第3話 十四怪
美晴さんが案内してくれたビルは、公園のすぐ隣にある奇妙な建物だった。
いや、正確に言うならばビルそのものではなく、ビルとその周辺の景色のバランスが奇妙なのだ。
桂合気道場のあるビルはまだ新しく大きいビルなのに、周辺にある小さな建物は皆古ぼけていて解体中のビルまである。おまけにそのビルの周辺には高層ビルが一つもないため、異様なほどその高さが目立ってしまっているのだ。
もはや日当たり問題もへったくれもない。どんな狂った都市計画をすれば、こんなおかしな街並みが出来上がるのだろう?
「あ、こっちですよ」
俺はビルに入ってすぐ正面のエレベーターに向かおうとしたのだが、美晴さんは右の廊下の先を指さしている。その廊下には宅配業者の看板だけがポツンと置かれていて、その先の突き当りには緑色のエレベーターのドアがあった。
「あっちのエレベーターでないと14階には上がれないんですよ。
ちょっと、特殊な手順も必要なので、説明しときますね」
宅配業者が営業所をしている部屋の前を通り越し、緑のエレベーターに到着した美晴さんは、その中に俺を招き入れた。
「いい、7階・1階・4階の順でボタンを押すのよ。覚えておいてね。
そうしないと、14階には着かないから」
エレベーターのボタンを見ると、なぜか14階のボタンだけが存在しなかった。1階~16階までボタンが並んでいる筈なのに、なぜか14階のボタンだけが存在せず13階の次が15階のボタンになっているのだ。
「え? なんでそんな面倒な事に?」
あまりにも奇抜な話に戸惑ってしまう俺に、美晴さんは少し困った様な笑みを浮かべてみせた。
「驚いたでしょう。
前に道場に押し売りが来てね、生徒さん達にも嫌な思いさせちゃったから、もう二度と来ないようにしてもらったんですよ。これなら、やり方を知らないと14階には絶対来れないでしょ」
美晴さんが7・1・4と順番にボタンを押し終えると、押されたボタンの放つ光が薄いオレンジから鮮やかな赤に変化する。確かにこのエレベーターには何か仕掛けがあるようだ、押されたボタンの順でその光が変色するエレベーターなど聞いた事もない。
「それじゃ、加藤さんを連れて来てくださいね」
「あ、あの……」
手を振りながら緑のドアを閉じようとする美晴さんに向かって、エレベーターの外から思わず俺は呼び止めた。それは生徒を気遣う彼女に、やはり忠告しておこうと思い直したからだった。
「ん、なあに?」
小首をかしげる美晴さんのポニーテールが可愛く揺れる。やはり、こんな女性を加藤の犠牲にする訳にはいかないっ!
「い、いえ……なんでもないです。すぐ連れてきますね」
が、すんでのところで俺は尻込みし、言葉を濁してしまう。自分の意気地のなさに、内心腹を立てながら。
「はい、よろしくお願いします」
俺に向かって軽くお辞儀をする美晴さんの姿は、エレベーターの緑の扉によってすぐに遮られてしまった。
(言えなかった……)
エレベータのランプが1階ずつ登っていくのを見上げながら、俺は一人後悔に浸っていた。
『生徒さん達にご迷惑をかけたくないのなら、今からでも加藤の取材を断った方がいいですよ』
彼女と別れる前に俺が言いたかったのは、たったこれだけの事だった。
そもそも加藤がユーチューバーを始めたのは、憂さ晴らしが目的だ。喧嘩沙汰で破門され、空手大会に出られなくなった加藤の鬱憤晴らしと自己顕示欲を満たすために始めた事だ。そんな理由で、何の関係もない道場に八つ当たりしようというのだ。
だから取材先の道場に一切のリスペクトもなく、最悪な態度を加藤は取り続ける。それは俺が編集した動画からだって、一目見れば読み取れる。
今からでもそれを知らせてあげれば、美晴さんは決して加藤を道場に上げたりしないだろう。だのに、俺はそれを口にする事ができなかった。
(もしかして……恐れているのか、俺は……)
