03.


 器に集めた菫を水洗いして不純物を取り除き、瓶のなかに花びら、熱湯を入れる。

 花の色素が溶け出たお湯ははじめ青いが、そこに檸檬汁を加えると一気にあざやかな紫になる。


「わあ。魔法みたい……」

「檸檬の量を増やすほど赤みが強くなっていきます。お好みの色合いにしてみてください。一日置けば、しっかりとした濃さになります」


 日が沈みはじめた夕刻。

 披露宴を終え、私服に着替えたルネは夫が見守るなか、S’allierサリエの厨房にいた。特別なコース料理を手がけた料理長シェフ――黒狼の青年リヤンが、ソルベにも使った菫のシロップの作りかたを教えている。


「一日経過したら花びらを濾して鍋に色水を移し、砂糖を加えてください。それが溶けるまでとろ火にかけるのですが、加減にはご注意を。煮詰めすぎると香りが飛んでしまいますので」

「わかりました、ありがとうございます。ちなみに主菜メインで出していただいたサラダと、鹿肉のソースも教えてもらえませんか……? 家で作りたくて」

「それはですね――」


 ルネの表情は明るい。楽しげな声をかたわらに、バーカウンターで紬希はリオネルに向き直った。


「あらためて、本日はおめでとうございます。素敵な披露宴でした。おふたりにもそう思っていただける会にできていたら、うれしい限りです」

「ありがとうございます。不安のなか迎えた今日ですが、このレストランに頼んでほんとうによかった。忘れられない一日になりました」


 狼族と兎族。緊張していた空気は主菜メインをきっかけに和らぎ、それまで手つかずだった料理も最後にはきれいに完食された。多少のぎこちなさを残しつつもクラヴリー家とネリーが握手をして帰ってくれたので、紬希も胸を撫でおろしたものだ。

 花冠ティアラにあしらわれていた菫はミニブーケに生まれ変わり、リオネルの腕のなかにある。花束を大切にかかえた彼は「あの」と口火を切った。


「異種婚はいざこざが起きやすいから、どの式場も受け入れてくれません。どうして、S’allierサリエは……」


 紬希は笑う。厨房に立つリヤンと、会場の装花を回収しているラヴィ、そしてこのレストラン全体を愛おしむように見渡して、答える。


「わたしが異種族の家族を持つからです。……世界でいちばん尊敬する養父ちちは、犬族のひとでした」



           ◇◇



「リヤン、ラヴィ。お疲れさま」


 新郎新婦を見送った紬希は、店の鍵を閉めてから二階にあがった。厨房裏手にある階段をのぼれば、そこは暖炉を設えた広いリビングになっている。

 廊下の先には扉が並び、それぞれリヤン、ラヴィ、紬希の部屋と割り当てられていた。三人は家族――この居住空間でともに過ごしてきた仲だ。


「紬希もお疲れさま。なんとかうまくいったわね」


 制服を脱ぎ、リビングの長椅子でくつろいでいたラヴィが手招きした。隣に座ると、グラスに黄金こがねのジュースをそそいでくれる。灯蜜果メルティラの果汁を炭酸で割った、リヤン特製のスカッシュだ。

 ぱちぱちとはじける楽しい甘さを味わいながら、紬希は台所にいる黒狼の青年を見やる。


「リヤンのおかげだよ。特に主菜メインがおいしいって、皆さん喜んでた。さすがS’allierサリエ料理長シェフ

「クラヴリー農園のブルーベリーがうまいんだよ。大粒で、艶があって。今回はソースにしたから兎族の来賓に原形を見せられなかったのが悔やまれる」


 幼い頃からS’allierサリエの厨房で料理を学んできたリヤンはこだわりが強い。素材をとても重視していて、高い品質のものしか使わない。そんな彼が褒めるのだから、クラヴリー家のブルーベリーはほんとうにおいしいのだろう。これからはルネも畑に加わるのだと考えると、胸があたたかくなる。

 それにしても、とラヴィが頬杖をついた。


「ただのレストランだったこの店を、ウエディング専門にするだなんて聞いたときは驚いたけれど……残ってよかったわ。披露宴バンケットスタッフの仕事、好きになれそう」


 そう。実は今日が、ウエディングレストランとしての初営業日だったのだ。

 遡ること二十五年。赤子だった紬希は、S’allierサリエを経営していた犬族の男に養子として引き取られた。彼の名はシルヴァン。情に厚く、狼族のリヤンに猫族のラヴィと、種族関係なく三人の孤児を迎え入れてくれたあたたかいひとだ。

