第30話 システム・オーバーロード

モンテス領の人間、全ての耳目を集めたバスチオン裁判であったが、結局、訴えの取り下げという形で審理が終結。

ただし、重犯罪嫌疑をかけられたバスチオンの身柄はたった三日で解放され、裁判は実質、ローリーの勝利で幕を閉じた。

ローリーはかなり疲労が溜まっていたものの、留守にしてきた総督事務所を心配し、その日のうちにバスチオンとともに駅馬車へと乗り込んだ。

秋は夕暮れが早く訪れる。すでに日が傾き、雲を赤く染めていた。

今日はどこかで宿をとらねばならないが、保釈で支払った金銭は高額。後に返還されるとはいえ、痛い出費となった。

しかし、バスチオンが元気で全くの無傷であることにローリーはほっとした。


収穫の終わった麦畑は、物寂しく、そこに夕闇が迫ってきて、どこか荒涼とした雰囲気を醸している。ローリーはふと、夜明けの襲撃を思い出していた。あの時も、こんな薄暗い街道だったと。

その時、遠くから馬の走る音が響いてきた。


御者が馬車を止める。ローリーは胸騒ぎを覚え、システムを展開する。敵であるとすれば、最悪のタイミングである。ローリーの身体が緊張にこわばる。疲れ、眠気を覚えていた頭が、冴えわたる。ローリーはシステムの青白く発光するディスプレイに、馬に乗った騎士の姿を見た。それは部下のメーヤーであった。


「メーヤー!」


「ローリー様。よくぞご無事で。大変だったようですね。全てブレーナーから聞きました」


ローリーは心からの安堵に、メーヤーの手を取った。


「あなたは休暇中だったのでは?」


「ありがとうございます。切り上げてきたんです。ブレーナーが来たんです。私の家に」


「ブレーナーが?」


「ええ、総督事務所に、怪しい客が来たと」


「怪しい客?」


メイヤーは真剣な表情で、頷く。


「どこか、あの襲撃者を思わせる風貌だったそうです。総督事務所を探りに来ている様子だと」


ローリーは不安げにバスチオンを顧みた。


「杞憂だといいのですが。しかし、あのブレーナーがわざわざ、メイヤーを迎えに寄こすという事は、用心しておくべきかと」


バスチオンは御者を怖がらせないよう、静かに控えめに語ったが、その表情は固かった。


「こんな時に弓がないなんて。どうします?城に戻られますか?」


御者は帽子を取って胸に抱くと、不安そうな表情を浮かべた。


「いえ、それでは御者さんがお困りでしょう。急いで次の宿場に向かいましょう。メーヤー、ありがとう。先導をお願いできますか」


「もちろんです。そのために参じてまいりました」


僕のシステムの力と、メーヤーがいてくれれば、何とかなる。ローリーは緊張を解いて、馬車へと乗り込む。


メイヤーはランタンに灯をともした。しかし、それを取り落としてしまう。ランタンが地面に落ちて、割れた。


メーヤーがかがみこむ。その背に、大弓の短い矢が生えていた…!


「メーヤー!」


「ローリー…様っ…」


「メーヤー殿、動きなさるな。じっとして」


バスチオンがかがんで、メーヤーの肩を抱いた。


薄暗がりの中、ローリーらは音もなく、4名の影に包囲されていた。灰色のフード付きマントに身を包んだ3名と、黒いマントの長身の男である。

灰色マントの3名は一言も発することなく、それぞれが大弓でローリーに狙いを定めていた。


「お前たちの狙いは僕だろう!なぜメーヤーを撃った!」


ローリーの瞳が怒りに燃えている。メーヤーに駆け寄りたい。しかし、ローリーは全く動けなかった。


「メーヤーを手当てさせろ。そうしなければ、お前たちを殺す!」


女の笑い声が響いた。


「怖い怖い。でもこれで終わりよ、小さな聖騎士さん、残念だけれど」


メーヤーは泳がされていたのだ。


3人の刺客が一斉にその引き金を引く!


大弓から射出された矢は、異なる角度から正確に、ローリーの胸に向かって放たれた。

時間が止まったようだった。ローリーは自分に向かってくる3本の矢を意識した。一瞬の後、間違いなく、自分に命中する、と。


静止した時の中で…窓のようなシステムのディスプレイが、倒れてテーブルのように広がった。その中心にミニチュアのように、ローリーと彼を取り囲む4名の刺客の映像が立体となって現れ出でた。今まで平面であったシステムが、突如立体となってローリーの眼前に展開したのだった。

ミニチュアのローリーが、放たれた矢を最小限の動きで躱す。すると、システムの青い光は白熱した輝きとなってローリーを包み込み…時間が元に戻った。


不思議な一瞬が過ぎ去った。目がくらんでいたような感覚。ローリーは自分の胸に手を当てる。矢が…刺さっていない。周囲に目を戻すと、4名の刺客は明らかに慌てていた。僕は矢を躱した?システムの立体映像のように?

