第19話 スポンサー

 暁律は廊下を進む中で、ふと背後に視線を感じた。

 立ち止まり、振り返ると、黒いスーツを着た男が彼女をじっと見ていた。

(やっぱり怪しまれている……)

 心の中で冷静に状況を分析しながら、暁律は平静を装ったまま足を止めず、ゆっくりと歩き出した。


 彼女が無駄な動きを見せれば、すぐに捕まるのは目に見えている。

 廊下の先には扉がいくつか並んでいた。

 その中の一つに小さな「スタッフ専用」の札がかかっているのを見つけた暁律は、何気ない仕草でその扉の前に立ち止まった。

「迷ったふりをして、中に入れるか試してみるしかないわね……」

 小声で自分に言い聞かせると、扉を押してみたが、やはり鍵がかかっていた。

「当たり前か……」

 暁律は軽くため息をつき、周囲を見渡した。廊下の奥にはまだいくつか扉が並んでいるが、どれも「スタッフ専用」や「関係者以外立ち入り禁止」と書かれている。

(さて、どうする?強引に入る手もあるけれど、あまり目立つのは避けたい……)

 暁律は素早く状況を把握し、自然な動作で壁に寄りかかったまま姿勢を正した。

 スタッフの男は、鍵束を手に持ち、廊下の各扉を一つずつチェックしているようだった


(この男がどこに向かっているのかが問題ね……)

 彼女は冷静に観察を続けた。

 男が次々と扉を確認している間、暁律は彼の行動に合わせて軽く身体を移動させ、不審に思われないように位置を調整した。

 そしてスタッフの男は途中で足を止め、コーヒーの自販機に金を投入した。

「出来ればビールが飲みたいぜ」

スタッフの男が苦笑い混じりに呟くと、暁律は少し離れた場所からその様子を観察していた。

(油断しているみたいね……)

 男が自販機のボタンを押し、缶コーヒーが落ちてくる音が静かな廊下に響いた。

 彼はコーヒーを取り出し、やっぱり「こういう所じゃ贅沢は無理か」と再びぼやく。


(あの鍵束が必要だけど、どうやって……?)

 暁律は壁際に身を潜めたまま、男が腰に下げている鍵束に目をやった。

 タイミングを間違えれば不審に思われるのは確実だ。

 彼女は自販機の向こうに小さな物音を立てて、注意を引くことにした。

 鍵束を奪うのはその隙をつくしかない。

 「ん?」

 男が物音の方に顔を向ける。

 暁律はその瞬間を逃さず、自販機の反対側に回り込み、男の腰から鍵束をそっと外した。

 「気のせいか……?」

 男は周囲を見回したが、特に何もないと判断し、再びコーヒーに口をつけた。


 その間に暁律は静かにその場を離れ、鍵束を握りしめたまま廊下の奥へと進んだ。

(これで扉を開けられる……)

 足音を抑えながら、彼女はさっきの厳重に施錠された扉へと向かった。

 暁律は鍵束を手に、静かにその扉の前に立った。

(この中に何が隠されているのか……ここまで来た以上、確かめないわけにはいかない)

 彼女は鍵束をじっと見つめ、一つ一つ形状を確認しながら鍵を選んだ。

 そして、慎重に鍵を鍵穴に差し込み、ゆっくりと回した。

 カチリ───

 静かな音が響き、扉のロックが外れる。

 暁律は緊張を抑えつつ、ゆっくりと扉を押し開けた。

 中に入ると、薄暗い空間が広がっていた。

 部屋の中には書類や機械のようなものが無造作に置かれ、壁には複数のモニターが設置されている。

 モニターにはオークション会場や廊下の様子が映し出されていた。


中に入ると、薄暗い空間が広がっていた。部屋の中には書類や機械のようなものが無造作に置かれ、壁には複数のモニターが設置されている。モニターにはオークション会場や廊下の様子が映し出されていた。

(監視ルーム……?でも、これだけじゃないはず)

部屋の奥にある棚には、ラベルの貼られたファイルがぎっしりと詰まっていた。暁律はその中から一冊を手に取り、中を開いた。

 そこには、人間に関する詳細なデータがびっしりと記載されていた。

 名前、年齢、健康状態、さらには過去の経歴まで――まるで「商品リスト」のように思える内容だった。

(やっぱり……ここでは女性を「売買」している。本当に最低な場所ね)

 暁律の手がファイルをめくるたびに、怒りが湧き上がる。その時、不意に部屋の外から足音が近づいてきた。

(まずい……見つかる!)