 当時普通のレストランだったS’allierサリエには、多様な種族の客が入り混じっていた。森を出れば居住区を異にし、いがみあいがちな人々も、この店では同じ時間を楽しく分かちあう。黄金こがねの森の魔法――幼い紬希にとってシルヴァンと彼の店は誇りだったが。

 五年前、シルヴァンは突然亡くなった。心臓疾患だった。遺品から発見された遺書には、紬希宛ての文章が添えられていて。


 〝S’allierサリエを、お前に託す〟


 姉妹として育ったラヴィと、シルヴァンのもとで料理の腕を磨いたリヤン。ふたりの力を借りながら、自分らしく店を継いでほしいと書かれていた。

 悩んだすえに、紬希はS’allierサリエをウエディング専門にすることに決めた。かねてからの信念のために。そうしてこの店は一度、休業したのだ。

 普通のレストランとしての営業最終日に、ルネとリオネルが来店して――現在に至る。

 シルヴァンの死去と、店の業態変更で何十人ものスタッフが離れたS’allierサリエだが、この場所を愛する者や紬希の想いに共感する者は残ってくれた。

 受けた恩に報いるため、休業期間で公都の式場に修行しに行った紬希は、現場を学び、知識をつけて帰った。業務内容や流れをスタッフ全員に共有するのは大変だったものの、念入りな準備が功を奏して滞りなく披露宴を終えることができた。


「次の組は……三日後ね。ドリンクCプランで十三時開始。新郎は鳥族、新婦は羊族」

「ルネさまたちと打ち合わせを重ねはじめてすぐ、連絡が来たんだよね。相談の電話をもらったときはうれしかったなぁ」


 次の請書を読むラヴィと紬希に、リヤンが頷く。


「よその式場は異種婚の受け入れをしないからな。特定の層にとって、ここは需要があるんだろ」

「うん。リオネルさんもそう言ってた」

「異種夫婦って意外といるのね。S’allierサリエの知名度があがればもっと、予約が入りそう」

「ラヴィも将来ここで披露宴やっていいんだよ? 犬族の彼氏と付き合ってるんだから」

「やだ、気が早いわよ!」


 昔から続く異種族間の不和は簡単になくならないが、若者のあいだではすこしずつ、異種カップルが生まれている。そうしたふたりの背中を押すような店でありたい――さまざまな種族の従業員や来賓と交流するなかで、紬希はふと考えることがある。


(わたしはどうやって、この国に来たんだろう)


 北を険しい山岳地帯に、南を雄大な海に守られたエラドレ公国は、獣の身体能力や鳥の翼がなくては越えにくい地にあるとされている。

 紬希は生粋の人間だ。外の国で生まれた確信がある。誰かに運ばれでもしなければ、当時赤子だった彼女がここまでやってくることはできない。


「……ところでリヤン、さっきから何作ってるの? すごくいい匂いがしてきたんだけど」

「今晩のスペシャルコースだ。無事に初日を終えた祝いと、これからの発展を祈って」

「え! ごちそう!?」


 披露宴バンケットスタッフの朝は早い。そういえば今日一日何も食べていなかったと気づいた紬希の腹が盛大に鳴る。思わず立ちあがると同時、ラヴィがぎゅっと抱きついてきた。


「乾杯しましょ。今夜はパーティーよ!」


 この店は紬希にとって特別なレストランであり、たくさんの思い出が詰まった愛する家だ。

 シルヴァンがいなくなっても、誰が欠けても――それは変わらない。

 窓の向こう、沈んだ太陽に代わり月を迎えた森はいま、灯蜜果メルティラの輝きが夜道を照らすように、皓々と連なり灯っている。慣れ親しんだ森を見おろすたびに、紬希は思うのだ。


(この黄金こがねの森を中心にして、異種族の家族の輪を広めていきたいな。それがわたしの夢)


 ここはS’allierサリエ

 灯蜜果メルティラの森、道標のように降りそそぐ木漏れ日をたどった先の湖畔にある、ウエディングレストラン。

 狼に猫に、人間に――多様な種族のスタッフが、いつでも新たな出会いを待っている。





 〈了〉

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