第14話 古代の制御装置

「もはやこれまでか!」


 そう思った瞬間、これまでの人生の色々な場面がヒッキーの目の前に浮かび始めた。


 母親に懐中電灯を投げつけたこと。

 シェイドに完敗した時のこと。

 全国高校生文芸大会の名前が入れ替わっていたこと。


 もう順番が無茶苦茶だ。


 リュクスとの出会い。

 最初に訪ねてきたクローネさん。

 ヴァルディア大学の受験と美しい首都エレシア。


 ティナを巡ってゼダールと森の中でマラソンで戦った事。


 あの時も沼で足を滑らせて危なかった。

 でもゼダールって……本当はいい奴だったんだな。

 自らの身の危険も省みずに俺を助けようとしてくれたし。


「馬鹿野郎!」


 今でもあの怒鳴り声が聞こえてくる気がする。

 過去の色々な場面が最後にゼダールの顔でとまった。

 俺、よっぽどティナに執心しゅうしんしていたのかもしれない。


つかまれ!」


 ゼダールの幻影が目の前でたちまち実体化した。


「おい、何でお前がここに!」

「そんな事は後だ。このまま引っ張り上げるぞ」


 ヒッキーの右手はゼダールにガッシリ掴まれていた。

 左手はレイラの手を離すまいと握っている。


「なんだかお前、重いなあ!」

「……2人分なんだよ」

「何だと?」

「すまん」

「ぬおおおおおお!」


 ゼダールが力を振りしぼり、レイラごとヒッキーを引っ張りあげた。


 そのままの勢いでアームの綱を引く。

 3人がかりでアームを元の位置に戻し、ロックをかけると、装置が完全に起動した。

 制御室の機械がうなりを上げ、水流が明らかに減っていく。


「ようやく何とかなったか」


 ヒッキーが笑いながら言うと、ゼダールも苦笑した。


「ゼダール、何だってお前がここにいるんだ?」

「昨日からサーカス団がこの村に来ているんだ」

「そうだったのか!」

「それにしても、俺はお前を助けるために生まれてきたのか?」


 レイラが横から興味津々きょうみしんしんで尋ねる。


「ヒッキー、この人は?」

「ああ、オレからティナを奪ったクソッタレだよ。マラソン勝負でな」


 レイラはゼダールを見て小さく微笑ほほえんだ。


「結構、いい男じゃない」


 ヒッキーはあわてて言い返す。


「駄目だ、駄目だ。こいつはティナの婚約者だぞ!」


 レイラは肩をすくめた。


「あら残念!」


 ゼダールがレイラを見て軽く会釈する。


「こちらの美しいお嬢さんは?」

「レイラだよ。でももうマラソンは無しだからな!」


 ゼダールは笑いながら言った。


「おいおい、そんなにムキになるなよ」



 3人は笑い合いながら山を下りていった。

 歩きながらレイラがふと口を開く。


「あんた、いい友達持ってるじゃん」

「そうかもな」


 ヒッキーはゼダールを横目で見ながら答えた。


「命を張って助けてくれる人なんて、何よりの財産だよ」


 ヒッキーは少し考えた後、微笑みながら言った。


「確かにその通りだ!」



 山から下りるとエルドルフとクローネが待っていた。


「ヒッキー、お前はヴァルディア大学には落ちたけど古代言語を解読する事が出来たんだから、あの受験勉強も無駄ではなかったということじゃな」

「そう言われればそうですね。でも、レイラがいてくれたからこそ、あれを読めたんだと思います」



 古代の制御装置を起動し、村を水害から守ったあの日から数日が経過した。

 村には再び平穏が訪れ、ヒッキーも荷物預かり所での日常に戻っている。

 しかし、心のどこかで変化を感じていた。



 荷物を整理していると、村の子供たちが集まってくる。


「ヒッキーおじさん、あの日はすごかったよ。本当に村を救ったんだね!」

「おじさんじゃねえよ、お兄さんって呼べ」


 冗談交じりに子供たちを笑わせながら、ヒッキーはふと手元の短剣「リフィオン」を見つめた。


「ようやく俺も村の一員になれたのかもな」


 そう呟くと、ラフィアが通りかかり、彼の独り言に耳を傾けた。


「ヒッキーさん、最近、すごく変わりましたよね」

「変わった……か」


 ヒッキーはラフィアの言葉に微笑みながら応じた。


「変わったというか、周りがそうさせてくれたんだと思う。ラフィアも、リュクスも、そして村の皆もな」


 ラフィアは静かに頷き、何かを言いかけたが、それを飲み込むように微笑んでその場を去っていった。



