第27話 推し欠乏性シンドローム
街中に飾られた赤いハートの風船が目につく、二月中旬。身を寄せ合いながら歩くJKたちの横を、スポーツウェア姿の拙者が颯爽と走り抜けていく。
「さむっ! わ、てかさっきの外人見た? すごいマッチョだった」
「かっこいー。チョコ、やべー数貰うんだろなー」
ふふふ、麗しきお嬢さんたち。残念ながら今年の獲得予定はゼロ個ですぞ。今年はというか、今年もでござるが。あれっ、鼻がツンとする……今日はとくに冷えますなあ。
「はっ、はっ……」
規則正しく呼吸をしつつ、いつものコースを無心に走る。歯磨きと同じで、慣れてしまえば運動は拙者の生活の一部となっていた。食生活も堕落させることなく、健康を保っている。プロテインのアレンジレシピなど、もう本を出せそうなほどに開発してしまったでござる。
(今日もとくに、異常なしでござるな)
室内トレーニングの道具も揃えたので、ぶっちゃけ外をランする理由はない。それでも外へ出る理由は、『勇者』やその手先たちを警戒してのことでござった。もし交戦となるなら以前のアスイール殿がやったように、人気のない場所まで引きつける必要がある。怪しい人物を探すと同時、その場所の下見なども進めていた。
「ふう……」
自室に帰宅し、シャワーを浴びる。金髪頭を乾かしている途中で、インターホンが鳴った。時刻は九時ジャスト。そういえば今日は、定期購読しているマンガのお届け日でござるな。このマッチョ姿だと馴染みの配達員さんを怖がらせてしまうので、『牙琉』の姿をまとって拙者は玄関へと向かう。
「はーい。いつもご苦労様でござ」
「『見つけたわよ、デスタイダ幹部!』」
「ごふっ!?」
いきなり外側から強くドアを引かれ、拙者はつんのめる。ズレた伊達メガネを透かして、赤く小柄な人影が跳ねるようにして現れた。
「『今日こそこの紅き勇者プリティ・プリンが、その血で美味しいスイーツに仕立ててあげるっ! 覚悟なさいっ☆』」
「ふぁ、な、なあああああ!?!?」
クセの強いストロベリーブロンドに、にっと大きく弧を描いた口元。勝気な表情とは正反対の、甘めのミニスカートに黒タイツ。大きなリボンつきのブーツを見事に履きこなした人気声優が、腰に手を添えて笑っていた。
「あはっ! リアクションさいこーだね、牙琉ぴょん!」
「ゆ、ユノ殿ぉ!?」
「はぁっ、今日寒すぎない? いれていれてー」
猫のようにするりと拙者の脇を抜け、ブーツをぽいと脱ぎ捨てて鮮やかに入室。呆然と見送ってしまってからハッとした拙者は、ようやく当たり前のことを尋ねた。もうベッドに転がっていらっしゃるですと?
