第9話 ヒッキーの受験勉強

 ある日、ヒッキーが荷物預かり所で仕事をしていると、クローネが重そうな箱を運び込んできた。


「これ、ラフィアさんの荷物です。ちょっと重いから、届けてあげてくれませんか?」


 ヒッキーは眉をひそめながら箱を見下ろした。


「重いな……まあ、しょうがない。どこに届けりゃいいんだ?」


 クローネが住所を教え、ヒッキーは荷物を持ってラフィアの家へ向かった。



 ラフィアの家に到着し、玄関の扉をノックすると、出てきたのは見た瞬間に誰もが息を呑むほどの美女だった。

 透き通るような白い肌に、光を反射する金髪、そして理知的な印象を与える切れ長の瞳。

 彼女の動作にはどこか優雅さが漂い、声には心地よい響きがあった。


「ヒッキーさん、荷物を運んでくださったんですね。ありがとうございます」


 彼女は軽く頭を下げた。


 ヒッキーは少し照れながら、重い箱を抱え直した。


「いや、クローネさんが頼むからさ。で、どこに運べばいい?」

「こちらへどうぞ」


 ラフィアが導いた部屋に入ると、ヒッキーは驚いた。

 壁一面にぎっしりと本が並べられていたのだ。

 床には書きかけの論文らしき紙が散らばり、机には開かれた本が山積みになっている。


 ヒッキーは箱を置きながら、本棚を眺めた。


「すげえな……これ、全部読んだのか?」


 ラフィアは微笑みながら頷いた。


「そうね、一部は読んでないものもあるけど。でも、お祖父さんもお父さんも学者だから、小さい頃から本を読む習慣がついてたの」


 ヒッキーは椅子に腰掛け、本棚をぼんやり眺めながら言った。


「俺には縁遠い世界だな……」

「そんなことありませんよ、ヒッキーさん」


 ラフィアが言った。


「勉強はどんな人でも始めることができます。むしろ、あなたのような好奇心旺盛な人にこそ向いていますよ」



 それからというもの、ヒッキーはラフィアの家を訪れては、彼女から様々なことを学ぶようになった。


「数学や物理は、元の世界でも馴染みがあるからなんとかなるけど……」


 ヒッキーは教科書を閉じて頭を掻いた。


「歴史とか古代言語とか、何のために学ぶのか全然分からないんだよ」


 ラフィアは微笑みながら答えた。


「勉強って、意味が分からなくても最初はとにかく吸収するものよ。本当に必要ない知識なら、とうの昔に淘汰されているはずだもの」


 その言葉にヒッキーは何かを感じ取った。

 ラフィアの指導のもと、少しずつ歴史や古代言語への興味も湧き始める。

 彼はやがて、この国の成り立ちや社会の仕組みについても理解を深めていった。



 ある日、ラフィアの提案で彼女の実家を訪れることになった。

 ラフィアの父、ダリオンは学者然とした聡明な男性だったが、その眼差しは鋭く、ヒッキーを評価しているようだった。


「ラフィアから聞いたが、君は学歴も資格もないそうだな」


 ダリオンが低い声で切り出した。

 ヒッキーは正直に答えた。


「ええ、高校を出てからずっとニートをしていました」


 ダリオンの眉がピクリと動く。


「そうか。君が何をしようと君の自由だが、学歴や資格の全くない人間が私の娘と付き合うというのは、少し気がかりだな」


 ヒッキーは言葉に詰まり、ラフィアが割って入ろうとしたが、ダリオンが続けた。


「学歴や資格がすべてではない。だが、それにしても君は何もなさすぎだ。一体、高校を出てから何をしていたんだね?」


 ヒッキーは深呼吸して、静かに答えた。


「正直に言います。何もしていませんでした」


 その答えに、ダリオンは冷静な声で言った。


「では証明してみせなさい、君の能力を。この国で1番のヴァルディア大学に合格することができたなら、君がラフィアと交際することを認めてもいい」

「ヴァルディア大学……?」


 ヒッキーがいぶかると、ラフィアが説明を加えた。


「ヴァルディア大学は完全実力主義なの。どんな出身の人でも受験できるけど、その分、合格は厳しいわ。王族だって例外じゃないもの」


 ダリオンは頷いた。


「その通りだ。ヴァルディア大学の合格は、この国で最も高い知識と実力の証しだ。入学試験に受かれば君自身の価値を証明することになる」


 ヒッキーは少しの間考え込み、やがて顔を上げた。


