第28話 湖上の宿

 御主人様と私の部屋は、湖の中にある別邸に移された。

 外に出るには湖岸とつながった一本道しかない。


 これは、どういう意味でしょう?

 まさか、侯爵に閉じ込められた?


 別邸そのものは三つしか部屋のない質素な作りで、土壁に漆喰しっくい、屋根はわらだ。


 すべての部屋に暖炉があって、本格的に冷え込む季節でも暖かく過ごせる。燃やすのはまきらしい。暖炉の横に積んである。

 寒い中、別邸まで重い石炭を運ぶメイドの姿を見なくて良いので、私はホッとした。


 御主人様は考え込んでいる。


「どうなさいました?」

「……逃げ道が無い」


 言われてハッと思い出した。

 料理長が「身を守るためには逃げ道を確保すること」と言っていたのを。


「この冷え込みで湖面が凍っていませんか?」

「凍ってくれれば良いんだけど」


 よく見れば、一本道が湖岸に接する所に二人の兵士が立っている。

 私たちを守るためなのか、私たちが自由に外出できないようにするためなのか……。


「御主人様、疑えばきりがありませんわ」


 私は努めて明るい声を出した。


「お勉強の方はどういたしましょう?」

「……英雄伝を聞かせてくれないか?」

「はい。では、建国の勇者ルベールと竜のお話を」


 なるべく楽しい話にしなきゃ。


「ルベールは悪しき竜と三度戦いました。そして、竜はなぜ小さき者──人間──が竜に戦いを挑み続けるのかと問いました」

「竜はどれくらい大きかったの?」

「御主人様がお住まいだった宮殿くらいでしょうか……」

「それは大きいな。それで?」


 私は咳ばらいして話を続けた。


「『おまえが我が民に害をなすたびに、私はおまえに戦いを挑む』とルベールは答えました。竜は川の流れを変えたり、山に入った者を襲ったり、畑や家畜を踏みつけたりしていたのです」


 暖炉の薪がパチパチいっていて気持ちいい。

 御主人様は真剣にお話を聞いている。


「『おまえに悪いことはしていないはずだ』と竜は納得できない様子で訊きました」

「うん、竜はルベールには悪いことをしていない」

「でも、ルベールは竜が弱い民に悪事をはたらくのが許せなかったのです。民を守る者として、彼は竜に挑み続けました。でも竜には仲間も大切な人もいないのでルベールの言葉の意味が分かりませんでした」

「竜は一人ぼっちなのか……」

「そのようですね」


 御主人様は、一人ぼっちの竜の方が心配なのね。

 優しい方ですこと。


「ルベールは剣を振るって竜を倒しましたが、竜はこれからはルベールの国を守ると誓って赦されました。そして、これ以上悪いことをしないようにと自分で彫像に姿を変えて神殿に入りました」

「あの彫像だ!」


 そうですね。

 御主人様が背中に乗って遊んでいらしたあの彫像ですよ。


「悪いことをしないために彫像になってしまうのはつらいな」

「御主人様は悪戯大好きの悪い子ですので、そのうち彫像に……」

「そんなことはない!」


 あら、ずいぶんキッパリ否定なさいますこと。

 話題を変えましょう。


「私の先祖も魔法使いとして勇者ルベールに力をお貸ししておりますわ。今も聖女クレアが神に仕えるかたわら、竜の彫像に異変が無いか見守っております」


 そのはずよね。

 クレア、私の妹、聖女の力を授かった以上、ちゃんと務めを果たしているわよね?


