第21話 幽霊との邂逅

「さて、そろそろ取引を始めるとしようか」

 スーツの男がそう言うと、部下が再びホールに戻ってきて、小切手の束をスーツの男に渡した。

「値段はどれくらいかな?」

「100億円になります」

 普通の人間では一生手が出せないような価格だ。

「100億か……その程度でいいのか?もっと高いものかと思ったが」

 スーツの男は小切手の束を指で弾きながら、不満そうに眉をひそめた。

「社長。これがオークションの限度額です」

 部下の一人が怯えた声で答えた。

「オークション限度額か……くだらないな」

 スーツの男は小切手の束を机の上に投げ出し、軽くため息をついた。

 その態度からは、商品への満足感と、この取引全体への不満が交錯しているのが見て取れる。

「だが、今回の商品の質は悪くない。限度額という名の天井がなければ、いくらでも支払う価値があっただろうな」

 彼は自分の部下たちに向かって冷笑を浮かべながら言った。

「さて、もうここには用はない。お前たちは商品を私の車に運べ」

 スーツの男がそう命じると、部下たちは即座に動き始めた。

 商品である女性を丁寧に担ぎ上げ、ホールの出口へと向かう。

 暁律はその様子を無表情で見守っていたが、白衣の男に渡された通信デバイスで、小さな声で呟いた。

「頼みたいことがあるの……」

『あまり私情は挟まないで欲しいんだがな……』

 通信デバイス越しに返された声は冷たくも、どこか皮肉めいた響きを持っていた。

 それでも暁律は意に介さず、小声で続けた。

「渋谷オークションのオーナーに捕まった女の子を助けたいの」

『やはり私情じゃないか……』

 通信デバイス越しの声は、今度こそ明らかに呆れた調子だった。

 それでも暁律は動じず、冷たい声で返す。

「私情だとしても助けたいの……」

『お前の通信デバイスから車のおおまかな位置を特定した』

 通信越しの声は変わらず冷静だった。


『黒塗りのベンツ、追いつけない速さじゃないな……マリア、先回りするぞ』

 静かに指示が飛ぶと、バイクのエンジン音が一層鋭く響いた。

 通信デバイスの向こうで、マリアの短い返事が聞こえる。

『了解』

 暁律はそのやり取りを耳にしながら、わずかに息を吐いた。

 黒塗りのベンツはすでに街の角を曲がり、視界から消えようとしている。

「先回りしたら、どうするつもりなの?」

『先回りして、奴の屋敷に侵入する』

 暁律はその言葉にわずかに目を細めた。

「侵入して、具体的にどうするつもり?」

『オークションの資料を探す』

「資料って……?」

 暁律は問い返しながら、黒塗りの車が遠ざかっていくのを鋭い目つきで見つめた。

『アイツが帰ってくる前に、屋敷の商品と資料を全部もらってしまおう』

「商品はともかく、資料って具体的に何のこと?」

『裏の世界のオークションに関する全データだよ。取引記録、商品の情報、関係者のリスト……。全部揃えれば、この渋谷市場そのものを潰すことだって可能になる』

 暁律はその言葉を聞いて、静かに頷いた

 その間、白衣の男とマリアは屋敷に向かってバイクで疾走していた。

 けっして整備されてるとはいえない、ビルの隙間の間を進んでいる。

「マリア。もう少しで屋敷だ、用心しておけ」

「わかったわ」

 マリアは返事をしながらも、意識を研ぎ澄ませ、屋敷の周囲を確認する。

 足音を立てないように、裏口へと向かう。


「……静かすぎる。何があったの?」

 マリアは不安を感じながら、周囲を慎重に見渡す。

 普段なら、屋敷周辺には警備の足音や人々の声が少なからず聞こえるはずだ。

 しかし今は、まるで何もかもが消え去ったような静寂が広がっている。

 心の中で不安の兆しが膨らんでいく。

「おかしいわね。普段とは様子が違う」

 マリアの眉がわずかにひそめられる。白衣の男の声が響く。

『警戒を怠るな。何かが起きている可能性が高い』

 その言葉に、マリアは無言で頷きながら、さらに慎重に動きを続ける。

 裏口まであと少し。

 もし警備が完全に無防備だとしても、予想外の事態に備え、最悪の展開にも対応できるように準備しておかなくてはならない。

 そこに一人の青年が現れた。

 マリアはその声に一瞬驚き、警戒の眼差しを向けた。

「誰?」

 マリアは部屋の隅から現れた青年の姿を目で追いながら、背筋を伸ばす。

