わたしにとって最も長かった日々

 あゆみが息を引き取ったのは、深夜を過ぎた静かな時間でした。窓の外には街の灯りがぼんやりとさびしそうに揺れていて、病室の中には、機械の電子音が途切れたあとの沈黙だけが残されていました。


 主治医がそっと頷き、機械のスイッチを切ると、看護師の方々は黙って頭を下げました。父はは声もなく泣き崩れ、母とわたしはあゆみの手を握り続けていました。その手は、冷えはじめていたけれど、まだのこっている彼女の体温を最後まで感じていたくて、どうしても離せませんでした。


 やがて、あゆみは病院内の霊安室に移されて、わたしたちはそこでメモリアルホールのスタッフの到着を待ちました。その間わたしたちはあゆみに今の思いを話しかけました。


 そして、メモリアルホールのバンタイプの寝台車が病院に到着したとき、彼女の身体は白いシーツで丁寧に覆われ、スタッフの手によってストレッチャーに移されました。わたしたち家族はそのあとを静かに歩きながら、病院の裏手にある搬送口まで彼女を見送りました。ホールのスタッフたちは手際よく、しかし敬意をもって彼女を迎え入れました。わたしたちが病院の敷地を出たとき看護師さんたちは再び一礼しました。ホールに着いたあと、わたしたちはホールに入り、あゆみの身体を静かに冷蔵庫に安置するところを見届けて帰宅しました。


 翌朝、わたしはあゆみのエンバーミング処置を家族がガラス越しに見守ることが特別に許されたということで再びホールへ向かいました。わたしは到着後待合室でしばらく待ちました。そしてスタッフの方に呼び出されて冷蔵庫の前に行きそこから出されたあゆみの乗っているストレッチャーの後を追ってエンバーミング室の前まで行きました。すでにフルフェイスの防護服を着た二人のエンバーマーの方々が準備を済ませていました。


 ストレッチャーが入ってドアが閉められたあと、シーツをほどいて彼女の身体を作業台に移しました。最初に全身を丁寧に洗いました。それが終わるとピンク色の保存液が入ったボトル数本を棚から出してそれをミキサーのような機械に入れました。一人のエンバーマーがそこから出たホースをあゆみの血管につなげました。そして静かだった周りにモーター音が響き、体内の血液を押し出されると同時に保存液を注ぎこまれていきます。その間はもう一人のエンバーマーが手や足の先をマッサージしていました。その後は金属製のパイプを胴体に差し込んで異物などを吸い込んで除去した後、そのパイプに血管用とは別の保存液のボトルを取り付けてそれを体内に注ぎ込み、完了後、最後に念のため、手足の指先に直接保存液を注射しました。その作業は数時間にも及びましたが、丁寧な仕事ぶりにわたしは思わず胸が熱くなりました。


 わたしはそれを見届けて帰りましたが、その後二日間ほどエンバーマーの方々によって、胴体への薬品注入で発生した内臓からの脱水の除去を一日一回ずつ行ないそれが済んだあと身体をもう一回丁寧に洗って服を着せて化粧をしたと聞きました。


 それから三日後、わたしは再びメモリアルホールに行きました。処置を終え、あの日、雑誌の撮影のために選んだ白いドレスを着てベッドに横たわっているあゆみの顔は、長い闘病生活を終えて少しホッとしているようでした。

「がんばったんだね……あゆみ……」

わたしはそう言いながらそっと彼女の髪をなでてそっと抱きしめました。そして彼女がお気に入りにしていた香水を首筋にひと吹きしました。


 その後、アクリル製の特注ケースに、真新しいクッションが敷かれ、ホールのスタッフの方があゆみをその中に寝かせた後、透明なふたが閉じられた後、わずかに残された隙間から窒素ガスが送り込まれて、それが終わった後パッキンでそこも閉じられました。そのときの彼女はファッションショーに出ていてもおかしくないような、美しい姿でした。


 台車に乗せられたそのケースは、静かにホールの中央へと運ばれていきました。花が周囲に並べられ、ライトが調整され、まるで舞台や映画のワンシーンのような空間が作り上げられていきました。


 開場後は参列された方々がひとり、またひとりと、静かに涙を流しながら彼女に声をかけていきました。

「あゆみは、今、誰よりも美しく、堂々と、立派に、その『舞台』に立って見事に自分の役を演じきっている」

わたしは、そういう思いでいっぱいだった。

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