておくのはまずいと判断したのだろう。

 真琴と花凛は逃げるようにそのホテルから立ち去った。


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