第18話 レイラの故郷へ
朝焼けに染まるアルディナ島の港。
波打つ水面が金色に輝き、小さな船が港に係留されていた。
島の人々が見送りに集まる中、ヒッキーとレイラは荷物を船に積み込んでいた。
「それにしても聖なる短剣を折るなんて……凄い伝説を作っちまったな、アルト」
ヒッキーが笑いながら言うと、アルトは照れくさそうに頭を掻いた。
「ええっと、それも計算のうちだったんだよ」
カイラルが呆れたようにため息をつく。
「お前、何を計算したんだよ。それ、ただの無茶だろ」
レイラも肩をすくめながら微笑む。
「まあ、無茶でも結果的に村を救ったんだから、そこは褒めてあげるべきよ」
アルトはさらに照れたように、でもどこか得意げに胸を張った。
「そうだろ? 俺だって、やるときはやるんだって!」
その場の全員が笑顔になり、緊張の続いた日々の疲れが流れ去るようだった。
ヒッキーは空を見上げ、ぽつりと呟いた。
「短剣を折った英雄が村を救った話、これから伝説として語り継がれるんだろうな」
アルトが慌てて声を上げた。
「ちょっと待って、短剣を折ったことは黙っててよ!」
ヒッキーが混ぜ返す。
「これからは刃の折れた短剣を『聖なる柄』として祀ったらいいじゃん」
再び笑い声が響き、アルトの顔は真っ赤に染まっていた。
船が港を離れ、島が徐々に遠ざかる。
船が沖に出た頃、港で見送りをしていたアルトが手を振るのが見えた。
ヒッキーは最後に、アルトに向けて大きく手を振り返し、静かに呟いた。
「アルト、またな。お前の成長を楽しみにしてるよ」
その言葉が波間に溶けていく頃、船は新たな冒険への航路を辿り始めた。
「あの島、いいところだったな。人がみんな明るくて……開放的で」
レイラが横で肩をすくめた。
「島の人たちがあんなに明るいのは、周りが全部海だからよ。どこにでも行ける気がする自由さが、人を開放的にするの」
ヒッキーがうなずきながら笑った。
「確かに。俺でも何かやれるかもって気分になったよ」
レイラは少し笑いながら答える。
「でもね、次に行く山は違うわよ。自由じゃなくて、もっと自分と向き合わされる場所なの」
ヒッキーは不安げな顔をする。
「自分と向き合う? なんだか居心地が悪そうだな」
レイラは何も答えず、ただ山が見え始めた水平線の向こうを指さした。
「着けば分かるわ」
船を降りて山の麓に着くと、周囲は深い森に包まれていた。
緑の中で鳥のさえずりが響くものの、どこか閉塞感のある静けさが漂っている。
ヒッキーが深く息を吸い込む。
「島とは全然違うな。あっちは風が全方向から吹いてたけど、ここは息苦しいくらい静かだ」
レイラが軽く微笑んだ。
「声を上げたら、その声が返ってくるわ」
ヒッキーが辺りを見回しながら、少し肩をすぼめる。
「なんだか、自分の声を聞くのが怖いな。島の方がずっと気楽だったよ」
険しい山道を歩き始めると、ヒッキーは次第に無口になっていった。
島では明るく冗談を言っていた彼が、口を閉ざし足元だけを見つめながら歩く。
レイラが後ろから声をかける。
「どうしたの? 元気ないじゃない」
ヒッキーがため息をつきながら答える。
「いや。なんか、自分が小さく感じるんだよ。島にいた時は、みんなの中で役に立てたって思えたけど、ここでは、ただの俺だ」
その夜、2人は山道の中腹で焚き火を囲みながら野営していた。
夜空は満天の星で覆われているが、島で見た星空とはどこか違う。
ヒッキーが火を見つめながら呟く。
「なんでだろうな。同じ星空なのに……ここでは何か自分が試されてる気がする」
レイラは火をじっと見つめながら答えた。
「それが山の持つ力よ。誰でも自分のことしか考えられなくなる。だから、ここにいると人は成長するの」
ヒッキーが自嘲気味に笑う。
「俺、成長できるかな? 未だに誰かの背中を追ってばっかりだよ」
レイラが少し微笑みながら、焚き火に木の枝を投げ入れた。
「大丈夫よ。追ってばかりでも、いつか誰かに追われる存在になる。そういうものよ」
霧が立ち込める山道を、ヒッキーとレイラは黙々と歩いていた。
頭上にはうっそうと茂る木々が広がり、冷たい霧が肌を湿らせる。
足元の小石が滑り、ヒッキーは何度もバランスを崩しそうになった。
「レイラはこんな山道を毎日歩いてたのか」と心の中でつぶやくが、声に出す気力も湧かない。
霧は濃さを増し、視界は数メートル先までしか見えない。
遠くでかすかに鳥の鳴き声が聞こえるが、それもすぐに消えてしまう。
ヒッキーは自分の足元ばかりを見つめながら、一歩一歩進んでいた。
隣を歩くレイラも、終始無言だった。
彼女の横顔は霧の中にぼんやりと浮かび上がり、その瞳はどこか遠くを見ているようだった。
やがて小雨が降り始め、木々の葉を叩く音が静かな山道に響き渡る。
ヒッキーはフードを深く被り、濡れた靴がぬかるむ地面に沈む感触を嫌でも感じていた。
前を向いて歩こうと思うが、視線はどうしても足元に向いてしまう。