 彼女は素早くファイルを棚に戻し、鍵束を再びポケットにしまうと、部屋の隅に身を潜めた。

 足音はますます近づいてくる――あと数秒で扉が開かれるだろう。

(ここで見つかるわけにはいかない……)

 暁律は息を潜め、次の瞬間を待った。


 扉がゆっくりと開き、光が部屋の中に差し込んだ。暁律は部屋の隅に身を縮め、物陰に隠れた。

「なんだ、誰もいないじゃないか……」

 低い声とともに、男性が部屋に入ってくる音がした。彼の足音が室内を歩き回るたびに、暁律の心臓が跳ね上がる。男性は棚の前で立ち止まり、何かを探しているようだった。

(どうする……出て行くタイミングがない……)

 暁律は咄嗟に視線を周囲に巡らせた。

 部屋の隅には小さな通気口のようなものがある。

 だが、そこから逃げ出すのは現実的ではなさそうだ。

 その時、男性がつぶやいた。


「今日の目玉商品を客に渡さないと……」

 その言葉に暁律の心はざわついた。

(目玉商品……あの女性のことね)

 彼女は背後の男性の気配を感じながらも、動きを止めなかった。

 自分の手の中には、さっき手に入れた鍵束がある。

 男性は独り言を続けながら、近くの棚を漁っている。

「あの客うるさいんだよな」

「確かにまあ、金だけは持ってるから文句は言えないが……」

「とりあえず女だけ渡して帰ってもらおう」

「そうだな。今日の目玉商品でも買ってもらおう」

「でも、目玉商品は渡す予定があったんじゃないのか?」

その会話が耳に入ると、暁律の心臓が一瞬早鐘のように高鳴った。

(渡す予定? 目玉商品?)

 彼女はその言葉の意味をすぐには理解できなかったが、状況から察するに、目玉商品が既に決まった人物に渡されることが予定されていたのだろう。

 そして、それは恐らく、今後の取引において重要な役割を果たす。

「知るか。アイツのご機嫌取りの方が先だ。通常の客はキャンセルしておけ」

「確かにそうだな。アイツは俺たちのスポンサーみたいな物だしな」

 その言葉を聞いた瞬間、暁律は一瞬背筋を冷やした。スポンサー、つまりこのオークションの背後にいる力のある人物がいるということ。

 彼女の直感が働き、少しずつ浮かび上がる真実に気づき始める。

(もしや、このオークションそのものが、ただの取引ではなく、もっと深い目的が隠されているのか?)

 暁律は自分の考えを整理し、次に取るべき行動を模索し始めた。

 この状況から抜け出すためには、裏で動いているその「アイツ」についてさらに情報を集めなければならない。

(アイツがどんな人物かを知れば、少なくとも次に何をすべきかが見えてくるはず……)

 暁律は、周囲の会話に耳を澄ませながら、慎重に次の動きを考えた。

 今の状況で動き出すことは、まだリスクが大きい。

 しかし、何もせずにいると、状況はますます悪化する可能性がある。

「アイツ」の正体、そして彼がどんな目的でこのオークションを仕切っているのかを知ることが最優先だ。

 彼女は再び歩き出し、目立たないように会場の隅へと向かった。

 幸い、スタッフたちが騒がしくしている間に、暁律は近くの扉から抜け出すことが出来た。

 スタッフが近くの前の扉が開いた音に気づく。

「誰か通ったか?」

 暁律は、スタッフ達の後ろ姿を見送りながら、廊下の方へ急いで走って行った。

「アイツ」と呼ばれる者が牛耳っているのは間違いない。

 

 もう一度周囲を確認し、暁律は自分の決意を固めた。

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