第20話 スパイ

 夜空を見上げるミナモは、深い溜息を漏らす。

 ‥私のせいで、倭国の民が、巨人の供物にされていく。

 己の無力を痛感して、流した涙は、枯れる事無く、倭国の大地を腐らせていく。


 だが、言い訳をさせて欲しい。

 

 バジール法国と巨人から、倭国を守る為、私は、隣国の巨人族と、同盟を結んだのだが、その内容に問題があったのだ。


 それは同盟の条件に、《倭国の民を巨人の生贄に捧げよ》――とあったからだ。

 

 断れば、同盟は破棄され、巨人族が攻めてくる。更に、漁夫の利をねらって、バジール法国も動くだろう。

 そうなれば、倭国は、バジール法国と仲の悪い、ハルバ亜国と手を組んで、対抗しなければいけなくる。そうなればいずれ、世界大戦へと発展して、更に多くの民が死ぬ事になるだろう。

 それだけは避けなければいけない。それ故、私は断腸の思いで、条件を飲んだ。

 

 なのに――最近、巨人族から生贄の数を更に増やす様に要求された。

 

 もう限界だ。いずれ、倭国中に、私がしてきた事が知れ渡る。

 

 その時、太陽の巫女は地に落ちる。

 

「先祖代々続いた、太陽の巫女は私の代で終わるでしょう。私は死んだら地獄行ですね。そう思いませんか、シロウ?」


 後ろに控えているシロウは、顎を撫でる。

 最近、ミナモ様は虚ろな目で、この話してくる。

 だから、何度だって、同じ答えを言う事にしている。

 

「呪術師に言わせれば、地獄とは冥界の事だそうです」

  

「そう‥冥界は寒いのかしら?どう思います?」


「さあ?私にはさっぱり。ですが、何処までも御供しますよ」


「まあ、素敵なプロポーズ。フフ」


「アハハ」


「‥シロウ、お願いです。こっちに来て下さい」


 シロウは、深々と頭を下げてから、ミナモの細い腰に手を回した。ミナモは顔を真っ青にして震えていた。「寒いのですか?」シロウが、優しく声をかけると、ミナモは、一呼吸置いて「はい」と答えた。「では温めて差し上げます」と、シロウは返した。ミナモの頬は、少しだけ、赤みが出てきて「お願いします」と、シロウの目を見て答えた。シロウは、勿体付けるように、ゆっくりと顔を近づいて、長い口付けを交わした。シロウの唇から、暖かい体温が、伝わってくる。ほんの少しだけ‥恐怖が和らいだ。


 湿った瞳で、ミナモは、シロウを見つめる。

 シロウは笑って返すが、実は、ミナモと唇を重ねる毎に、重くて、苦しくなっていく。何故なら、自分ではミナモ様を救えないからだ。


 倭国を救う為に、倭国の民を犠牲にするという矛盾に、ミナモ様の心は、少しずつ、ゆっくりと、そして、確実に、壊れて始めている。

 倭国を背負うにはミナモ様は、あまりにも繊細過ぎた。この小さな肩には太陽の巫女の肩書きは重すぎる。

 近い将来、己が犯した罪に耐えきれず、自害するのではないだろうか?シロウは、それが何よりも、恐ろしかった。   

 

「ミナモ様、一緒にどこか遠くへ逃げましょう」


「‥いけません。私の様な罪人と一緒にいては、シロウにもいずれ迷惑をかけ――」


 それ以上の言葉は不要と、シロウはミナモの唇を奪って黙らせた。

 それは、とても情熱的で、熱い口付けだった。シロウの覚悟が、舌から、唾液から、直に伝わってきた。


「――私は弱い女です。口づけ一つで、心が動いてしまう。本当に‥本当に‥私を攫って下さるのですか?」


「そこが地獄だとしても、何処までも御供致します。どの道、ここにいては、貴方は、民衆に殺されるでしょう。なら、今、行きましょう」


「ここではない、どこか‥?」


 倭国から離れる事が許されなかった私が、外の世界へ?それはどこだろう?いえ、シロウと二人なら何処でもいい。


 間違っているのは解ってる。

 でも限界だった。

 ここにいては、私、壊れてしまう。

 

 逃げる事でしか解決出来ない事もある。それが最悪な選択だったとしても後悔はしない。

 

 ミナモはシロウの手を取った。

 

  



 剣術大会当日の朝、あまりの寒さに、アリアは、目を覚ました。


「え?何?さ、寒いんだけど?」


 アリアは、ガクガクと体を震わせる。息を吐けば、白くなる。

 歯をガチガチならしながら、部屋を見渡せば、霜が化粧されて、真っ白になっていた。天井から氷柱も垂れている。


「ドドド‥どういう事?」

 

 いや、ちょっと混乱したが、原因ははっきりしている。

 それは、ナツメが、相部屋で寝ているからだ。

 

