第四章 戦乱の巻
第31話 故郷へ……
「俺と相棒を巻き込みやがってよお!」
御者のトマ──今は御者ではないが──が苦情を言う。
「許せ。仕方のないことだ」
御主人様は、毅然と言い放つ。
「馬車代は後で
御主人様の目立ちすぎる美貌、特に鮮やかな金髪は敵兵の目を引くだろう。
このままでは逃げ切れない。
覚悟を決めたとき、御主人様が言った。
「ジャック、あの裏門の鍵を壊した花火はもう無いか?」
「……残念ながら、ねえよ」
ジャックは荷物をひっくり返した。
「残っているのは、爆竹だけだ」
「これは、どういうものだ?」
「端の導火線に火を付けると、パンパンとすごい音がする」
彼は爆竹を広げて見せた。
三つある。
「この縄に差し込んであるたくさんの棒みたいな紙包みの中に、火薬が仕込んであるんだ」
「よし、それでなんとかなるだろう」
「御主人様……」
御主人様は、大好きな悪戯をするときの満面の笑みを浮かべた。
「ドカンじゃなくていい。ジャック、爆竹に火を付けろ」
「爆竹ですぜ、音はひどいが、軍隊を引かせるほどの威力は……」
「いいからやってみろ」
「知りませんぜ!」
ジャックが火種を取り出した。
「火を付けたら『敵襲!』と叫べ、御者、おまえもだ」
「こうなったらヤケクソだ。叫んでやらあ!」
「その前に僕を肩車して」
「お安い御用だ」
高い位置から、御主人様は敵軍の動きを見ているらしい。
「検問所を軍が抜けた……ちょっと待て……次の大隊までかなりある……」
ピョンと飛び降りて、
「よし、今だ!」
ジャックが導火線に火を付けて地面に投げ出した。
「みんな、離れろ!」
シュルシュルと火縄の燃える音がしたと思ったら、
パンパンパンパンパン!
「「敵襲!」」
「もう一つ」
パンパンパンパンパンパン!
「「敵襲! 敵襲!」」
「最後!」
パンパンパンパンパンパンパンパン!
「「敵襲! 敵襲! 敵襲!」」
驚いたことに、反応したのは赤い軍服を着た中隊の連中だった。
「すわ敵襲か!」
「伏せろ!」
「逃げろ!」
「逃げるな!」
二百人ほどが、バタバタと一度に銃を放り出して地に伏せた。
そのあわてぶり!
なるほど、爆竹の音を、一斉射撃と勘違いしたのね。
しかも、避難民の中に紛れて爆竹を鳴らしている様子は、軍隊から「見えない」。
「ヒヒーン!」
音に驚いた中隊長の鹿毛が、
略奪なんかした罰よ。
「みんな、今だ! 検問所を突破して故郷に帰るんだ!」
御主人様の声が響く。
うおーと地鳴りのような声が呼応して、避難民たちが検問所に殺到した。
人の流れに逆らいながら、トマが苦情を言う。
「また馬を驚かせやがって!」
「ちょっとお借りするわ」
私は彼の裸馬の背にヒラリとまたがった。
横乗りの鞍が欲しいけれど、今は贅沢言っていられない。
「どうどう……いい子……驚かせちゃったわね、ごめんなさい」
「やめろ、そいつは乗馬用じゃない……」
「でも、乗せてくれてますわ」
私は手を伸ばした。
「御主人様も御一緒にどうぞ」
「やったな、アデリーヌ」
御主人様は私の前にちょこんと座る。
「皆さん、帰りましょう!」
数では兵士より避難民のほうが圧倒的に多い。
「帰るんだ……」
「故郷へ帰るんだ……」
必死の思いは、一度戦意を失った赤い軍服を踏みにじった。投げ出された銃を奪って武装する避難民もいる。
「御者さんも一緒に!」
「もちろんだ。相棒だけ連れて行かれてたまるか!」
検問所の兵士は勢いに押されて逃げ出した。
避難民の群れは一塊になって検問所を抜けた。
「故郷だ!」
「自由だ! 帰ってきたんだ!」
「アデリーヌ、坊や、ありがとう」
荷物を抱えたオリビア姐さんの姿も見える。
これで恩返しできたかな。
高いところからだけれど、会釈を返す。
御主人様は御者のトマに言った。
「後で宮殿に来い、相棒と馬車を返してやる」
振り向いて、
「アデリーヌ、敵軍を避けて草原を走れ!」
「この馬では速くは走れません」
「では、できるだけ速く歩け。父王に敵軍の侵入を伝えなければ……」
ああ、悪戯ばかりしていても、さすがは一国の王子様なんですね。
「お尻の皮がむけても知りませんよ」
「治癒魔法で治してもらおう」
「だから、私は使えないんですって」
馬は
フードは吹き飛んで、麦色の髪がなびく。
マントも前を合わせる紐がちぎれて後ろにたなびく。
大切な御主人様を抱いて、私は裸馬を走らせる。
寒さは感じない。
うん、この速さが出せるなら良い。
持久力も残せるし。
ただ、うーん、お尻が痛い。
御主人様、大丈夫?
