第18話 恥は天下のさらしもの
やはり、困ったことになった。
私はメイド姿に戻ったけれど、ことは収まりそうにない。
私が、舞踏会の主要人物二人──御主人様とマルク男爵──の二人を振って会を中座したことが、春先、冷たい雪解け水が起こす大洪水のように広まっている。
なかでも、御主人様がダンスの相手に公爵令嬢シャルロットではなく私を選ばれたことが、公爵家の逆鱗に触れたらしい。
ラヴァリエ公爵は、国王に次ぐ権力をお持ちで、敵にするととても怖いお方。
味方になってくれたのは、宮中のお針子メイドたちだけだった。
「アデリーヌって伯爵令嬢なんでしょ?」
「私たちでもつらいのに、ドレスの裾を全部縫い直すなんて」
「やれって私たちに言えば済む立場なのにね」
「私たちが忙しいからって、自分でやるとはなんて優しいんでしょう」
ありがとう。
さんざんな結果に終わったけれど、舞踏会には出られたわ。
ドレスと首飾りを返すために、王妃様の部屋の前で取り次ぎを待っていると、中からラヴァリエ公爵の声が聞こえてきた。
怒っているのだろう、声が大きい。
「我が愛娘シャルロットを泣かすとはけしからん! 王子と言えどもあのような場では礼儀作法にのっとった振る舞いをしていただきたい!」
「レイモンがお嬢様をダンスの相手に選ばなかったのは申し訳なく思います」
王妃様の冷静な声。
「母親として恥じ入らないのか! レイモン殿下が陰でなんと呼ばれているか、知らぬわけではないでしょう!」
「陰口など……相手にいたしません」
キッパリおっしゃる。
「悪戯王子、王子失格……それどころか、あのつんつるてんの家庭教師などがあの場にいるとは!」
つんつるてん……。
よくも一口で私の恥を表現してくださいましたわね。
とはいえ、家庭教師の私が大舞踏会に出たこと自体、気に入らないと苦情を言っていらっしゃる御様子。
伯爵令嬢の肩書はどこに行ってしまったのでしょう?
「アデリーヌは、推薦する人がいたから入れたまでのこと。だいたい、今回の大舞踏会は『来るものは拒まず』の姿勢だったではありませんか」
腹が立つのはマルク男爵で、彼が実質私を招待したのにぃーとエプロンの端を噛んで、キーッとなりそうだ。
「最終的に裁可したのは国王です。文句があるなら夫におっしゃい」
王妃様、さすがの貫禄でございます。
「ふん、国王陛下か。知っているぞ、国王陛下はフヌケで、王妃のあなたが、王国を取り仕切っていることは!」
「そんなことは断じてありません」
「今回の侯爵夫妻の御来訪も、ヴェルセラ王国との友誼を結びたいあなたの一存で決まったことも!」
ドキドキ……外交問題に発展するとは意外だわ。
思わず聞き入っていると、ぐいとメイド服の背中のリボンを引っ張られた。
「何やってるの、アデリーヌ!」
「クララ……」
「ここは王妃様の許可無しでメイドが立ち入ってはいけないところよ!」
押さえた声で警告する。
「ごめんなさい、貸して頂いた衣類を返しに……」
「今じゃなくていいでしょ!」
いえ、ドレスは良いとして、ダイヤの首飾りはすぐに返さないと。
鍵のついていない私の小部屋に放置するのは、いくらなんでも危険ですわ!
「今は大切なお話中、立ち聞きはダメ!」
クララはグイグイ私を押し出した。
聞いちゃった……どうしよう……。
「絶対に誰にもしゃべっちゃダメ。いい? アデリーヌ」
「分かったわ」
「ただでさえあなたは、殿下とマルク男爵のお誘いを断って、宮廷中の女性たちから恨みを買っているんだから! メイド長のジェルレーヌまでカンカンよ」
ううう、親友のクララに言われると心に来るものがあるわ。
「ごめんなさい……」
「分かったらお部屋に戻って」
声の調子を変えて、
「後で相談に乗るからね」
今回の御主人様の悪戯、ただの悪戯ではすまなくなりそう。
役目の終わったドレスその他一式を抱えて自分の小部屋に帰ると、待っている人がいた。
「アデリーヌ、どこへ行っていたんだ?」
御主人様!