 彼の目は冷静で、どこか楽しんでいるような様子だった。

 マリアの警戒心を感じ取ったのか、肩をすくめてから少し歩み寄り、低い声で続けた。


「君たちが幽霊と呼んでいる人物といえばわかりやすいかな?」

「幽霊ね……つまり、二階堂透かその関係者ってわけ?」

「確かに僕は二階堂透だ。だけど、幽霊本人ではない」

 その言葉にマリアは一瞬眉をひそめた。

「何を言っているの?それじゃ、あんたは誰なの?」

 二階堂と名乗る青年は、楽しげな表情を浮かべたまま答える。

「僕は、いわば『影』だ。幽霊の残した痕跡、あるいは投影みたいなものだと思ってくれればいいよ。今、君たちが見ているこの姿は、完全に本物の二階堂透じゃない」

 マリアはその言葉に耳を傾けながらも、相手が発するどこか胡散臭い空気を見逃さなかった。

「影ね……そんな話を信じると思っているの?」

「信じるかどうかは君次第だよ、マリアさん。だけど、重要なのは僕がここにいる理由だ」

 マリアはその言葉に警戒を強め、冷静な声で問い詰めた。

「じゃあ、教えてもらいましょうか。あなたの目的は何?」

 二階堂透は軽く笑い、ゆっくりと手を広げた。

「もちろん、目的は一つだ。この屋敷にある、資料を回収すること。それだけだよ」

「資料?」

 マリアはその言葉に疑問を感じ、二階堂透の動きを鋭い目で追った。

「裏のオークションに関する全ての記録。取引履歴、商品の情報、関係者のリスト……。そんな物は僕───幽霊にとってはどうでもいいことだ」

「どうでもいい?」

 マリアは眉をひそめ、相手の意図を探るような視線を向ける。

「なら、何のためにここに来たの?」

「君は知らなくてもいい。その資料はもう手に入れた」

「資料を手に入れた……?でもまだ屋敷を出ていない……どうして?」

 二階堂透は冷淡な笑みを浮かべながらポケットからUSBのような小さなデバイスを取り出して見せた。その仕草は自信に満ち、挑発的だった。

「まだ仕事が残っているからね」

 二階堂透はUSBを指先で弄びながら、余裕の笑みを浮かべてマリアを見つめた。

 その視線には、どこか余裕と確信めいた冷たさが滲んでいる。

「だから、ここを片付ける必要がある。証拠を残さず、何もなかったようにする。それがここでの僕の最後の仕事だ」

「片付けるって……どういう意味?」

 マリアは眉をひそめ、警戒の色を一層強めた。

「言葉通りさ。資料を回収した以上、この場所には何も残らない方がいいからね」

 二階堂透の口元がわずかに歪み、楽しむような笑みを浮かべた。

 その瞬間、彼の足元に設置された小型装置がわずかに光を放った。

「爆破装置……!?」

マリアの目が見開かれる。

「察しがいいね。もう少しでタイマーが作動する。この屋敷そのものが“燃える”ことになる」

「ふざけないで!ここにはまだ人がいるのよ!」

「人?馬鹿を言うなよ。あれは『商品』じゃないか?」

 二階堂は一歩後退し、壁際の非常口を指差した。

「さあ、選べるのはほんの数分間だ。僕を追うか、彼女らを救うか。どちらでも構わない」

 その言葉とともに、彼は静かに出口へと歩き始めた。

 マリアの心は混乱していた。

 彼女の目の前には、命をかけて守るべき無辜の少女たちと、二階堂透という冷徹な敵が立ちふさがっている。どちらを選ぶべきか――

 視界がぼやけ、耳鳴りが響く。時間が無い。


「……クソッ」

 マリアは一瞬だけ目を閉じ、深呼吸をした。瞬時に冷静になり、心の中で選択肢を天秤にかける。

 二階堂透を追うことができれば、彼が持っている情報や資料を取り戻すことができる。

 しかし、その時間を遅らせることで彼女たちの命が失われるかもしれない。

「無駄にするわけにはいかない!」

 彼女は決心し、方向転換した。二階堂透を追うことは一時的な勝利に過ぎない。彼を放っておいてでも、今ここで少女たちを救うことが最優先だと。

 マリアは素早く、爆発が迫る屋敷内の廊下を駆け抜ける。遠くで、少女たちの必死な声が響いていた。

「私が必ず助ける!」

 やがて、彼女は少女たちが閉じ込められている部屋に到達する。非常口の近くにはまだ間に合う――


 だが、その時、背後で大きな音が鳴り響き、屋敷の一部が崩れ落ちた。

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