第3話

 俺は翌日大学を休んで帰省した。それから母の言う通り、父を加えた三人で本家のある関西の片田舎へと向かった。なんでも祖父の自宅で通夜も葬儀も執り行うらしい。

 忌引き休暇を取るのは久々だ。非日常感にわくわくしている自分がいた。しかし面倒なこともある。親戚連中と顔を合わせなければならない。

 昔気質で噂好きの厄介なやつら。その上平成になって久しいというのに、未だに本家だの分家だのと煩わしいことこの上ない。

 母も例に漏れず世間体を気にするタイプで実家にいる間、俺は随分と振り回された。そんな俺を癒してくれたのはやはり肉だった。

 あー、肉汁たっぷりのハンバーグステーキが食べたい。

 通夜振る舞いでそのようなものが出ることはないだろうから一層恋しくなる。

 しかし感傷に浸っている時間は無かった。

 親戚たちと挨拶を交わし、誰がどこに就職したとか近所の嫁が素っ気ないだとかくだらない世間話に付き合わなければならなかったし、近所の住人や祖父の知人、その他関係者の弔問の対応もしなければならなかった。さらにいとこだかはとこだかもはっきりしない幼児の子守りなんかもさせられて、俺は一分と座っていられなかった。

 そしてあっという間に夜が来た。通夜が終わり、弔問客はおおかた帰っていった。さんざ大騒ぎしていた幼児達は疲れたのか早々と就寝し、俺はやっと一息つけた。

 「宏司君、お疲れさん。大変やったやろ」

 台所でお茶をすすっていると一人の男性が声を掛けてきた。母の実兄、光晴おじさんだった。

 「あ、いえ。おじさん、来てたんですね」

 「うん。さっき着いたところ。嫁さんは体調悪くて来てないけどな。智晴は連れてきたで」

 智晴……。おじさんの息子だ。確か中学生くらいだったか。彼が赤ん坊の時に一目見たことがあるだけなので今の姿がどんなだか全く想像できない。

 「そうなんですか。……今日は泊っていくんですよね?」

 「せやな。離れがあるらしいからそこで寝るわ。じゃ、また明日」

 おじさんはそう言って冷蔵庫から勝手に牛乳パックを取り出し、手近なコップに並々注いだ。そして一気に飲み干したかと思うとコップを軽く洗ってからさっさと台所を後にした。豪快というか粗野というか。

 俺も湯呑に残っていたお茶を飲み干し、綺麗に片付けてから皆が詰めている広間に向かった。玄関から程近い、祖父が安置されている和室だ。

 「あ、あんたどこに行ってたの? またどこかでサボってたんでしょ! 本当に怠け者だね」

 和室に入った途端、祖父の傍に座っていた母は勢いよく立ち上がりそう言った。

 この人は本当に思い込みが激しい。母の中で俺は『サボり魔の怠け者で勉強もできない落ちこぼれ』ということになっている。昔からそうだ。

 「まぁまぁ。いや、今な、誰かが寝ずの番をせなあかんな、って話をしてたところなんや」

 祖父の弟(たぶん)が俺に言う。

 「それで、まぁ年寄りばっかりやし、若もんのほうが……ってことになってるんやけど……」

 和室内にいる全員の視線が俺に注がれる。

 「あー、寝ずの番ってつまりここで一晩中じいちゃんを見ておくってことですよね?」

 「簡単に言うとそうやね。あとはお線香とロウソクを灯し続けてくれたらええから。難しいことじゃないやろ?」

 俺の質問に老齢の女性が答える(彼女がどのような関係の人だか忘れてしまった)。まるで俺が寝ずの番を担うことが決定しているかのような口ぶりだ。

 「もー! こういう時くらい『俺にやらせてください』って言えないの!? すみません、皆さん。宏司がやりますから。皆さんはゆっくり休んでください」

 母は俺の頭を掴んで無理やり下げさせた。そんな母の言動にはらわたが煮えくり返る思いがしたが、ここで暴れるわけにもいかない。

 俺は膝を両手でグッと掴み必死に気持ちを押し殺した。それから母の手を振り払い顔を上げる。すると親族一同は皆ホッとした表情を浮かべ次々に和室から出て行った。

 母はそれを見て満足げに鼻を鳴らし「しっかりやりなさい」とだけ言ってどこかへ行ってしまった。たぶん別の部屋で寝るのだろう。

 和室には俺と祖父、それから空気のように気配を殺していた父が残った。父は一緒に寝ずの番をしてくれるということか。

 と思ったのも束の間。

 「ロウソクを倒すなよ。火事になるからな」

 「は? 寝ずの番って俺だけ?」

 「ん、いや、眠たくなったら交代するから」

 父はそそくさと出て行ってしまった。

 交代する?

 嘘つけ。そんなつもりないくせに。

 両親は昔からこうだ。思い込みの激しい母。日和見主義で自分が一番可愛い父。金を出してくれることはあっても味方になってくれることはなかった。

 何もかも億劫になった俺はどさりとその場に座り込んだ。そして祖父の顔に乗っている白い布を捲った。固い表情。

 祖父との思い出はなかったがその表情を見た瞬間、何か切ない気持ちになった。

 「……あいつら全員死ねばいいのに。な、じいちゃん」

 やるせなさから思わず零れた言葉。

 しかし、横たわる祖父がそれを咎めることはなかった。永遠に。

 あー、肉が食べたい。

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