第12話 掃除をさせなさい!!!
ふぅ、とゴミ袋をゴミ置き場に置き、ハルヒサは溜まっていた息を吐き出した。ぼしゃんと降ろしたゴミ袋は全部で8袋あり、それらは例外なく底が濡れていて、下ろすと溜まっていた水が跳ねてハルヒサの足元にとんだ。
ゴミ捨て場は玄関前の階段を降りて行き、出入り口を左に曲がってすぐのところにある細道にあり、大きなゴミ箱がいくつも置かれている。分別とかを考えずにゴミ箱の中に放り込んだことを少しだけうしろめたく思いながら、ハルヒサはようやくキッチン周りとリビングの机の掃除が終わったことに安堵し、腰に両手を回した。
大きく海老反りになり、背中を後ろへ向かって曲げると、自然と青い空が目に入った。深い青がにじんだ雲ひとつない空だ。冬場の寒空を思わせるそれを見ながら、不意にハルヒサは故郷のことを思い起こし、そういえば、と心の中で吐いた。
異世界転生か、異世界転移かはわからないが、とにかくこの世界に来る前は春だったけど、こっちは冬っぽいな、と。
別に元の世界と異世界とで四季がリンクしている必要とかはないが、まるっきり環境が違うといかんせん、気になってしまう。ただでさえわけのわからない世界なのだから、余計に情報を欲してしまうのはきっと脳みそがまだ混乱し続けているのだろう。
「掃除でもして気ぃ、紛らわそう」
そう決心し、細道から出るとおや、とハルヒサに話しかけてくる人物がいた。古めかしい出立の老婆だ。
「先生のとこの子じゃないか。なにしてんだい、ゴミ出しかい?」
「まぁ、そんな感じ、ですーね!」
「ああ、そりゃいいことだ。なんせ、あの先生ときたらゴミ出しはしない。ご飯は作らない。掃除もしなけりゃ、洗濯もしない。おかげで何度異臭騒ぎがあったか、わからんよ」
「それは、なんというか。色々と迷惑をかけたようで」
身につまされる感覚になり、ハルヒサは申し訳なさから、老婆に謝罪した。それを老婆は別にいいよ、と片手を左右に振った。
「これからはあんたがちゃんと掃除とか洗濯とかしてくれるんだろ?期待してるよ!」
そう言って老婆はハルヒサの胸のあたりを左手でつき、その場から去っていった。よし、と気を引き締めハルヒサは再び階段を上り、三階のリビングへと舞い戻った。
舞い戻ったハルヒサはすぐ、ほじくり棒として使い、今は壁に立てかけてある棒の先端で濡れた雑巾を抑えると、即席のモップ代わりにしてフロアの洗浄を始めた。
床の上に落ちていた肉塊や残飯は流し台を掃除する傍ら、ひとうひとつをつまんでゴミ袋に放り投げたため、残っているのは埃やカビ、固まって床の上に貼りついた老廃物などである。 それらをほいさ、という掛け声のもと、床の掃除を始め、モップを押し、ハルヒサは床についた汚れを洗い落としていく。
それは並大抵のことではない。ただモップがけするだけでは取れず、雑巾を濡らして丁寧にこすっても取れないゴミはいくつもあった。そういったゴミは食器を用いてひとつひとつを剥がしていくしかない。
剥がされたゴミは汚れた雑巾とともにゴミ袋へと捨てられた。ゴミ袋の中身はそういったしつこい汚れや雑巾だけではなく、割れた食器なんかも入っている。だからか、持ち上げると非常に重たかった。
どうにかしてフロアの掃除を終えると、次は個々の部屋の掃除の時間だ。埃とかが溜まってるんだろうな、と思いマスク代わりの布を口元に巻き、ハルヒサはリビングの左側に見える三つの扉を睨んだ。そのうち左側にある扉はキスタの部屋で、なんだか怖かったので見なかったことにした。
「おりゃぁああ!!!!」
だから彼が真っ先に突入したのは真ん中の部屋だった。
扉を開けると、まず溜まっていた埃が宙に舞い、マスクをしていたにも関わらず、ゴホゴホと彼は咳き込んだ。涙目になり、中を見ると、無数の大小の木箱が山のように積まれていた。
「物置部屋か?」
木箱の中を見てみると緩衝材がパンパンに詰め込まれていて、その中に不格好な木像が入っていた。別の箱を開けてみると、古い時代の拳銃っぽいものも入っていた。
よくわかんないものだらけ、というのが第一印象で、物置部屋というのなら、今すぐには掃除しなくていいようにも思えた。少なくとも、この部屋の中にあるもののどれが必要で、どれが不必要かを断じることがハルヒサにはできなかったし、できるようになりたいとも思わなかった。
勝手に捨ててしまってもいいが、そうするとあとが怖い。元の世界では夫のプラモデルを捨てた妻、なんていうのがバラエティで紹介されていたし、ハルヒサ自身もライトノベルの山を母親に捨てられそうになった過去がある。そういった過去から、手を出すのは憚られた。