乗馬はあまりたしなまれてなかったので心配です。
そんな私の心を見抜いたように、
「僕はたてがみにしっかりつかまっている。心配無い」
風に吹かれて散り散りになりながら聞こえた。
馬は進む。
どんどん進む。
道無き道を、方角を頼りに……。
「お馬さん、頑張って!」
「ブルルッ」
返事してくれたのね。
そのまましばらく走って……。
「あっ……」
私は馬の手綱をゆっくり引いた。
自然に速度が落ちる。
「御主人様、青い軍服の兵士が見えます」
「我が軍か……」
「おそらくは」
御主人様は少し考えてから、
「上級士官なら、僕を知らない者はいないだろう。隊の旗のところへ進め」
「はい」
私は、何百人居るか分からない軍隊を眺めわたした。
あ、あれは守護竜を描いた近衛隊の旗!
「御主人様、近衛隊の方へ参ります」
「うん」
ゆっくりと馬を進めて、青い軍服を着た歩哨に、頼み込む。
「失礼いたします。私はアデリーヌ・ド・フレールサクレと申します。御主人様──レイモン殿下をお連れしました。隊長にお取次ぎを」
「何だって!」
「僕だ。隊長のガストンに、帰ったと伝えてくれ」
歩哨は直立不動の体勢になって、
「おかえりなさいませ! こちらへどうぞ」
竜の旗が近付いてくる。
帰ってきてしまった……私は追われた身なのに。
「殿下!」
飛び出してきた隊長が、御主人様を馬から抱え下ろす。
御主人様──レイモン王子──は、無事近衛隊の隊長の腕に抱かれた。
「殿下よくぞ御無事で……」
体格の良い隊長に抱かれると、御主人様はまるで赤ん坊のようだ。
「離せ……尻が痛い」
「これは失礼いたしました」
隊長はクルリと私の方を向いた。
目が怖い。
「レイモン殿下誘拐の主犯、アデリーヌ・ド・フレールサクレを取り押さえよ!」
え……。
呆然とする私の額を何かが打った。
「逃げろ、アデリーヌ、兵隊なんてわからんちんばかりだ!」
御主人様が私に向かってパチンコを構えている。
え、ええ……ここまでお連れしたのに?
「いいから逃げろ!」
次の小石は馬の尻に命中した。
「ヒヒーン、ヒヒーン!」
馬はもと来た方に走り出した。
待って。
事情を説明させて。
私は馬の首にしがみついた。
涙があふれては、後ろへ飛んでいく。
「御主人様ぁーーー!」
聞こえないことを分かりつつ、呼ばずにはいられなかった。
大好きな御主人様……。
愛しい御主人様……。
あなたと離れることがこんなにつらいなんて……。
「良いのよ……御主人様が無事ならば……」
強がってみる。
ダメ……寂しい。
そんな気持ちを分かってか、馬はトボトボ歩く。
「おーい、アデリーヌ! 戻ってきてくれたんだね」
声に顔をあげると、いつの間にか馬は間道を行っていたようだ。運よくオリビアたちと合流できた。
御者のトマとジャックもいる。
トマに、私は馬を返した。
「ありがとう、助かったわ」
「姉ちゃん、よくこの馬を乗りこなしたな……」
ええ、お尻が痛みますが、御主人様を無事近衛隊に渡して参りましたわ。ありがとう。
「親戚の家が遠くてね、神殿に厄介になろうと思って」
ええ、それが良いわ。
神殿に行けば炊き出しくらいやってるでしょう。
ああ、神様、どうかみんなをお守りください。
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