第10話 ヤフ・チャール

 中央共和国の首都・オムファリウスは観光客向けに色々と整備されていて、最初に取ったホテルのような宿で3日くらい連泊していたら、その宿の従業員の方から、


「長く滞在するのであれば、色々な宿屋に泊まってみるのも楽しめると思いますよ」


 と言われた。

 何も言わなければそのまま滞在して利益を落とす客相手に不思議なことを言うな、と個人的には感じたが、この辺りの嗅覚は商会長である陽乃は流石に鋭かった。

 別の宿を探すために宿屋街区を共に歩く陽乃は語る。


「どちらかと言うと宿、というよりも国とかの決め事なんじゃないかな? 次の宿への紹介状ももらえるくらいだから、結構手慣れていそうだしねー」


 更に陽乃は、付け加えるように『まーウチは商売周りのことしか分からないから知らないけど』と突き放す。国策として長期滞在者には色々見て回って欲しいのかも。



 そして。

 そういう意味では確かに、次の宿もまた観光向けと言えた。


「まさか砂漠でプールに入れるとは思わなかったね、明日葉っ! あんまり水深は深くないのが海外っぽいけど、でも日陰になってるから意外と外に居ても暑くないね!」


「そうね……」


 次の宿にはなんとプールが併設されており、深さは大体お風呂の湯船くらいとプールとしては大分浅いものの座って入れば、肩くらいまでは水に浸かれる。ちょうどお昼に近い時間だったが陽乃が入ってみたいと言ったので、チェックイン後、お互い水着に着替えて利用してみることにした。

 また、そこそこ広いことから大浴場に近い印象は受ける。



 そしてプール全体は日差しを遮るような高い壁……



「んー? 明日葉どしたの?」


 思案に入った私にすぐ気づいた陽乃は、私の眼前に顔ごと寄せるようにし、彼女の瑠璃色の瞳と交錯する。プールで日陰なので、直射日光下ほど暑くはないとはいえ、水着の陽乃の額からは仄かに雫が見え隠れしていた。


 それを私は陽乃の目に入らないように右手で拭った後に話し出す。


「……ヤフ・チャール、だとは思うのだけど――」


「おおー、また全然知らない言葉だ。響きも英語とかっぽくないね」


「ええ、ペルシア語だから。

 ヤフ・チャール自体は言ってしまえば氷室のことよ。時代はアケメネス朝ペルシアの頃ね」


「あけめねす? え、聞いたこと無いかも。卑弥呼とどっちが古い?」


「紀元前だから、卑弥呼の方が500年以上は新しいわね。というか、卑弥呼って三国志辺りだし……」


「え!? そーだったの!?」


 あれ? この話を陽乃にしたことは無かったか。

 とはいえ、今は卑弥呼も三国志もメインではないので話をヤフ・チャールに戻すために、一息吐いてから隣に座る陽乃の肩にプールの水をかけながら話す。


「……それで。ヤフ・チャール自体は氷室だから当然氷を入れなければいけないのだけど、こういった浅いプールを利用して製氷を行っていたこともあったらしいわ」


「へー。でもさでもさ、日陰でちょっと暑くないとはいえ、汗かくくらいの気温なのに氷なんてできるの?」


「暑いならひっつくのやめなさい、陽乃。

 ……冬場の夜に気温差を利用すれば、氷も作れるらしいけど」


「そんなに上手くいくのー?」


「……さあ?」



 事前に来る前に調べた感じだと冬の夜でもちょっと暑いくらいだと聞いていたので正直分からない。もっとも、地球紀元前由来の製氷を行っているかが微妙なところだし、今では観光資源っぽいから、どちらかと言えば、これも鉄道製作者やセンターピボット農法のように『転生者知識』なのかも。

 ……アケメネス朝ペルシア人転生者とか聞いたことも無いが。



「……でさ。明日葉はさ? 何を気にしてる感じ?」


「……陽乃。分かっちゃう?」


「まーね。そりゃ、明日葉との付き合いは長いし、何かに気付いたことくらいは」


「……日陰ってさ。今の季節的に赤道直下だと、真昼にこんなに影が出来ないはず。

 実際、ヤフ・チャールのあるペルシャは北回帰線よりも北にあるから、いつでも影ができるけども、ここ……中央共和国でも同じものが見られるってことは――」


「ここは赤道直下じゃない……ってこと?」


「……まだ分からない」


 世界の中央を自認し、わざわざ人工で『世界の中央』になるように砂漠のど真ん中に建てたはずの計画都市・オムファリウスが、赤道直下でない可能性がある。


 その疑問を解消する『仮説』はいくつかある。

 1つは陽乃の言う通り、ここが赤道直下だというのが誤り。

 これはちょっと確定するのが難しい。影の通年観測か、日の出と日の入り位置が1年を通してほぼ変わらないとかがあるが、これをやるなら長期滞在が必須だ。……フーコーの振り子の振動面観測という裏技はあるけど、これも摩擦の影響を受けないように、できれば3mくらいの糸で振り子を作りたいから大変だ。

 ただ観測的事実は不明だが、客観的な情報としてここが世界の中心である確度は高いのでひとまず真とする。


 次に地軸の傾きが地球よりもかなり傾いている可能性。

 なので仮に地軸の傾きが倍あれば、日陰がほぼ出来ない日が半減するし、最大で地球の2.5倍程度の影が赤道直下では出来る。しかし反証として、それなら赤道とは逆の極域では白夜が大量発生することとなるが、その事実は確認できていない。なのでこの仮説は誤りだろう。