 その日の夕方、レイラが宿屋からヒッキーを訪ねてきた。


「ねえ、ちょっと外を歩かない?」

「今からか? まあ、いいけど」


 2人は村外れの小道を歩き、制御装置の事件があった山を眺める場所までたどり着いた。

 空には満月がぼんやりと顔を出し、夜風が心地よく吹いていた。


「ヒッキー、あの時どうして命がけで装置を起動しようと思ったの?」


 レイラが問いかけると、ヒッキーは少し考えてから答えた。


「なんでだろうな。多分、リュクスのことが頭に浮かんだんだ」


 レイラが首を傾げた。


「リュクス?」


 ヒッキーは少し笑って頷いた。


「あいつ、村を守るために命懸けで戦っただろ? 俺、少しでもリュクスみたいになりたいって思ったんだ」


 レイラはその言葉を静かに受け止めたが、ヒッキーはさらに続けた。


「でもな、それだけじゃない。お前が駆け出したから、追いかけて行くしかなかったんだよ。村を守るっていうのももちろんあったけど、それよりも何よりも……お前を守りたかったんだ」


 レイラは一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに微笑みを浮かべた。

 ヒッキーは彼女の横顔を見つめながら、静かに息を吐いた。

 その目には、迷いを捨てた確かな決意が宿っていた。



 レイラは少し間を置いてから切り出した。


「ヒッキー、次の満月の夜に元の世界に戻れる準備ができたわよ」


 その一言に、ヒッキーの心がざわついた。


「本当に戻れる……のか」


 ヒッキーは遠くの山々を眺めながら、これまでの出来事を振り返った。

 クラリスとの別れ、ティナとの絆、リュクスの死、ラフィアの想い、そしてレイラとの出会い。


「実は迷ってるんだ」


 彼は正直な気持ちを口にした。


「戻ったら、俺はまた同じようにやり直せるのか。それとも、ここに残った方が俺に合ってるのか……」


 レイラは少しだけ微笑み、夜空を見上げた。


「答えを急がなくていいわ。ただ、時間は過ぎるものだから、後悔しないように選んでね」


 その言葉を受けて、ヒッキーは静かに頷く。

 残された時間は限られていた。



 次の満月の夜、山の頂上に設置された異世界への扉。

 その前に立つヒッキーの表情は曇っていた。


 レイラが隣で問いかける。


「どうするの? 元の世界に戻るの?」


 ヒッキーは答えず、ふもとに見える村のあかりをぼんやりと見つめた。

 そこには、自分が築き上げた荷物預かり所があり、村人たちの信頼が込められている。


「どうするべきなんだろうか、俺は」


 ヒッキーは静かに言った。


「もし俺がここを離れたら、預かった荷物はどうなる? それにリフィオンも……リュクスが命をかけて守ったものだ。こんな中途半端な状態で投げ出すことは、俺にはできない」


 レイラは少し微笑んで答えた。


「だから、ラフィアにお願いしておいたのよ。彼女、あなたがここを離れるかもしれないって話したら、荷物預かり所もリフィオンも引き受けるって言ってくれたわ」


 ヒッキーは驚きの表情を浮かべた。


「ラフィアが?」

「ええ。彼女、荷物預かり所やリフィオンを守ることが村のみんなのためになるって分かっているみたい。もちろん、彼女にとっても簡単な決断ではなかったと思うけど」


 ヒッキーはしばらく黙り込んだ。

 そして、扉の向こうにぼんやりと見える自宅の光景を眺めた。


「元の世界で、母さんが困っているかもしれない。だけど、ここを離れるのも……」


 レイラは優しく言葉を続けた。


「あなたが迷う気持ちは分かる。もし、あなたがいなくなっても皆でラフィアを支えるから、安心して」


 ヒッキーはリフィオンを取り出し、その光をじっと見つめた。

 短剣に込められたリュクスの勇気や誇りを思い出しながら、静かにつぶやいた。


「リフィオンは、リュクスのおもいそのものだ。簡単に誰かに渡せるものじゃないけど……ラフィアなら大丈夫か」


 ヒッキーは短剣を腰の鞘に戻し、小さく息を吐いた。


「頼むよ、ラフィア」


 荷物預かり所、そしてリフィオンに込められた信頼を思い浮かべながら、ヒッキーは前を向く。

 そして、レイラと共に扉の前に立ち、母親に思いを馳せながら決意を固めた。


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