 昨夜の事。アレイスは、ナツメを嫌っているので、「こんな奴と一緒に寝てられるか!」と、ヨウ達の部屋へと、駆けこんでしまった。

 隣からは、ヨウとヴァンの驚く声が響いてきたから、ちょっと面白かった。

 まあ、男二人の部屋に、深夜、突然、アレイスの様な美人が入ってきたら、それは驚く。あっちはあっちで、大変だったようだ。


 そろそろ、アレイスは、自覚した方がいいと思う。

 本人はトカゲの肌を自虐しているが、かなりの美人さんだ。

 本人は女性的な魅力が無いと思っているが、周囲は、女として見ているんだよって。


 けど、今回はアレイスが正解だったみたい。私も隣に行けばよかった。このままでは、凍死してしまう。

 どうやら、ナツメは寝ている最中、力のコントロールが出来ないらしく、無意識に周囲を凍らせてしまうのだ。これは本当に困った。今後の部屋割りを話し合う必要が出て来た。


 まあ、それは追々。とにかく、寒い‥。

 アリアは鼻水をすすりながら、ヨウ達が眠っている隣の部屋へ移動した。

 ドアを叩いたら、直ぐにドアが開いた。ドアを開けたのはヨウだった。ヨウは大きな欠伸をして、凄く眠そうだった。


「どうしたの?凄く、眠そうね。寝てないの?」


「いや‥アレイスが‥その‥」と、ヨウは部屋の方へ目線を泳がせた。

 

 アリアもつられて、目線を部屋へ泳がせると、アレイスがベットの上で、裸で寝ていた。しかも、アレイスは寝相が悪い為、布団ははだけて、胸部が顕わになっていた。ヴァンは?と、思ったら、ヴァンは床でダンゴ虫みたいに丸くなって寝ていた。寝ていたといっても、横になっているだけで、目は血走って、酷い拷問を受けてる表情だった。

 

 アリアは、絶叫して、直ぐに、アレイスを叩き起こして説教したが、本人は「私は全裸にならないと眠れない」と開き直る始末。ああ、そうだった。忘れてた。昨夜、何が何でもアレイスを止めるべきだったと、アリアは反省した。

  

そんな、一悶着があった朝から、今日一日が始まった。が、正直、今日は、皆に構ってる余裕はない。何故なら、今日は、楽しみにしてた剣術大会。「絶対、優勝してやる!」と、アリアは立ち上がる。‥けど、なにやら、景色が歪む。咳も出る。ちょっと、熱っぽい。――あれ?もしかして、私、風邪ひいた?アリアはユラユラと体を揺らしながら倒れてしまった。


「アリア?おい、しっかりしろ!」


 ヨウは、急いで、アリアをベットに寝かせた。駄目もとで、治癒魔法を詠唱したが、やはり、風邪には効かなかった。治癒魔法は、あくまで、怪我の回復に効果があるのであって、風邪を治す様には出来ていない。


 ――しかし、困ったぞ。


 魔人化したアリアを病院に連れていけば、間違いなく場が混乱する。


 なので、代わりに、ヴァンとヨウが一緒に、薬を買いに行く事になった。

 その間、アレイスとナツメが、アリアの面倒を見てくれる事になったのだが心配だ。二人仲良く、看病出来るのだろうか?ああ‥胃がキリキリする。なので、取りあえず、ナツメも誘ってみた。


「あ‥――っと、ナツメも一緒に来るか?」


「遠慮しとくわ。こうなったのは、私の責任よ。アリアは、私が診てるからいってらっしゃい」


「フン!コイツは驚きだな!《責任》なんて、立派な言葉、知ってたんだな!」


「ええ。責任を、全うできなければ、冥界の番人は、務まらないわ」


 ナツメは、真剣な目でアレイスを見た。

 思えば、自らの目を、簡単に抉る程の責任感に、アレイスは驚かさる。が、それを認める訳にはいかず、ナツメから顔を背けて、舌打ちするのが精一杯だった。

 


 

 ――倭国から離れたとある場所に、小さくて、ボロボロの無人小屋がある。

 

 そこは、ツクヨミ・シズルが、よく密談に使う場所だった。

 今、この中で、それがおこなわれているのだが、中から聞こえてくるのはテングの怒号だった。


「冥層印を解除する?それはどいうい事で?答えていただきやしょう。シズル殿!」


「巫女は現在、護衛のシロウと一緒に行方不明となった。理想は死んでもらうのが一番だったのだが、まあいい。予定とは違うが、私の目的は果たされたので、冥層印を解除する!貴様等は用済みだ!まあ、元々、役に立って無かったがな‥」