とりあえず後回しにしよう、と木箱の蓋を閉め、彼は部屋の出口へと向かった。その時、不意にガタゴトと木箱が揺れる音が聞こえ、ギョッとして彼は振り返った。
直後、黒色の塊がポーンと木箱の隙間から飛び出て、ハルヒサの顔面にそれは直撃した。不思議と痛みはなくしかし突然の出来事にハルヒサは驚いて倒れ込んだ。
なんだよ、と自分の顔面にくっついたそれをハルヒサが力任せに剥ぎ取ると、それはどこかで見たことのある拳大のサイズの黒い塊だった。剥ぎ取られると同時にそれはピョンと瞳をひらき、ハルヒサを見つめ、笑顔を浮かべた。
直後、それはブワッと体を青く燃やした。驚いてハルヒサは思わず、その黒い塊を窓ガラスめがけてぶん投げた。それは窓を割るようなことはなく、窓に叩きつけられてもすぐに体を起こし、ピンピンしていた。
「カーバンクル……?」
事務所に来た時に似たような黒い塊を見た。しかしあれは青ではなく、赤い炎を纏っていたんじゃなかったか、とどうでもいいことにハルヒサは脳みそのリソースを使った。
彼がそんなどうでもいいことを考えている間に、木箱の中や隙間からは続々とカーバンクルは現れた。彼らが纏う炎の色は様々で、青や赤はもちろん、黄色、緑、紫色、桃色と取り止めがない。
それらは全員、ハルヒサを見つめ、彼の近くに跳ね寄ってきた。驚く彼をよそにカーバンクル達はなお群がり、それが怖くなって、彼は踵を返して逃げ出した。
「うぁあああ!!!」
悲鳴をあげて、リビングの玄関口から見て右手側にある二つの扉のうち、左手側にある扉をつかみ、ハルヒサはそのドアノブをガチャガチャと回す。しかしドアは開かなかった。
ぎょっとしてハルヒサはドアノブを見るが、別に鍵穴があるようには見えない。ただ読めない文字で何かが書いてある看板がぶら下がっているだけだ。つまり、中から鍵がかかっているということなのだが、開けてくれ、と叫ぶ彼の脳裏には部屋の中にいる人物が誰かとかそんなことはどうでもよかった。
バンバン、ガチャガチャ、ドンドン。ドアを叩くこと二十秒と少し、カーバンクルの群れがもうそこまで迫っていた頃、ようやくドアが開き、ハルヒサは中から出てきた部屋の主を押し除け、部屋の中へ囲むと同時にドアを閉め、ガチャンと鍵を締めた。
「はぁはぁあああああああ。なんなんだよ、ほんと」
「——いや、それはこっちの言葉だって。そっちこそなんなんだよ」
不意に後ろから聞こえてきた声にハルヒサは振り向き、そこに立っていた人物に目を向けた。
そこにはワイシャツだけを着た陶磁器のような肌の白い人物が立っていた。黒いミディアムロングのウルフカット、猫のような金眼、華奢な体躯の麗しい外観の少女はハルヒサを睥睨する。
「え、だれ?」
「それはこっちのせりふなんだけど。オレの部屋に勝手に入ってきてさー。いい夢見てたのに台無しだっつーの」
少女はその外見の麗しさとは程遠いぞんざいな口調で問い返す。明らかに気分を害しているとわかる怒気をはらんだ声に気圧されて、ハルヒサはもとからそのつもりではあったが、素直に自己紹介をした。
「俺は
「そう。オレはシトラス・プロセッサー。ハルヒサって珍しい苗字じゃん?」
「いや、
「ふぅん。じゃぁハルヒサが名前か。変な並びだね」
初対面の人間にいうようなことじゃないだろ、とシトラスのこぼした言葉に反論したくなったが、それを抑え、ハルヒサは視線を彼女の部屋に向けた。
とても広い部屋だ。リビングよりは広いが、カーバンクルが大量に群生していた部屋よりは大きい。部屋の片隅には無数の伝照板が置かれ、その近くにはグォングォンと音を鳴らす特徴的な直方体の機械がいくつも置かれていた。
部屋の中にあるものはそれ以外ならば、大きなクローゼットと机がある。机の上にも伝照板が置かれ、その手前にはキーボードのようなものが置かれていた。
だが何よりも目を引いたのはその部屋の至る場所に置かれた無数の瓶だ。大人数で宴会でも催したかのようなくらい、大量の瓶が置かれ、そのほとんどがコルクで栓がされていて、しかしいくつかは栓がされておらず、こころなしか、不穏な匂いが漂っていた。
「えーっと。シトラスはここで何をしてるわけ?」
デイトレーダーです、と言われれば納得してしまうような部屋だ。あと単純に瓶の中の液体については聞きたくなかった。
「オレがやってるのは建築だよ、建築。ここで図面を引いてんの」
「けん、ちく」
予想外の答えにハルヒサは目を丸くした。
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