第10話


 私とのセックスが面倒だから他所に楽しみを見出したくせに、外遊びが駄目だからと私へ還って来るのか。

 馬鹿にしやがって、彼から見えない位置で酷く顔が歪む。

 離婚はしないと決めたのだからいつかは許さなくてはいけない。

 でもどうして私ばかり辛い想いをしなければならないの?抱かれたら許さなきゃいけなくなる。きっと泣いてしまうだろう。


「悪かった、段々にでええねん、俺を許してくれ」

「虫のいいことを…」

「やっぱり千里が好きや、メシも美味いし優しいし」

「そりゃあ風俗はご飯までは提供してくれないでしょうよ」

「…いつまでそんな卑屈にする気や」

「はぁ?」

 出たよ逆ギレ、なぜサレた側がこんなに苦しまなくてはいけない。

 私は腕を振り解き水を止めた。


「あんたが有責なんだよ、分かってんの?」

「分かってる、禊もするて」

「あんたはそれで楽になるだろうけど、こっちはしんどいんだよ‼︎知らない女に体許して、そんな奴になんで抱かれなきゃいけないの、まだ一般の女相手の方がマシだわ、慰謝料取れるから‼︎」

「うん、うん…」

「…何笑ってんの」


 怒り心頭な私を見て夫は微かに口角を上げる。ブチ切れそうな私を再び抱き留めた彼は、動物をなだめるように頭を撫でる。


「離して、ムカつくんだよ」

「うん、千里…そんな顔すんねんな、初めて見た」

「はぁ?何がよ」

「カチ切れた顔、迫力あんねんな、可愛い」

退けよ!」

 これも育ちが知れるというやつだ。リミッターが外れた私は口汚く夫を罵っては脚を蹴ったり背中を殴ったり腕の中で暴れた。

 兄妹喧嘩はいつも肉弾戦で、ギリ出血・骨折までいかない怪我は日常茶飯事だったので…つい血が上り思い起こされてしまう。


「千里、おしゃれに澄ましてるんも好きやけど、化けの皮が剥がれたんもええ感じよ」

「狂ってんの?馬鹿じゃない?」

「お嬢さまやないんやから、素をどんどん見してよ」

「っざけんなァ‼︎馬鹿‼︎馬鹿、馬鹿ぁ…‼︎っ…ふぅっ…ばか、ばか」

 彼のTシャツに涙が染みて広がる、濃い目に塗ったチークもそちらへと移る。


「千里、ごめん、しんどい思いさせてごめん、でも別れたないから、仲良うしたい」

「どんだけ自分勝手なの?わざわざ海外まで行って風俗行って、何回話し合っても納得できない、私ばっかり辛い‼︎」

「言うて、何べんでも言うてくれ、」

「言いたくない、忘れたい、もう、もう…やだ、馬鹿、私も浮気する、してやる、」

 今度はホストクラブじゃないわよ、適当な人と遊んでやるんだから。勢いで投げやりな考えが浮かぶけれど実行する気概は無いし第一そうまでしてセックスがしたい訳でもない。

 解決するには時間を戻すか私の記憶をサッパリさせるしか方法が無い。あるいは離婚するか。


「それで気が楽になるんならええよ、」

「止めてよ、自分の妻が浮気しそうなんだから止めなさいよ‼︎馬鹿‼︎」

「はいはい、浮気はあかん」

「どの口が言ってんの⁉︎」

こんなにしても余裕がありそうで腹が立つ。

 まるで『ヒステリックな妻を寛大な心で受け止める夫』のようでこちらが悪いような気さえしてくる。


「千里はハッキリ言わへん、良い子ちゃんやから…最初の話し合いにこんだけケンカすりゃ良かってんな」

「どんだけ言ったって…満足しなくて風俗行くんでしょ、そうだ、どうせならレシートとか全部持って帰ってよ、証拠にできるから…あんたの価値観とかどうだっていい、世間的に…チリも積もれば不貞にできるんだから…」

「主食も好きでデザートも好きやねん、でももう行かへん、ごめん」

「…っ、ニンニク臭えんだよ、」

「千里ちゃんが作ったんやで」


 汗と体臭とご飯の匂い、囲われている間にどんどんと鼓動が落ち着いていくのが分かる。

 畜生、好きなのだ。

 言い合いは掛け合いになり二人のノリが合っていて深刻さに欠けて…だから笑って許してしまいそうになる。


 しかし夫が後ろ頭に鼻先を付けてしばらく、

「……千里、これ…知らん匂いするな…男もんの香水とちゃう?」

と本気の声で私へ凄むと心臓がきゅうっと縮こまった。




つづく

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