最後の打ち合わせ
その日、あゆみの容態は一時的に落ち着いていた。車椅子で外出することもできるという主治医の言葉を受けて、わたしたちは彼女を伴い、とある近郊のスタジオとあゆみが過ごすことになる小道具倉庫を訪ねた。
見学を終えた夕方、スタジオ近くの静かな会議室に集まったのは、両親、姉のえみりさん、そしてわたしこと、マネージャーの伊吹だけだった。あゆみ本人は疲れて眠っており、代理としての家族との「打ち合わせ」が始まった。最初に、沈黙を破ったのは母親だった。
「本当に、あの子の願いを、現実にすることができるんですか?」
わたしはゆっくりとうなずいた。
「技術的には、可能です。すでにエンバーマーの先生方とも連絡を取ってあります。保存処置と衛生管理、さらに「出演」に必要な照明耐性の処置も。必要な準備はすべて、間に合います」
父親は腕を組み、やや険しい顔で口を開いた。
「それは、いわば「遺体の商用利用」にならないんですか? 法的にはどうなんでしょうか?」
「ご心配はもっともです。でも、今回は『文化財的な保存』という扱いになります。展示ではなく、「劇中の情景の一部」として、明確に本人の意思を尊重し、冒涜的な演出は禁止することを誓約することで、法的にも倫理的にもクリアにできます」
言葉を選びながら、丁寧に説明する間、姉のえみりさんはずっと黙っていました。
そして、彼女はふと、ぽつりとつぶやいた。
「あの子、昨日こんなこと言ってた。『死んで誰にも見られなくなるくらいなら、ずっとカメラの前で眠ってたい』って。それを聞いたとき、わたし、何も言えなかった」
それを聞いた母親の瞳が揺れた。
「わたしだって、できるなら、ちゃんと墓にね、骨を納めてあげたい。でも、それが、あの子の幸せじゃないとしたら、母親として、それを拒むのは、ちがうのかなって思ってる」
室内に、一瞬静寂が満ちた。そして、父親が静かにうなずいた。
「歴史とかに詳しいわけではないから、あまり自信を持って言えることではないけど、おかしな時代なのかもしれない。でも、時代が変わっても、子どもを思う親の気持ちは変わらない。「生き方」を貫いた子どもを、親が背を向けてはいけないな」
わたしは深く頭を下げた。
「ありがとうございます。ご家族の了承があってこそ、できることです。あゆみさんは、最期まで『現場の一員』でありたいと願っていました。わたしはそれを、必ず守ります」
そのとき、会議室の隣室から、小さくドアが開く音がした。車椅子に乗ったあゆみが、看護師の補助でひょっこりと顔をのぞかせていた。
「みんなで、話してたんでしょ。わたしのこと」
えみりさんが立ち上がって近づこうとすると、あゆみはすこし笑って言った。
「私ね、このスタジオが、私のお墓でいいって思ってるの。お墓って、誰にも見られないで眠るだけのところでしょ。でもここなら、きっと誰かが見てくれるから」
その言葉に、母が小さく頷いて、震える声で言った。
「うん。あゆみ、わたしたち、ちゃんと見守ってるからね。ずっと、ここで生きていって」
会議室の空気が、涙と決意と、ほのかな希望で満たされた。それが、彼女が生きていた時間の中で、家族とマネージャーが交わした、「最初で最後の遺言の打ち合わせ」だった。
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