第25話 頼み

「あの警部が初めて長期休暇を取ったんだって?」

「あの警部がだろ?信じられんよ」

 部下の一人が肩をすくめて言う。

「まぁ、最近じゃ警部は特に忙しいわけじゃなかったしな」

「それで、警部は休暇をどこで過ごすって?」

「裏東京で過ごすとか言ってたけど。警部は休暇の仕方知ってるのか?」

 一部の部下は警部の行動に不安を感じながらも、また一部は警部らしいと言って納得していた。

「ここが裏東京か……いつ来ても変わらないな。ここは」

 岸田は不安定な足取りで廃墟のような街並みを歩きながら、周囲を見渡した。

 暗く薄汚れたビル群が並び、ひび割れた道路にはあちこちに廃車が散乱している。

 人々の姿はまばらで、ほとんどが顔を隠しているか、じっと動かずにこちらを見ているようだった。

「そこの君、酒が飲める店を知らないか?」

「タダじゃ教えてやらねぇよ」

「金か?」

 岸田は冷徹な目を男に向け、軽く肩をすくめた。

「いくらだ?」

「5000円だな。これ以上は要らねぇ」

 岸田は懐から財布を取り出し、5000円を男に渡した。

「D3地区に『チェリーパイって』っていう店がある」

 岸田は薄暗い通りを進みながら、G3地区へと足を運んだ。

 扉を押すと、重い音と共に薄暗い店内の光景が目に飛び込んできた。

 中には、大小のテーブルに集まる様々な人間たち。

 酒を煽る者、低声で密談する者、そしてただ周囲を観察している者たちの姿が見えた。

 岸田はゆっくりと歩を進め、カウンターへと向かった。

 その途中、いくつかの視線を感じた。

 どれも無関心のように見えながらも、岸田の存在を確かに警戒しているようだった。

 カウンターの奥ではサングラスをした男がグラスを磨いていた。

 岸田がカウンターの席に腰を下ろすと、男がグラスを置き、岸田をじっと見つめた。

「ワタクシに何かようかしら?」

 男は軽くサングラスを押し上げながら、独特な口調で話しかけてきた。

 その声はどこか挑発的で、岸田を値踏みしているような印象を与える。

 岸田は一瞬眉をひそめたが、冷静に答えた。

「コーヒーを……いや、ビールを一つ」

 サングラスの男は無言でビールを注ぎ始めた。

「このビールの銘柄は?」

 サングラスの男はビールを注ぎながら、淡々と答えた。

「ワタクシが裏東京で作った特別性のビールよ」

 ビールがグラスに注がれる音が響き、岸田は手元を見た。

「……思ったより悪くないな」

 と岸田は短く言い、店を後にしようとする。

 その背中にサングラスの男が一言、高い声で続けた。

「気をつけてネ」

 岸田はその言葉に足を止めず、ただ肩をすくめるだけだった。

 振り返ることなく、店の扉を開け、冷たい風の中に消えていった。

 

 一方その頃警察署では、

「こんな調査報告書で世間が納得すると思っているのか!?」

 警察署の一室で、上司の怒声が響いた。

「金髪の女性や被害者たちの行方もつかめていないのに…… 金髪の女性や被害者たちの行方もつかめていないのに、どうしてこんな中途半端な報告で終わるんだ!?」

 上司の怒声が一層激しくなる

「生半可な調査結果を発表してみろ!マスコミのいい餌食だ!」

「し……しかし、証拠が全て燃えてしまった今では……」

「証拠が出ませんでした。で、終わりに出来るほど日本の警察は甘くはないぞ」

「は……はい」

「わかったらさっさと捜査を続行しろ」

 上司の冷徹な命令に、部下は息を呑みながらも深く一礼した。

「そして、金髪の女性と被害者たちの居場所も突き止めろ!早急にだ!」

「はい!」

 部下が慌ただしく部屋を出ていくのを見届けると、上司は深くため息をついた。

「あの、署長に会いたいという方が……」

「アポイントメントの無い人間には会わん。第一、今はそれはそれどころじゃない」

「しかし……」


 その瞬間、ドアが開け放たれた。

「署長。相変わらず忙しいようですね」

「お前は……岸田じゃないか」

 署長は驚き混じりの声を上げた。

「いや、驚いたよ。岸田警部。長期休暇をとったと聞いていたが……」

「忙しいところ急にすいませんでしたね」

「いや、私の現状では休暇もろくに取れなくてね……」

「いろいろと大変そうですね」

「なにしろ事件は混沌を極めていてな……。証拠は燃え、容疑者である金髪の女性は見つからず仕舞いだ」

 署長は机の上の報告書を指で軽く叩きながら、疲れたようにため息をついた。

「被害者たちの女性たちは、金髪の女性の『仲間』の場所に行くように、と、言っている」

「仲間?」

  岸田が眉をひそめると、署長は深刻な表情で頷いた。

「そうだ。助けられた被害者たちの証言によれば、金髪の女性は彼女たちにこう言ったらしい――“あなたたちは、もうすぐ仲間のところへ行ける”と」

「“仲間のところへ”……? つまり、金髪の女性には共犯者がいる?」

 そう思うだろう?」

 署長は岸田をじっと見つめた。


「……………」

「そういえば……私は署長に頼みがあって来たんですよ」

 岸田がそう切り出すと、署長は目を細め、机の上で指を組んだ。

「頼み? お前が俺に?」

「ええ」

 岸田は内ポケットから取り出し、USBメモリを署長の前にそっと置いた。

「暇な時でいいです。これの解析をお願いしたい」

「……わかった。部下にやらせよう」

 署長はUSBメモリを手に取り、しばらく無言で見つめた後、デスクの引き出しにしまった。

「しかし、岸田。お前がわざわざ持ってきたってことは、これはただのデータじゃないんだろう?」

「ええ、まあ……そうですね」

 岸田は曖昧に笑いながらも、どこか探るような目で署長を見た。

「…‥どうせ聞いても答えてはくれんだろ」

「……署長が頭が回る人で助かります」

 岸田は軽く肩をすくめ、微笑んだ。

「ええ、その時は包み隠さず」

 岸田の言葉に、署長はふっとため息をついた。

「信用していいのやら……。お前、昔からそうやって適当にかわすからな」

「成長してないってことですかね?」

「そうかもしれんな」

「ともかく、しばらく待ってろ。結果が出たら連絡する」

「よろしくお願いします」


 岸田は軽く頭を下げると、署長室を後にした。

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