「ど、どうされたのでござる。こんな朝から」
「この前言ったじゃん、また迎えに行くって。けど連絡先知らなかったからさー、直接きちゃった。ごめんね?」
顔の前で手を合わされ、ウインクされる。己でもチョロいのは分かっておりますが、拙者はそれでとりあえず訪問に納得してしまった。たしかにこちらも、名刺の一枚でもお渡ししておくべきだったでござろう。
それにしても『いちご』の生セリフ再演、落ち着いて聞きたかったでござるな……などと心中でつぶやきつつ、拙者は自室のラグ上に正座し来客を見た。
「そちらのプロ編集チームへのお誘いでございましたな」
「うんうん! LAから来るチームの人、明日スタジオ入りしてくれるんだ。そこで君の顔合わせを――」
「恐れ入りますが、お断りいたしまする」
「え」
大きな瞳をさらに丸くし、オファー主が固まる。拙者は深々と頭を下げつつ、丁寧に続けた。この数日間できちんと考えていた文句でござる。
「たいへんありがたいお声掛けでござる。しかし拙者、他のチームで編集を行うつもりはなく。申し訳ござらん」
「なっ……なんで? あ、チームで動くのがイヤなの? じゃあキミ主体で、ひとまず自由に制作してもらっても」
「ああいえ、そういうことではなく」
一度顔を上げ、拙者は声優界のスーパースターを見た。こんな御人が我が部屋にいるなど、いっそこじらせアニヲタの妄想だと思うほうが自然なくらいの奇跡。だというのに拙者は不思議と、騒ごうとも媚びようとも思わなかった。
その理由はもう、わかっていることでござる。
「拙者がMV編集に勤しむのは、花月カノン殿の歌を全力で推すためでござる」
「カノンちゃんのだけ……ってこと?」
「はい」
迷わず答えた拙者を、ユノ殿が宇宙人を目撃したかのような目で見つめる。拙者は少々照れ臭く思いつつも、真摯な気持ちで胸の内を明かした。
「『ラムネ』を演じていた時から、素晴らしい歌声の持ち主であることは存じておりました。この御方はきっと、これからの自分にとってなくてはならない存在になる――などと、アニメ初心者なりに思ったものでござる」
わけがわからないこの異世界で、いつも拙者を勇気づけてくれた蒼い髪の歌姫。彼女に会うために一週間を生き、ネット機器の使い方を覚え、アニメ文化を学んだ。アニメ最終回の折にはひと月泣き腫らし、当時ルームシェアしていた同胞たちに本気で心配されたものでござる。
「そんな彼女は今、誰を演じるわけでもなく――自分で創り出した歌の道を進むことを望んでいる」
「……」
「アニソン以外に泣ける音楽が――胸が震えるような音楽があることを、自分は初めて知ったのでござる」
「ボクよりカノンちゃんのほうが、上手いっていうの」
キッとするどさを帯びた目が向けられるが、拙者はただ苦笑した。
「優劣をつけるものではござらん。ユノ殿の歌など、海外も認めるスーパーミラクルクオリティなもの。ですが……やはり拙者を救ってくれたのは、カノン殿の歌声なのでござる」
記憶の中で、絹のような黒髪が舞っている。その中に時折混じっては煌めく、彗星のごとき一筋の空色も。
連絡を取らなくなって、まだ一週間ほどしか経っていない。なのに拙者のまぶたの裏には、より鮮やかにその姿が浮かび上がった。後ろ手に指を組み、心のままに旋律を口ずさむシンガーの細い背だ。
『La la la――』
やがて彼女はかならず振り向き、目を輝かせてただのにわかプロデューサーに尋ねるのでござった。
『牙琉君! このフレーズ、どう思う? 春って感じ、する?』
ぎゅう、と心臓が軋んだ気がした。
(……お会いしとう、ございますなあ……)
それはこれまでに経験したことがないような、甘く――そしてどうしようもないほどに苦しい、痛み。こんな拷問は、魔界にさえなかった。
「カノン殿の歌づくりに関わることこそ、自分にとっては幸せな行為そのもの」
「……」
「だからきっと他の『素材』を相手にでは、不真面目な仕事をしてしまうでござるよ。ゆえに大変失礼なのは承知で、今回の話は……」
「いないじゃんか」
子供っぽいその抗議の声に、拙者は驚いて口を閉じる。見ると、唇を震わせてユノ殿がこちらを睨んでいた。大きな瞳に、こぼれないのが不思議なほどの水をたたえている。
「カノンちゃん、いないじゃんか! もうずっと会ってないんでしょ」
