すべてが大きい問題児の女の子たちは、性癖が終わってるせいで僕の言うことを絶対に聞いてくれない

青月 巓(あおつき てん)

理砂りすなさん、出番です」


 袖で放送部の部員が僕の背中を押す。


「姉さん……」


 緊張がまだ抜けない僕は、しかし震える手に持った姉の、憧れの姉の写真を胸ポケットにしまって舞台の中央に進んだ。現生徒会長にして、バレー部のキャプテン。僕と違って才能があって、規則を守っている天才の写真だ。

 僕のお守りで、そして僕の目標。姉は、最初から完璧だったわけじゃない。なら、僕もこうなれるはずだ。

 そう、僕は心の中で呟いた。

 原稿が置かれている台は身長百四十五センチの僕には少し高く、放送部が気を利かせてそこに台を置いてくれていた。僕がそれに登ると、体育館の中から笑い声が聞こえてくる。

 それよりも屈辱な「かわいい」という感想は、聞かなかったことにしよう。

 マイクを前にして、僕は咳払いを一つすると、ゆっくりと口を開いた。


「お、おはようございます。風紀委員長に指名されました、一年二組の理砂あかねです」


 いくつか重ねられた箱の上に立ってなお、何人かの生徒と比べると僕の背丈の方が低いことは誰の目にも明らかだ。

 その目が、嘲笑のように見える。声が震える。抑えなければ。

 僕はネクタイを整えるフリをしながら、首を撫でた。


「アザレア高等学園は今年から共学となり、新たな一歩を踏み出す事になりました。その変革として、男子生徒である私がこのような大役に抜擢されたことを誇らしく思っております」


 よし、台本も頭にちゃんと入っている。僕はそのまま、すらすらと決められた文言を語り続けた。


「様々な能力に秀でている生徒が居る中で、規律を守る、それだけのことを守ってもらいたくで、僕は風紀委員になりました。今年度は、よろしくお願いいたします」


・・・


「で、最初の仕事……というか、最初にして最後の大きな仕事だな。風紀委員長、この五人をなんとかしてくれ」


 僕の目の前には、五枚の生徒情報が書かれた紙が並べられていた。そこには一人ひとりの名前と学年、顔写真が載っている。


「先生、BWHの記載が消えてません」

「えっ!? あ、マジだ! ごめんこっち! あと今のは見なかったことにして」


 全員でっけ! とは思ったが、こういうのは言わない方が良い。それに、先生だって失敗はある。

 というか、全員二年生なのか。先輩だ。

 そして、それらの情報の下には、問題行動と書かれた欄と、そこにびっしりと書かれた文言。正直、圧迫感がすごい。


 霧島きりしま 祢音ねおん、身長百九十二センチ。類稀なる管楽器の才能から、すでに東京の音大に通うことがほぼ決まっているらしい。ただし、授業をサボって屋上でフルートを演奏し続けていることから単位がギリギリだそうだ。


 桃園ももぞの のどか、身長百八十七センチ。すでにレシピ本を何冊も出版している料理研究家らしい。みんなのママ、なんて呼ばれてるとか。だが、学園内にお菓子や弁当以外の手料理を持ち込むことは特定の日以外は禁止されているにもかかわらず、何度も持ち込んでいるようだ。


 るい 蓮里れんり、身長二百五センチ。マラソンでこの前の五輪に出ている。が、部活に所属せず、他の部活を邪魔するようにグラウンドを我が物顔で走り続けることが問題だそうだ。


 瀬名せな 紅葉もみじ、身長百八十二センチ。ホワイトハッカー……らしい。この人はシンプルに部室棟の部屋を一つ占拠しているのか。普通にアウトだな。


 相葉あいば 結菜ゆな、身長百九十五センチ。この人だけ一年留年して、今十八歳か。学園祭で成人向け同人誌を販売していることや、それを授業中でもいつでも描いていることが問題らしい。


仲宮なかみや先生、こういうのって、流石にそこまできたら先生がやるべきことなんじゃないですか」


 五枚の紙を先生に返そうとするが、それは突き返される。

 華々しい……とは言い難いが、朝礼のこともあり廊下ですれ違う女生徒からは「可愛い風紀委員長」と呼びかけられるようになるまでの認知を得た僕は、その日の放課後に職員室に訪れていた。