「いつになく明日葉が賢く見えるね! この世界で数学者として名を残せるんじゃない?」


 ……数学者というよりも天文学者では? とは思ったが歴史上のそれ・・は数学者も大体兼ねているから突っ込みとして機能しないため別の言葉を告げる。


「陽乃、茶化さない。それにここからの仮説は、数学から離れるから……」


「え、どういうの?」


「……『地動説』が間違ってて『天動説』が正しいなら、今の現象って割と説明できるのよ」


 即ち、『コペルニクス的転回をコペルニクス的転回する』考えだ。


 当然のことながら21世紀日本で理科を学んできた以上は、私も――多分陽乃も――地動説を前提に考えている。

 だから、この世界の天文的な資料や文献をこれまで私は『地動説を前提として』読み替えを行ってきた……が。世界の水準はルネサンスや絶対王政期の頃のものも混在しつつも、それでもベースは中世っぽいがために、ほぼ天動説ベースで記載がされている。

 私がエルフから学んだ占いの体系だって、天動説を基盤として構成されている。それを私が地動説に変換して私の知識と結びつけているだけなのだ。


「ええっ、『天動説』の方が正しいってさ! 明日葉、大発見じゃない!? 学会か何かで発表しなよ!」


「あのね、陽乃。この世界では『天動説』が主流なのだから、この世界の人目線で見たら事実の再確認に過ぎないわよそれ」


「あ、そうじゃん!!」


 事実の再確認が無価値とは言わないが、別に学者でもない私がわざわざ論文の書き方から勉強してやりたいか、と言われると『いや別に……』なので、やる気は皆無である。



 ……それに。



「ここまで真面目な話をした私が言うのも違う気がするけど……。

 お互い水着でプールに居る状態で話すこともでも無いわよね」


「それねー。いつ突っ込もうか悩んでたけど、明日葉に先言われたかー」


「……分かってたなら言いなさい、陽乃」


「えへへ、いやー明日葉が喋ってるのに邪魔しちゃ悪いかな、と思って。

 ――じゃあさ! プール上がったら、何か食べに行こうよっ! やふ・ちゃーる? って氷を作るためのものなんでしょ? かき氷屋さんとか無いかなー」


「……ヤフ・チャールが作られたアケメネス朝ペルシアには、ファールーデって名前の半冷凍のシロップをかける麺料理の氷菓ならあったけど」


「え。紀元前の話だったよね?」



 ちなみに、プールから上がった後に着替えてホテルの周りを散策したらファールーデは流石に無かったものの、シャーベット屋さんはあった。


 なお。地球でシャーベットは古代エジプトにも存在したらしいので、意外と冷たいお菓子に関する人間の探求というのは時代を問わないものがある。




 *


 プールでの水着とは打って変わって、シャーベット屋さんに居る今の私たちの格好は、通気性の優れた薄い生地とはいえ、長袖にワイドパンツといった装い……ここでの滞在で購入した服装である。


 結構ゆったりめで快適なのだが、服の締め付けが緩いということは、気付かぬうちに太りやすいということで良し悪しである。


「ねーねー、明日葉のシャーベットもちょうだい」


「しょうがないわね……ほら、陽乃。口開けなさい」


「ん」


「はい、どうぞ」


「……んっ、酸味が効いてて明日葉のも良いね!

 じゃ、お返しするからあーんってして――」


「はいはい……あーん。

 ……甘すぎない?」


「そうかな?」



 陽乃と前世の頃から普段通りのやり取りをしつつ、プールで考えた仮説について思いを巡らせる。


「……そろそろ、一度ちゃんと調べた方が良いかもしれないのかしら」


「んー? なにをー?」


 陽乃は、このシャーベット屋さんの刊行物をいつの間にか取り出して生返事をする。


「緯度的にどの辺りか……ね。ここでやるか、それとも南半球に確実に入ってからやるかは悩んでいるわ」


 赤道直下を調べるよりも、南回帰線を超えた先での調査の方がやりやすいので。


「あー、南半球って言うと、時計が逆回転ってやつ」


「お、陽乃、覚えていたわね」


 時計が『左回り』なのは、このシャーベット屋さんに置かれているものも例外ではない。

 問題はその調査をこの砂漠の都市で行うかどうかだが――


「あ、見て見て。

 シャーベット屋さんの新装開店情報なんだけどー」


「……あのねえ、陽乃。話聞いてた?」


「失礼なっ! 聞いてたって、何か実験とか調べものするつもりなんでしょ?

 ほら、この新しくオープンするお店の名前見てよっ!」


 陽乃が刊行物を広げるから、私も顔を陽乃に近づけてのぞき込む。



 そこには――『ロンハイミンドー国子監店』と記載されていた。


 ……国子監こくしかん。地球では隋の時代くらいから存在していた中華王朝における学府。となれば、確かに腰を据えて調べものをするには打ってつけかもしれない。


「陽乃……よく『国子監』だけで学校って分かったわね」


「……まーね! すごいでしょ?」



 ……後で、陽乃を問い詰めたら、前世世界でやってたソーシャルゲームでそんな名前を一瞬見たことがあったらしい。いや、それはそれで凄い。

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