レイラはヒッキーを気遣う様子もなく、淡々と歩き続けている。
ようやく雨が止み、空が黒く染まり始めた頃、2人は山と山の間の盆地に差し掛かった。
ヒッキーはふと顔を上げ、霧が晴れた先に広がる光景に目を奪われた。
盆地一帯に無数の灯りが広がり、その中心には堂々たる城が立ち上がっていた。
「すごい、こんな場所があったのか!」
レイラが足を止め、静かに言う。
「あそこがアストレア王国の首都、ソラリアよ」
それ以上の説明はなく、レイラは再び歩き出した。
2人が王国の城壁に辿り着く頃には、夜は完全に深まり、城門の灯りが暗闇を照らしていた。
「誰だ!」
鋭い声とともに、衛兵が槍を構えて2人に近づく。
レイラがフードを外し、静かに口を開いた。
「私よ」
その声を聞いた衛兵たちが一斉に膝をつき、頭を垂れる。
「レイラ様! お帰りなさいませ」
ヒッキーは驚き、レイラを見つめた。
「レイラ様……って? お前、王族だったのか」
レイラは淡々とした口調で答えた。
「そうよ」
ヒッキーはその光景を目の当たりにして、改めてレイラの存在が自分とは別次元のものだと感じた。
それでも不思議と嫉妬や畏怖の念は湧かず、ただ彼女の背中を追いながら城内へと足を踏み入れるのだった。
ヒッキーとレイラが城内に招き入れられると、すでに王と一部の家臣たちが出迎えていた。
王は威厳ある声でレイラに言う。
「よく帰った、レイラ。無事に戻れるかどうか心配していたぞ」
レイラは軽く頭を下げる。
「ただいま戻りました、父上」
王はヒッキーに目を向け、少し微笑む。
「そちらの方は?」
レイラに促され、ヒッキーはぎこちなく一礼する。
「
王は朗らかに笑い、ヒッキーの肩を軽く叩く。
「遠方から来た客人か。よく娘を助けてくれた、感謝するぞ」
歓迎の雰囲気に包まれる中、レイラが静かに切り出した。
「明日、婚約者のセリアン様に会いたいと思います」
王の表情が少し曇ったが、それ以上は何も言わなかった。
レイラは軽く礼をしてその場を後にする。
「では私は、明日に備えて休みます」
ヒッキーも別の部屋に案内される。
豪華な調度品に囲まれた部屋で1人になると、レイラの無言の背中が目に浮かび、ヒッキーはため息をついた。
「俺にできることって、何なんだろうな……」
翌朝、レイラは薄いドレスに身を包み、静かに部屋を出た。
長い廊下を歩きながら、彼女の足取りには迷いが見える。
「自分の意志を伝えるって、簡単なことじゃないわ」
一方、ヒッキーは彼女の後ろをついて行く。
「レイラ、大丈夫かな。お前が決めたことなんだ、俺は見守るしかない」
王宮の応接室にレイラの婚約者、セリアンがすでに座って待っていた。
洗練された風貌と柔らかな物腰の青年で、一見して好感を抱かせる人物だ。
レイラが部屋に入ると、セリアンが優しく微笑む。
「レイラ、お帰りなさい。旅はどうだった?」
レイラは礼儀正しく一礼し、静かに言葉を切り出す。
「セリアン様、今日はお話ししたいことがあって参りました」
セリアンの微笑みが少し引き締まり、真剣な眼差しになる。
「何があったんだい?」
レイラは深呼吸し、意を決した表情で話し始める。
「私は、婚約を解消させていただきたいと思っています」
部屋が一瞬で静まり返る。
セリアンは驚きの表情を浮かべながらも、冷静に問い返す。
「理由を聞いてもいいかい?」
レイラから婚約解消の意志を伝えられた後、セリアンが静かに問いかけた。
「レイラ、誰か好きな人ができたのか?」
部屋の空気が張り詰め、ヒッキーは思わず息を飲んだ。
レイラは一瞬躊躇するが、毅然とした表情で答える。
「セリアン様、その通りです」
セリアンは眉を少しだけ上げ、わずかに目を細めた。
「それは……一緒にやってきたその男か?」
ヒッキーが驚きながら口を開く。
「その通りです。レイラを大切に思う気持ちは誰にも負けません」
セリアンはその答えにクスリと笑みを浮かべ、ヒッキーとレイラに視線を交互に向けながら続けた。
「君達には、何と言うか……ともに困難を乗り越えてきた信頼感のようなものを感じる」
そしてふと視線を窓の外に向け、静かに言葉を継ぐ。
「僕も一緒に君達の冒険に参加したかったな」
その声には僅かな憧れが滲んでいた。
彼は再びレイラに視線を戻し、穏やかな表情で言った。
「君が選んだ道を応援するよ、レイラ。幸せになってくれ」
レイラは深く頭を下げた。
「ありがとうございます、セリアン様。あなたには感謝しています」
セリアンは再びヒッキーに目を向け、微笑みながら一歩近づいた。
「頼む、彼女を幸せにしてやってくれ」
ヒッキーはその言葉にしっかりと頷き、静かな声で答える。
「分かりました」
セリアンは満足そうに頷き、最後にもう一度、微笑みを見せた。
「それでいい。君達の旅路が、どんな困難に満ちていても輝かしいものであることを祈っている」
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