第22話
クロエ・ガーネットは喫茶店『スリーピング・ダリア』のテーブル席で、憂鬱な湯気をあげるココアをじっと見つめています。
大好物のココアなのに、今日はぜんぜん美味しそうに見えません。
少女は、ただただ冷めゆく飲み物の前でじっとしています。
店主レイノルズさんが、紳士然とした足取りで、少女のところへやってきました。
「座ってもいいかな?」
「ええ、もちろんです。レイノルズさん」
レイノルズさんは、クロエの向かいの席に、なめらかに座ります。
「今日は、どうしたんだい?」
「聞いてください、レイノルズさん――」
クロエは全てを話しました。リトル・ハダムでの調査がはじまり……ウィル少年の母親の体調が悪くなり……子供たちに石をぶつけられ……少年から調査の終了を迫られ……。
レイノルズさんは、クロエが話しているあいだ、瞬き一つもしなかったかのように、真剣に聞いていました。
話しをすっかり聞き終わったレイノルズさんは言います。
「クロエちゃんは、調査を続けたいと思っているんだね?」
少女はほんの少しだけ、身を乗り出します。
「わたし、調査を途中で終わらせるのは、嫌いです」
「ふむ……」
レイノルズさんは考え込むように腕を組みました。
紳士的な店主は、しばらく静かになります。
やがて、レイノルズさんが口を開きました。
「ひとつ、慎重に考えなければならないことがあるよ」
クロエは店主の瞳をぎゅっと見つめて言います。
「なんです?」
「もし、調査を続けると、ウィル少年に危害が加わる可能性も、無くはない、ということだよ」
その晩も、少女はベッドで仰向けになり、湖面のような瞳で天井の木目を見つめていました。
この夜は、木目は長い髪の悲し気な女性に見えました。
……中途半端に終わろうとしている調査……ウィルの身の危険性……。
クロエは目を閉じます。
……父さんなら、こんなときどうするだろう?
父さんは、調査を途中で投げ出すのが嫌いな人だった……。
でも、人が傷つくのを、何よりも嫌がる人でもあった……。
……父さんなら……父さんなら……。
クロエは目を開けます。
父さんがわたしの立場なら、ウィルの身を案じて、捜査を終わりにする。
そう、もう終わりにしよう。
その日の朝食は、クロエの大好きなチーズのオムレツでした。
でも、少女はそれを少しも美味しいとは思えませんでした。
いま、目の前にはハチミツ入りのホットミルクが入ったカップがあります。
ミルクの中で溶けようとして、ぐるぐると回る琥珀色のハチミツを、少女はただただ見つめます。
キッチンで洗い物をする女性主人アークエットさんが言います。
「クロエ、どうしたの? 今日は元気がないわね」
少女は背中を丸めながら、つぶやくように言います。
「そのね……調査が納得のいかないかたちで終わっちゃって……」
なくしたブローチのことは、話しません。話せるわけがありません。
「まあ、もの事はうまくいくこともあれば、思うようにいかないことだらけ、ってときもあるのものよ」
「そうね……」
ミルクのハチミツは溶けきりましたが、カップに手が伸びようとしません。
アークエットさんが言います。
「ねえ、クロエ。今日は蒸気自動車の発表会の日よ。あなたが、自動車や社交に興味がないのはわかっているけど、気分転換に行ってみたらどう? 気楽な気持ちで」
クロエは思います。
蒸気自動車の発表会か……。このまま下宿でだらだらとして、嫌な気持ちに浸っているのもよくないわよね。どこかにでかけて、頭から嫌なことを追い払うのもいいかも知れないわね……。
少女は、発表会に行くことにしました。
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