女優・平間あゆみの母として

 あゆみの「最後の願い」を初めて聞かされたとき、わたしは言葉を失いました。

「ママ、もし私が死んじゃったら、火葬しないで、スタジオに置いてほしいの。ね、お願い」


 その言葉を聞いたのは、彼女が退院して一時的に自宅に戻ってきたある日の夜。熱もなく、久しぶりに少し表情が明るくて、わたしたちは久々に四人そろって食卓を囲んだあとでした。それは軽い気持ちの冗談だと思いたかった。けれど、彼女の瞳は真剣でした。いつもと同じ、ドラマの脚本を読み込むときのような目でした。

「あゆみ、それはどういうことなの?」

わたしがそう問い返すと、彼女はゆっくりと語ってくれました。

「私ね、死んじゃうのは怖いけど、それよりも、一番怖いのは誰の中にも残らないことなの。何もない場所で、ひとりぼっちになること。だったらせめて、何かに「なりたい」の。照明の下で、誰かに見られて、「あ、あゆみだ」って思ってもらえるなら、それだけで、わたし、生きてる気がするから」

それを聞いた瞬間、胸の奥がぎゅっと苦しくなりました。親として、「そんなこと言わないで。あなたの体はちゃんと弔ってあげる」と言いたかった。言わなければならない気もしました。だけどわたしはそれを言えませんでした。


 わたしは知っていました。あの子が、どれほど芝居に命を懸けていたか。どれほど演じることに誇りを持っていたか。家に帰るなりセリフを復唱し、誰に見られていなくても、何度も動きを鏡で確かめていた背中を、わたしはずっと見てきました。そして、あの子が「母の腕の中で泣く」ことをやめた日。まだ小学生だったのに、「ママ、泣いたらだめだからね。人前では笑ってて」と言った、あの夜のこと。


 わたしは思いました。あゆみは、もう子どもじゃない。これは、この子なりの生き方なんだ。死んだあとも「女優」でありたいという、最後の意志なんだ、と。それでも、母として、迷いがなかったわけではありません。夜中に目が覚めて、何度も天井を見つめました。「ほんとうにこれでいいの?」「娘の体が『道具』のように扱われるのを、わたしは許していいの?」と。けれど、最終的にわたしは納得しました。この子は、病に勝てなかったかもしれない。でも、人生には「負けていない」といえる。今もなお、あの子は自分の意志で未来に手を伸ばそうとしている。ならば、それを支えるのが、母としての最後の務めかもしれない。


 メモリアルホールに安置された娘の姿を初めて見た日、わたしは泣きませんでした。それは、誰かの「終わり」ではなく、誰かの「はじまり」を、いまもなお支えている姿だったからです。


 彼女の姿を見るたび、わたしは心の中でそっと声をかけます。ありがとう、あゆみ。あなたの選んだ人生を、私は誇りに思っています。


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