「分かりました。俺に受けさせてください。合格して、俺自身の力であなたの信頼を勝ち取ります」


 ラフィアは驚きつつも微笑み、父を見上げた。


「お父さま、彼にチャンスをあげてください」


 ダリオンは静かに頷いた。


「いいだろう。ただし、途中で投げ出すようなことは許さない」


 こうして、ヒッキーはヴァルディア大学の合格を目指して、猛勉強を開始することになった。

 彼の挑戦は新たなステージに突入する。



 ヒッキーがヴァルディア大学を受験すると決めた数日後、リュクスが荷物預かり所に現れた。

 彼は特に用事があるわけでもなく、ヒッキーに話しかけた。


「おいヒッキー、聞いたぜ。お前、ヴァルディア大学を受けるんだってな」


 リュクスは興味津々の表情だ。

 ヒッキーはちらりと彼を見て、頷いた。


「ああ、受けるだけなら誰でも受けられるさ。でも、合格するのが難しいんだよ」


 リュクスは腕を組み、何やら考え込んだ様子を見せた。


「受験料とかもかかるよな」


 ヒッキーは少し驚いた顔で答えた。


「受験料はラフィアのお父さんが出してくれるんだ。そういう約束だからな」


 その瞬間、リュクスの顔がパッと明るくなった。


「じゃあ、もし俺が受けるって言ったら、受験料を出してもらえるかな?」


 ヒッキーは呆気あっけに取られて答えた。


「えっ、お前が?」


 リュクスは得意げに胸を張って言った。


「それでさ、もしお前が落ちて俺が受かったら、ラフィアとの交際を認めてもらえるだろうか」


 ヒッキーは怒り半分、呆れ半分でリュクスを見つめた。


「何を馬鹿なことを言ってるんだ」


 だが、リュクスは本気の表情を浮かべて続けた。


「俺、密かにラフィアに憧れてたんだよ」


 ヒッキーは目を丸くし、言葉に詰まった。


「ちょ、ちょっと待てよ。ラフィアは俺の……」


 リュクスがにやりと笑いながら言葉を挟む。


「ラフィアはお前の何でもないだろ、今のところ。だったら、男らしく正々堂々と俺の勝負を受けてみろよ」


 ヒッキーは苛立いらだちながら言い返した。


「でもラフィアが何と言うかだよ」


 その時、背後から冷静な声が響いた。


「今の話、聞いていたわ」


 振り返ると、そこにはラフィアが立っていた。

 知的な瞳に少しの好奇心が宿っている。


「いいわよリュクス。お父様に頼んであげるわ」


 リュクスの顔がパッと輝く。


「本当かよ、ラフィア!」


 ヒッキーは狼狽ろうばいして叫んだ。


「ラフィア!」


 だがラフィアは、ヒッキーに優しい微笑みを向けながら答えた。


「いいじゃない。ヒッキーさんがリュクスに負けるわけないんだから」


 リュクスはこぶしを握りしめ、力強く頷いた。


「よし、決まりだ。そうとなったら俺は頑張るよ。死に物狂いで勉強するからな!」



 それからというもの、ヒッキーとリュクスはそれぞれのスタイルで勉強を始めた。

 ヒッキーはラフィアの指導のもと、体系的に学び続ける。

 数学や物理では元の世界の知識を活かし、少しずつ成果を上げていく。  

 一方で、歴史や古代言語には苦戦を強いられた。


「これは本当に必要なのか?」


 そうぼやきながらも、ラフィアの言葉を思い出して手を止めない。


 一方、リュクスは独学での勉強を選んだ。

 最初は勢いよく始めたものの、次第に挫折感が見え始める。


「くそっ、この数式、全然分からねえ!」


 それでも、ラフィアへの思いだけで必死に食らいついていく。



 ある夜、二人は偶然、村の広場で鉢合わせした。


「おい、ヒッキー。お前、どんな感じだ?」


 リュクスが尋ねる。

 ヒッキーは肩をすくめて答えた。


「まあ、順調っちゃ順調だな。お前は?」


 リュクスは苦笑いしながら言った。


「正直、きついな。お前みたいにラフィア先生がついてるわけじゃねえからな」


 ヒッキーは少し黙った後、真剣な顔で言った。


「でも、お前、ちゃんとやってるんだろ。だったら、そこはすげえよ」


 リュクスは驚いた顔でヒッキーを見つめ、やがて小さく笑った。


「お前、何だかんだで良い奴だな」


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