 雑談になったタイミングを見計らったかのように、こちらへ移ってから何度目かのお食事が運ばれて来た。お昼御飯だ。


「……ああ、また冷たいのね……」


 クロッシュで覆ってあってもお料理は冷め切っている。お腹に入れると寒くて暖炉の前に駆けつけたくなるのだ。


「料理を暖炉に入れてみようか?」

「御主人様、悪戯はお止めください」

「申し訳ございません……熱々のものを入れてくるのですが、どうしても厨房と距離がございますので……」


 その瞬間、私はひらめいた。


「今度からお食事のときには、私たちがお屋敷にうかがいますわ。都度つど運んでいただくのも申し訳ありませんし」


 どう? これなら御主人様と私は堂々と、この湖上の一軒家を出られるわ。


「……それは、主人に聞いてみないと……」

「代わりに防寒具を用意していただけませんでしょうか」


 メイドは困り果てた顔をしている。


「上の方に伝えてくださいな」


 返事は夕食のときに来た。


「主人が、仰せのままにしろと申しました。防寒具は少しお待ちください」

「ありがとう。それまでは冷たいお食事で我慢するわ」


 数日後、暖かい中綿入りのマントとコートが届いた。


「ちょっと大きいな」

「袖口は折り返してくださいませ、冷気が入るのを防げます」

「そうか。アデリーヌはやっぱり賢い」


 その日、私たちは侯爵邸の客間で久しぶりに暖かい食事にありついた。温かい澄んだコンソメの美味しいこと!


 行き帰りにメイドがつくことになったが、それは仕方がない。庭園の小径は入り組んでいて案内が居なければ迷子になってしまう。


「御主人様、暖かいものを口にできてよろしゅうございましたね」

「うん。寒い中を歩くのも運動になって良い」


 そうね、体がなまってしまうといざというとき役に立ちませんから。

 今日はこっちの道を通ってみましょうか。


 その帰り道、小雪の舞う中で大きな筒を小径沿いにすえつけている男性がいた。

 火薬の臭いが漂っている。


 御主人様が静かにそばに寄って、


「わっ!」


 と脅かした。


「なにしやがる! ドカンと言ったらおまえたちもあの世行きだぞ!」

「ジャック! 花火職人のジャックよね」


 彼は振り上げていたげんこつを降ろした。


「こりゃたまげた。えーと、アデリーヌさんじゃないか!」

「僕もいるぞ」

「ふへえ! やっぱり身分のあるお方だったんだなあ。おみそれしました」

「実は、セントレ・エ・シエル王国の王子なのである」


 花火職人は平伏してしまって返事もできない。


「どうぞ、顔を上げて。花火を見ることができて嬉しいわ」

「……おう、ビックリさせてやらあ」


 冬至祭まであと二日。


 彼は嬉しそうに太い筒をペタペタ触った。

 手がかじかんでいかにも寒そう。


「……その、ちょっとお話、良いかしら? 私たち、別邸にいるの。体を温めてちょうだい」

「僕が正式に招く」


 私は付き添いのメイドに宣言した。


「実は花火職人のジャックさんとは顔見知りなの。王子殿下がお茶に招かせていただくわ」


 このタイミング、王子という権威、あなたの御主人様におうかがいを立てる猶予は与えないわ。


「はい……ただ、短時間で切り上げてください」

「では、簡単でいいのでお茶の用意をしてきてちょうだい。お湯は暖炉で沸かし直すわ」

「かしこまりました」


 メイドは急いで小径を駆けていく。邪魔者がいなくなった。


「ねえ、元気にお仕事してらっしゃる?」


 ジャックは首を振った。

 寒風吹きすさぶ中だが、安心して話せるのはここしかない。


「給金をもらったら、すぐに母国に帰るつもりだ」

「どうしたの?」

「奴ら俺に火薬のことを聞いてきやがった」


 思わず御主人様と目を見交わす。


「火薬は軍隊でも使う……どんな火薬を使うかを探るっていうのは、戦争の準備と思われても仕方がない」

「僕の父上は戦争なんか望んでないぞ」


 ジャックは、他の誰もいないのに声をひそめた。


「それが『猛獣』侯爵の怖いところだ」

「私たちの王家は御病気の侯爵夫人を大切に看護しましたのに!」

「……それに、今あんたらのことだと分かったが、客が来て使用人たちは大忙し。不平不満でいっぱいだ」


 うう、やっぱり負担をかけてしまっていたのね。

 三日で作ったドレスや靴。

 豪勢なお食事。

 別邸での特別扱い。


「侯爵夫人の病気を治したのも不満さ。浪費家で有名らしい。今回の冬至祭も快癒かいゆ祝いで派手にするって……俺まで恨まれている」


 そんな……。

 神様、これからどうしましょう。





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