 目の前に座っている仲宮百合ゆり先生。黒のスーツが似合う、キリッとしたかっこいい先生だ。


「私達でなんとかできるならすでにそうしている。が……」


 仲宮先生は眉間を抑えると、ため息をつきながら僕を近くまで引き寄せた。


「当の本人たちの才能がありすぎるんだよ。あんな稀有な才能、私達が何かして潰してしまったら、世間からのバッシングは免れん。が、形式上はある程度なんとかしておかないといかんだろう?」

「だから、風紀委員長に新入生の一年を抜擢して、問題行動に対処している風だけでも見せたいと」

「大人の世界がよくわかってるじゃないか理砂。とは言っても推薦したのは私だけじゃない。生徒会長サマも推薦してくださったそうだぞ」


 僕は、少しだけ言葉をつまらせてしまった。


「ん、地雷だったか。すまんな、まあそういうことだ。まあ適当にやってくれ。内申点は出る」


 そう言うと、僕に生徒情報が印刷された紙を押し付けて仲宮先生はパソコンに向き直った。


「でも先生」

「なんだ」

「本当に、先輩方の問題行動を直してしまっても良いんですよね?」

「できるならやってもらうに越したことはない……が、あんまり無理はするなよ。才能に勝る規律なんて、案外ないもんだからな」

「そんなことはありませんよ」

「お前の視点ではそうだろうさ」


 なんだか、少しだけ腹の底から湧き上がる怒りがあった。それは自分がスケープゴートにされたことでも、学園側から舐められているということでもない。

 ただ、才能のある人がルールを守っていないという事実に、だ。中学の頃から成長が止まってしまったこの生物としての才能がない僕にとって、それは絶対に許せないことだった。


・・・


「という訳で、出席くらいはしませんか?」

「そんな細身でマイクを通しても声が通らなかった人に言われたくないわ。私は音楽とともに自由になると決めたの。あなたもお腹からしっかり声を出せるように、BMIを三十八以上にしてからまたいらっしゃい」


 僕は、フルートの音色が響く屋上をあとにした。


「という訳で、もう少しお菓子などの持ち込みは控えていただけると……」

「あらあら、そんな小さなお手々で包丁持つの危ないでしょう? 風紀委員長さん、ごめんねぇ。問題行動を直そうって思ってるのはわかるんだけど、ほら、先生もほとんど許してくれてるし、ね? 今回だけは私のこの、美味しいクッキーに免じて許して? もっと筋肉をつけて、大きな手になったらまたおいで」


 僕は、甘い香りと女生徒の「かわいい〜!」という歓声を背に二年六組をあとにした。


「というわけで、授業くらいは出てもらわないと、単位が……」

「ンなストロークでしか走れねぇ雑魚の言う事なんか聞きたくないね。大体、トレーニングを怠れば才能は枯れていく。勉強よりも、私はしなきゃなんねぇことがあるんだよ。私の速度にもついてこれてないみたいだし、もっと背丈伸ばしてストローク伸ばしてから来いよガキ一年」


 僕は、類先輩の小さくなっていく背が消えてからグラウンドをあとにした。


「という訳で、部室棟の占拠だけでも……」

「き、規則を守るだけが正義だと思ってる自治厨に私のことをとやかく言われたら困る……。もっと半年ROMってアウトローになってから出直してくれ……」


 部室棟の一角、占拠された部屋の中から聞こえてくるそんな言葉を受けて、僕は部室棟をあとにした。

 ちなみに美術部の部室に行っても、相葉先輩はいなかった。というか、どこを探してもいなかった。


 以上が顛末である。


「もう終わりだーーッ!!」


 放課後、五連敗した僕は教室でさめざめと泣いていた。


「茜氏、どうした? これ飲んで元気出しな?」


 そんな僕の頬にいちごミルクのパックを差し出してきたのは、同級生の妹尾せのお 道雪どうせつだった。

 数人しかいない中でも特に仲の良い、同じクラスの男子。ふっくら、と表現するにはあまりにもお腹が出ている体格で、大きな黒縁のメガネが丸い鼻の上に乗っている様子は完全なるオタクだ。

 だが、本人もそれを気にしているのか眉と髪は整えており、薄い唇や抑え気味な口調のおかげで僕と同じくらいかそれ以上にクラスに馴染めている。


「ありがと……。あーあ、せめて僕が道雪くらいの体格だったらなぁ……」

「どうした非合法ショタ。何かあったか?」

「いや実はさ……」


 僕は、先生から聞いた裏事情に関しては隠しつつ起こったことを話した。五人の問題児を説得しに行き、残念ながら惨敗に終わったことを。


「ふむ、確かに小生であれば割と……って誰がBMI三十八以上だコラ。ギリ三十七・七です〜! 昨日計算したもんね〜! と、閑話休題。それは難儀だねえ。でも、茜氏。彼女たちの言い分って、実は筋が通ってるんじゃない?」