「おいおい。随分勝手だな!オメエの目的は果たされても、こっちの依頼が終わってねえぞ!これは、明確な《契約違反》だ。クソ野郎!違反者は善悪関係無く、冥界落ちだ!」


 オロチの一人、海賊のジャッチは、義手を外してナイフを突き出す。


「いや、契約は果たされている!」


「――?どういうことじゃ、答えよ!」


 オロチの一人、胴丸を着る女神主ツルが声を荒げ、刀に手をかけた。


「まだわからないのか?冥界に穴を開けたのは私だからだ!」


 その瞬間、契約が完了した。オロチ達の背中に刻まれた冥層印が、次々と消えていく。


「契約内容は《冥界に穴を開けた犯人を捜し出す為の協力をする》だったな。ハハハ。どうだ。協力して探し出してやったぞ。今度からは、探し出して《捕まえる》と、一文を加えるんだな!」


「なぜ、貴様が?」とテングが言うと、ツクヨミ・シズルは「死の女神メリア様に冥福を」と言って額にバツを切った。オロチ達は冥界へと強制送還されていく。最後にテングだけが残ったが、それも時間の問題だった。


「ミナモを殺す為に、冥界から貴様等を召喚したが、必要なかったようだ。まさか、最大の障壁になるはずだった、シロウが、勝手にいなくなるとはな‥いやはや、全く、倭国を捨ててまで、一人の男に熱を上げるなど、私には到底理解出来ん。巫女の座をなんと心得ているのか?フフ‥まさに恋とは盲目の病よな。だが、なんにせよ。これで、太陽の巫女はいなくなった。これからは、《死の女神》が倭国を闇でのだ。――メリア様に倭国民の命を‥死の豊穣を奉納奉る!」


 シズルは、地に膝を付いて、再度、額にバツを切った。


「狂人め!」そう言い残し、テングも冥界へと送還された。


 ――ナツメ‥お前が最後の頼みの綱だ!任せやした!


「狂人?違うな。これは神への愛。即ち、無償の信仰だよ」

 

 これでナツメを残す、全てのオロチは冥界へと送還されてしまった。

 シズルは立ち上がり、顎に指を添えると考えこんだ。

 

「フン、冥界第五層の‥オロチの召喚は、私以外出来ないが、念の為、再召喚出来ない様にしておくか。さて、巨人族をバジール法国に引き入れる為、生贄は、引き続き送るとして‥問題は呪術の解明だな。どうしても、冥界第六層に、穴が開けられん。冥界第六層の神は《オリベル》のはず?神名、神語、歴史、理論を理解しても開かないのは何故だ?これでは六層に囚われたメリア様をお助けする事が出来ないではないか。おのれ!このままでは、グラス様がお怒りになるぞ。急がねば!」


 

 

 ―――ヨウとヴァンはクスリを買って帰ってきたら、ナツメは部屋の外で立っていた。大方、アリアが風邪を引いたのは、お前のせいだと、アレイスに叱責されたのだろう。

 まあ、本当の事だから仕方がない。そう思って、横切ろうとしたら、ナツメは険しい顔で俯いていた。

 え?そんなに?これは流石にやりすぎだろ?ヨウは心配になってナツメに声をかけた。


「大丈夫か?アレイスのあたりがきつかったら、俺から言っておくぞ?」


「‥いえ、違うの。たった今、私以外のオロチが、冥界に送還されたのよ」

 

「それって‥」


「ええ、冥界に穴を開けた犯人が見つかったって事よ。でも、私は、二重契約してるから冥界に送還されなかった。‥一体誰が犯人だったの?それに何故、私に、その一報が無いの?おかしいわ。何か変よ?ちょっと召喚主に確認しに行くわ!貴方達はここで待っててくれる?」


「あ‥ああ。わかった。あ、いや、お、俺も行く。もう、無関係じゃないんだから!」


 ナツメは考える。もしかしたら、一人で対処出来ない事態が発生してるのかもしれない。ここは、あらゆる状況を考えて、柔軟に対応出来る魔法使いを連れて行く方が得策かもしれない。と、ナツメの凍った視線がヨウに注がれた。


「‥‥そうね。お願いしようかしら」


「ああ」


 アレイスに見張られて、ふて寝しているアリアに薬を渡すと、何かを察知したヴァンが、真剣な顔をして、ヨウを問い詰める。


「どうしたの?‥何かあったの?」


「いや、どうやら、ナツメ以外のオロチが冥界に送還されたらしい。その事を確認する為、ナツメと一緒にちょっと召喚主に会って来る」


「そう。‥じゃあ待ってるよ」ヴァンは気楽に返事した。


「ああ。だが、気を付けろ。なにがあるか解らんからな」対照的に、アレイスは、真剣な顔でヨウに、注意を促した。


「うん。‥じゃ、行って来る。アリアは体を温めて寝てろよ!それと‥くれぐれも、部屋から抜け出そうとするなよ!いいな!ぜぇぇぇ―――――‥絶対に大会に出ようとするなよ!」


 何で解るの?アリアは、また、布団にくるまって、寝てしまった。

 

 ナツメとヨウは、こうして、宿屋を後にしてツクヨミ・シズルの元へと急いだ。

 今日も、長い一日になりそうだ。と、溜息も漏れるヨウだった。

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