「アデリーヌ、舞踏会は終わったんだ。授業を始めてくれ」
それからもう一人。
「私もお勉強を教えてほしいですわ」
と公爵令嬢シャルロット。
私を恨んでいるとばかり思っていたのに……。
「ええ、ええ、喜んで。ちょっと待ってくださいね」
私は、ドレスをしまおうと、急いで小部屋のドアを開けた。
かーん!
何かが頭に降ってきた。
カラカラ、カラカラ……。
お風呂用の手桶じゃありませんか!
ドアの上にはさんであったのね。
ああ、ビックリした。
はじけるように笑っているのは御主人様とシャルロット嬢。
「これでおあいこにして差し上げますわ」
勝ち誇ったようなシャルロット嬢の言葉に、なぜか私は安堵した。
公爵令嬢の面目を潰しておいて、これくらいで済むならお安いものだわ。
「御主人様! シャルロット様に悪戯を教えてはいけません!」
それはそれ、これはこれ。
「アデリーヌも怒りますよ」
「おお怖い。でも母上ほど怖くはございませんわ」
シャルロット嬢はコロコロ笑う。
「アデリーヌ・ド・フレールサクレ、あなたはこれから私の好敵手よ。認めてあげる。正々堂々と殿下の御心を得る競争をするの」
これで五歳……嘘よね。
「……ありがたき幸せに存じます」
「アデリーヌ、頑張れよ」
御主人様のやる気のない激励を受けて、私は改めて小部屋に入り、ドレスを書き物机の棚に置き、教科書を手に取った。
授業は順調に進んだ。
幾何の初歩と詩の暗記。
今日はこれくらいで良いだろう。
御主人様とシャルロット嬢は頭をくっつけるようにして仲良く勉強していらっしゃった。
御本人同士が仲直りされているんですもの、私に何か懲戒があるとしても、軽く済むでしょう。
気持ちが晴れて小部屋に戻ろうとすると、すれ違いざまに、
「アデリーヌだな」
「え、はい……」
とたんに、右腕に痛みが走った。
袖がパックリ切れて、肌に薄い傷が走り、ポツポツと血がにじんでいる。
宮中で刃物を振り回すとは……。
あまりのことに私は腰を抜かした。
「……何を!」
ビックリしている間に、相手の姿は消えた。
見たことのない、細身で前かがみな男……。
「手当て……しなきゃ」
私は半地下の厨房に行こうとした。
料理長は元軍人、刃物の傷には詳しいはずだ。
厨房に続く階段をフラフラ降りる私は、料理長の言葉で我に返った。
「どうしたんだ、青い顔をして」
「誰かが……」
右腕を見せる。
切り裂かれたブラウスに、少量ながら血がにじんでいる。
「きれいな水と布!」
料理長が怒鳴った。
すぐに運ばれて来る。
彼はブツブツ言いながら傷を洗い、しっかりと布で巻いた。
「アデリーヌ、これは警告だ。これほど切れる刃物と腕を持ちながら軽症で済ますとは、大したものだ」
「そんな……」
「大舞踏会のことは聞いたよ。殿下が公爵令嬢を振って、おまえさんと踊ろうとしたって」
私はうなだれた。
「あれも、悪戯で済むと思ったのに……」
「相手が悪い。公爵様だ」
横合いから、下働きの女性が、
「しかも、招待してくれたマルク男爵まで振ったんだろう?」
カッと血が上る。
私の醜態は知れ渡っているのね。
「相手の素性が分からないのは不気味だが、用心することだ」
それから、料理長は基本的な護身術を教えてくれた。
「不審人物を見たら、まずは逃げる。これが第一」
──はい。
「行動はできれば二人以上で。行動には自信を持って、あわてない。頭の中に逃げ道を想定しておくこと……殿下の悪戯に付き合って宮廷中を走り回ったおまえさんなら、簡単だろう」
そんなところかな、と料理長は炉の前に戻った。
当たり前すぎて拍子抜けしそうだけれど、戦場を生き抜いた勇士の言葉だ。経験に裏打ちされたものなのだろう。
シャルロット嬢は別として、宮廷中の女性の恨みを買って、これから私はどうなるんでしょう。
神様、明日が良き日になりますように。
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