「え?」


 道雪はパックにストローを刺しながら、僕の目の前の席に座った。相変わらずギャルの居た席に座るのが好きなやつだ。


「だってさ、考えてみな? 皆、自分の才能を理由に茜氏を否定したわけだぞ?」

「うん」

「先輩らがどれだけ自分の才能に人生をかけてるかって、お前知ってる?」

「でも、規則は……」

「はいはい。小生は茜氏を否定したいわけじゃないさ。でもね……」


 道雪はおもむろに自分のリュックサックに手を入れると、中からノートを取り出した。

 著者名に桃園のどかと書かれているそれを、道雪は渡してくる。


「これ、どうよ」

「これは……桃園先輩の本? なんで持ってんの?」

「そうそう。こう見えても小生、桃園先輩のレシピブックでデザートを作るのにずっとハマっておるのだよ。って言っても、先輩くらいすごいのはまだ作れないんだがね」

「にしてもなんで今持ってんの?」


 僕の言葉を無視する道雪を無視し返して、レシピブックをパラパラと眺めていく。


「はぁ……すごいね」


 その料理の多彩さに驚かされる。一冊の中で、アレンジの変え方や詳しい料理方法の手順などが詳細に、そしてわかりやすく書かれている。


「このレシピ本、すごい。誰でもわかるように丁寧に書かれてる」

「そうなんだなぁ。そこが桃園先輩のすごいところ」


 道雪がパラパラと僕の手の上からレシピブックをめくる。


「どれもこれも、そういう曖昧な言葉が排除されてるんだな。しょっぱいのが好きな人はこれくらい、抑えめの人はこれくらい、代用品はこれ、みたいになってるの、わかるだろ?」


 言われてみれば、たしかにそうだ。どれもこれも、僕でもできそうだと思えるほどに簡単に書かれている。


「桃園先輩が毎日学校にお菓子を持ってくる理由も、色んな人に食べてもらって、感想聞いてるってのが強いらしいぞ。だから先生も強く言えないんだとか。ただ、最近はエスカレートしちゃってるみたいだけどね。俺も、基調な食いしん坊男子の意見が聞きたい! って迫られちゃって。お陰でBMIが◯・七も上がっちゃって……」