黒いマントの男が大弓に矢をつがえようとしている。ローリーは無意識に左腰の短剣を抜く。再び、システムの盤上にローリーと敵の立体映像が展開される。それは光り輝いてローリーの全身を覆った。


ローリーと黒い男、2人の様子を、灰色のマントに身を包んだバルトリスが目撃していた。

ローリーは踏み込むと黒い射手の右手首を深く斬りつけ、返す刃で右の大腿部から脛まで斬り裂いた。吸い寄せられるように少年の刃が急所である動脈を狙っている。まるで訓練された暗殺者の動きである。バルトリスには素早い剣の軌道が見えない。彼女が見たのは黒い男が斬られた、その結果のみである。

バルトリスが危険を感じて飛び退る。

灰色マントの2名が抜剣した。


「魔物か!?こいつは!」


黒いマントの男は激しく出血している。大弓を取り落とし、その場にしゃがみ込むと動かなくなった。

ローリーは無表情で灰色マントの二名に向かって行く。その青い瞳が怪しく光を放っている。


「どいてろ、俺がやる!」


ジェンスが小剣を両手で構えて前に出る。腰に下げているトレードマークの大剣は、すでに捨て置かれている。幾度も死線を潜り抜けてきた冒険者の男にとって、初めての事態である。

ローリーが懐に入って、脛を斬りつける!しかし、その剣撃は的確に食い止められる。ジェンスは正確にローリーの首を狙って真一文字に剣をふりぬいた。鮮血が飛び散り少年は絶命…するはずであるが、ローリーは尋常の相手ではない。システムの青白い光をまとった少年は、くるりと背を向け体を回転させると攻撃をかわし、さらにその勢いに乗ってジェンスの右手、刃元を強打した!

鋭い金属音とともにジェンスの剣が弾き飛ばされ、地面に深く刺さる。ジェンスは驚愕した。どんなに訓練を積んでも、人間にこのような動きができるはずがない。まるで悪魔が、繰糸で少年を踊らせているかのような不自然な動きであった。彼は無意識に無傷の右手を左手で触って確認している。その無駄な動きが、命とりであった。

ローリーが瞬時に丸腰のジェンスの胸に飛び込む。少年の動きはすでに刺客の反応を凌駕していた。少年の持つ短剣の刃先が、喉に突き立てられた。刃先は浅く皮膚を貫いて、血が滲み始める。


「動くな。動けば、お前を殺す」


「ローリー…モンテスッ…!」


間に合わない。喉を切り裂かれる。ジェンスは死を覚悟した。


「お待ち!ローリー!」


その時、剣を持ったバルトリスが叫ぶ。その足元に、バスチオンと、メーヤーがしゃがみこんでいる。


「取引しましょう。正直、君を見くびっていたわ。あの時、気付くべきだった。君は並みの相手ではないと」


黒マントの男はすでに絶命している。灰色マントのゲインズが、大弓に矢をつがえて再びローリーに狙いを定めている。


「卑怯者め!」


その時、ローリーは自身を包むシステムの光が、徐々に失われていくのを感じ、同時に激しい疲労感に襲われた。ローリーの心を動揺が襲う。システムの力が、消えてしまう?ローリーは意識をシステムに向ける。しかし、空中になにも生じない。生まれて初めての経験である。恐怖で全身が凍り付く。


「わかった…立ち…去れ!今、すぐに…」


気付くと全身で荒い呼吸を行っている。冷汗が首を伝って、シャツを濡らしている。くそっ…システム!力を貸してくれ!どうした!頼む!出てきてくれ!さっきまでのように、僕に力をくれ!

ジェンスはローリーの異常に気付いた。素早く手刀で少年の構えた短剣を叩き落とす。ローリーの瞳が絶望の色を帯びる。


「なんて奴だ…ローリー、お前はいったい何者だ?」


ローリーの身体は全く動かなかった。システムも全く反応を示さない。すべてが終わってしまったのだった。

ゲインズが用心深く矢で狙いを定めながら、ジェンスに剣を手渡す。


「ローリー。お前は間違いなくブレイク最強の剣士だった。俺は一度、お前に殺された」


ジェンスは剣を地面に突き立てると、腰に括っていた縄を手にする。ローリーはゆっくりとジェンスの顔を見上げた。その首に、絞縄がかけられた。


「お前の綺麗な身体に傷をつけるのは、忍びないからな」


ジェンスはローリーの首にかけた縄を背負うようにしてローリーの身体を持ち上げる。少年にはもはや抵抗する力は残っていなかった。


「あばよ、ローリー」


呼吸ができない、意識が遠のく…。ジェンスの背に、消えていく命の震えが、伝わってきた。

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