「!」
「見て、ブログ。さっき上がってた分」
ポケットから取り出したスマホを高速で操り、ユノ殿は拙者に画面を突き出して見せた。インターネット老人どころかリアルのご老人よりもスマホを使いこなせていないカノン殿でござったが、それでも少しずつ勉強に励んでいた。まずはファンとのやりとりがない媒体をと思い、この活動お知らせブログの操作を教えていたのでござる。
(書く内容に迷って結局いつも拙者がアップしていたのに、ついにご自分で記事作成を! ご成長されましたなあ)
新着記事を知らせる赤いマークを見、謎の感動を覚える拙者。ユノ殿の「内容を読め」という圧に気づき、改めて記事に目を通す。
「『チャリティ音楽フェスに出演決定。企画演出・プロデュースは、相良ワカコ』……」
「フォースターズにも出入りしてる人だよ、その人」
「存じておりまする。知り合いの知り合いですから、安心ですな」
たしかメラゴ殿から聞いたことのあるお名前でござる。最初のPV公開時からカノン殿の伸び代に注目してくださっていた音楽関係の御仁で、最近ではいつか直接会える機会があればというお話もあったはず。
「ご自分で段取りし、チャンスを掴んだのでござるな。よかった」
「そうだよねえ、あのどんくさいカノンちゃんが……じゃなくって!」
「?」
一瞬こちらの感慨に呑まれそうになったユノ殿が、記事のスクロールを止めて吠えた。ああっ、まだ開催日や場所を確認できていないのに。
「これ、キミが知らない話なんでしょ!? つまりあの子は、キミを捨てたってコトじゃん!」
「!」
そうなるのでござろうか。たしかにカノン殿が拙者の前以外で歌うのは、久々のことではある。しかしそれは彼女本来の活動願望であるし、やはりシンガーにとって生のステージは魅力溢れるものだとも思う。粘着ファンの脅威も去った今では、彼女を縛るものは何もないわけで――。
「拙者は、彼女がのびのびと安全に歌える場所があるなら応援するまでにござるよ」
「なっ……! 悔しくないの!? こんなに尽くしたのに、勝手に他の舞台へ行っちゃうなんて。身勝手じゃん」
「元より、いつかはきちんとした業界の方にお任せすべきだと思っておりましたからな。ただその時が来ただけでござる」
彼女と奮闘した曲作りの日々を思えばもちろん、少しの寂しさはある。しかしプロの方のお力添えをいただければ、カノン殿の歌声をもっと広く世に届けることができるでござろう。
「拙者の力だけでは引き出せなかった、彼女の歌の本当の魅力。そういったものを今から見られるかもしれないと思うとむしろ、ワクワクするくらいでござるよ」
「……っ」
「さて、チケットの予約は何処からでござろう。失礼、もうちょっと下までスクロールをお願いしても――」
「いやだ」
低い声で放たれたその一言に、拙者の興奮が吹き飛ぶ。慌てて両手をぱっと離し、スマホに触れる気はないことを示した。
「も、申し訳ござらん! マイスマホで見ま……」
「そんなの、ボクはいやだよ。許さない。役目が終わったらそれで用済みだなんて、そんなの」
「ユノ殿?」
どうにも会話のボールがファウル寄りな気がする。拙者は虚ろな目でぶつぶつと何事かを呟き続ける人気声優を恐々と覗き込んだが、その瞬間にピンポーンと軽快な電子音が部屋に鳴り響いた。
ベッドに深く腰掛けたまま動きそうにないユノ殿を気にしつつ、拙者はインターホンのカメラをオンにする。そして丸い世界に映し出された黒髪美女の姿に飛び上がった。
「かっ……カノン殿!?」
『牙琉くん? 急にごめんなさい、どうしても直接お話がしたくて……。あと、渡したいものとかも』
カメラ越しとは思えない、真剣な眼差し。拙者は首がねじれそうな勢いで背後を見る。何度まばたきをしても、一人暮らしの男の家のベッド上に絶世の美少女が座っているという図でござった。
せっかくシャワーを浴びた身体に、妙な汗が浮き上がる。
これは、色々と、まずいのでは。
『お邪魔しても――いいですか?』
***
近況ノート(いただきものつき):
https://kakuyomu.jp/users/fumitobun/news/16818093091787305715
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