いや、”もしかして”ではなく”確実に”俺は恐れていた。いつもつるんでいる加藤と内藤にそっぽを向かれ中学時代のように一人ぼっちになってしまう事を、俺の裏切りが加藤にバレて二人に絶交されてしまう事を、なによりも恐れていた。
そして、そのために美晴さんの道場を、俺は犠牲にしようとしているのだ。
14階に到着した事を知らせるエレベーターのランプを見上げながら、俺は今度こそ誤魔化しきれなくなった罪悪感に押しつぶされそうになっていた。
* * *
「女の人だったよ、俺を迎えに来たのは」
ビルに案内する道すがら、俺は合流した加藤にそう切り出した。相手が女性であれば、加藤も態度を柔らかくしてくれるのではないか、と淡い期待を抱いたからだったのだが……。
「おかしいな、俺が電話で話したのは、男だったぞ」
内藤の一言で、話の腰がさっそく折れた。
「桂美晴って名乗ってたから、道場主は俺の会った人の方だと思うぜ」
「ま、誰が相手だろうと俺のやる事は変らないけどな。インチキ武術で金儲けするようなペテン師は、女だろうが有罪確定だぜ!」
俺が話を慌てて軌道修正するも加藤にはやはり効果はない。それどころか今の一言で余計にアクセルが掛かり、もうブレーキを踏ませるような空気ではなくなってしまった。
美晴さんへの罪悪感が益々膨れ上がる中、俺が思い出したのは中学時代のイジメを謝りに来た佐藤の事だった。もしかしたらアイツも、今俺が抱いているような重過ぎる罪悪感を拭うために謝罪しに来たのかもしれない。そして、もしかすると今の俺は、中学時代にイジメに加担していた佐藤達と、同じような立場になっているのかもしれなかった。
「ところで話は変るけどさ、壁親父が出るのもこの辺のビルだった筈だぜ確か。帰りに行ってみないか?」
またまた余計な事を言い出したのは、やはり内藤だった。
「お、いいねぇ。ついでにそっちの動画も撮影しとく?」
加藤までこんな事を言い出しやがる。呆れた事に、まだオカルト動画を諦めてなかったらしい。
「俺は絶対行かないからな!」
「なんだよ、怖いのかよ鈴木~~。
付き合い悪いと、友達なくすぞ~~」
その内藤の一言で、俺の呼吸は一瞬止まった。友達を無くす事を俺が最も恐れているのを、なんだか見透かされたように感じたからだった。
「いろいろ俺だってやる事があるんだよ! だいたいスマホが繋がらないのに、どうやってその廃ビルを探すつもりだ!?」
「あ~~、そうだった、そうだった」
内藤は未だアンテナの立たないスマホを見つめながら頭を掻き、本心を隠し通した俺はホッと胸を撫でおろす。
「さ、着いたぞこのビルだ」
中に入った俺は、さっそく緑色のエレベーターへ二人を案内しようとしたのだが……
(あれ? 確かここにあったのに)
……なぜかさっきまであった筈の緑色のドアが見つからない。
宅配の看板が置かれた右の廊下の先には、そこにあった筈のエレベーターの姿はどこにもなく、廊下の突き当りはただただ白い壁があるばかりだった。
(方向を間違ったか?)
俺は慌てて左の廊下を振り返るが、やはりそちらの廊下の先にもエレベーターはない。そもそも目印にしていた宅配の看板だって右の廊下にあるのだから、左の廊下にある訳がなかった。
「おかしいな、こっちの廊下にエレベーターがあった筈なのに」
俺は急いで右の廊下を駆け抜けながら辺りを見回すも、宅配の営業所があるだけでエレベーターはどこにもない。
「何やってんだよ鈴木、エレベーターならすぐそこにあるじゃないか」
加藤はそう言ってビル正面のエレベータに乗るも、すぐにそのドアから顔を出す。
「どうなってんだよこのエレベーター! 14階だけボタンが無いじゃねーかっ!!」
まだ頭の中で事態を整理しきれぬのだろう、内藤だけがただポカンと大きな口を開け、俺と加藤のやり取りを見つめていた。
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