 たはは、と笑いながら己の腹を撫でる道雪を見て、僕は何か少し盲目になっていたような気がした。


「道雪のことは聞いてない……けど、うん。ちょっとアプローチ変えてみるよ。今から暇?」

「ん? 暇だけど、どったの?」

「僕ン家、来れる?」


 道雪は、きょとんとした顔で僕を見つめていた。


・・・


 それから、しばらく僕は桃園先輩のレシピ本を見ながら料理を作ってみた。それも、彼女が作るような量を、だ。

 道雪やクラスメート、家族に手伝ってもらいながら、時々そんなことをしてみると、わかったことがあった。


「桃園先輩は、すごい」

「う……うぷ……弁当に追加でパスタ二皿とプリン五個は地獄……」

「僕のこれなんてまだまだだよ。桃園先輩はこの何倍も作ってて、改良してて……本当にすごい」


 道雪が残したプリンを食べながら、僕は感心したように呟いた。


「でも、だからってあんまり持ち込むってのは学園のルール的になぁ……。道雪、なんかない?」

「それは茜氏が考えることでしょ。小生は桃園先輩に嫌われてあのお菓子が食べられなくなるのが嫌なので今のままが良いぜ!」

「……本音は?」

「でっけぇママを悲しませたくねぇ!」


 関係ないことであるが、学校にレシピ本を持ち込むほどの妹尾は、ここ数日で桃園先輩への好意を隠さなくなってきた。あとついでにいつの間にかサインも貰っていた。


・・・


 家庭科室に夕日が差し込んでいる。その黄金色の光に包まれながら、僕はホイッパーでボウルをかき混ぜていた。僕は少しだけ、料理にハマってしまっていた。


「ただなぁ」


 桃園先輩のレシピを見て、五個も作ってなお、味はうまく定まらない。美味しくできるときもあれば、何か足りないなと思う瞬間もある。

 混ぜなさすぎるのが良くないのか、混ぜすぎるのが良くないのか、と思いながら僕は、ホイッパーを無意識に動かしていた。


「ん?」


 ふと家庭科室の扉が開いた。


「あら? 家庭科室に先客さんって思ったら、あの風紀委員長くんだぁ。どうしたの? 風紀委員長くんもお菓子、好き?」


 そこに立っていたのは、エプロン姿の桃園先輩だった。手には大量の材料が入った袋をいくつも抱えている。


「あ、それともまた説得?」

「いえ! まあ……説得したいのはやまやまなんですが、その……」


 僕はおもむろにボウルを調理台の上に置くと、桃園先輩に頭を下げた。


「ごめんなさい。桃園先輩にも色んな理由があって、ただ楽しいからってだけでたくさんお菓子を持ち込んでいるんじゃないってこと、知らなくて」

「あらあら、じゃあ許してくれるってこと……」

「いえ、どんなことがあれ、規則は規則なので。それはそれとして、先輩とはいえ女の子に荷物を持たせたままにするのも風紀委員として許せないので、一つ持ちます!」


 僕は桃園先輩に駆け寄ると、抱えていた荷物のうち一つを受け取った。先輩が気を利かせて一番小さい物を渡してくれたにも関わらず、野菜類の入ったそのエコバッグは僕の細腕が震えるほどに重かった。


「そんな小さなお手々で無理しなくても良いのよ? ほら、私こう見えても体だけは大きいから!」

「いえ……! そう、いう、わけ……には! あっ」


 僕が苦労して運んでいたそれを、桃園先輩はひょいと持ち上げると調理台の上に置く。柔らかな笑みと、背丈や色々なところが大きい割に細い腕からは想像ができないほどに、軽々とした動作だった。


「今、私の胸見てたでしょ。も〜、後輩とはいえ、生まれた年が一年しか違わない男子がそういう目をしちゃだめなんだよ。特に風紀委員さんはね」

「あ、いえ……僕はそんなつもりじゃ」


 桃園先輩は僕の言葉を遮るようにトマトを取ってくれと指示した。


「これ、きれいですね」

「話、逸らした? まあいいか。契約農家さんの一押しのトマトなのよ。ちょっと旬じゃないんだけど、それでもここまで仕上げてくれてるの」


 桃園先輩は包丁を手に取ると、僕が渡したトマトを刻み始める。


「私ね、昔から料理みたいな繊細なもの、お前には無理だってずっと言われてたの」

「……それは僕を説得するために言ってるんですか」

「あはは。そうかも。でも、本当にそう。こんなに手の大きい子には、繊細な料理は無理だって、みんなに言われたから。パパもママもそうじゃないって言ってくれたけど、やっぱりそうだと自分でも思ってた」


 そう言いながらも、桃園先輩は手際よく野菜の下処理を終わらせていく。

 ごめんね、とつぶやきながら先輩は僕の頭上に手を伸ばして、高い場所に設置された棚に手を伸ばした。

 言葉を紡ぎ続ける先輩から漂ってくるバターと、砂糖と、そして女の子特有の匂いに僕は一瞬だけ、桃園先輩の声が耳に入らなくなってしまった。

 風紀委員としてあるまじきことだと僕は首を振って、すでに調理台の方に戻った先輩の方に向き直す。


「でも、だからこそ、私は大雑把になりたくなかった。誰にでも作れるものを、曖昧にせずに、ってね。で、今があるのよ? ほら、諦めなかったら、先生が見ないふりをしてくださる限り私は努力すべきじゃないかしら?」


 いつの間にか、先輩はカプレーゼを作り終えて僕の前に出してきた。僕に味見をしてほしいと言っているようだ。僕はそれをおもむろに口に放り込む。


「美味しい……」

「ほら、だから……ね?」

「でも、それって先輩は良いんですか」


 僕はトマトとチーズを飲み込みながら、桃園先輩を見た。先輩は僕がそんなところから反論してくると思っていなかったのか、自らもと試食していた手を止める。


「ルールを曖昧にするって、先輩の言ってることってそういうことじゃないですか。それって、本当に良いんですか」

「……」


 先輩は黙ったままだ。


「先輩もわかってるはずですよね? その大きな体でできないことを、できるって証明できた先輩なら」


 桃園先輩は、僕の言葉に反論しない。ただ、その柔和な笑みの向こうでは、少しだけ苛立ったような雰囲気を醸し出している。そりゃそうだろう。下級生の突然の言葉にすんなりと従うような先輩なら、こんなことになってはいない。

 僕はパンと手を叩くと、カバンの中から一枚のチラシを取り出した。


「なので、こういうのはどうでしょう?」


 それは、作った料理の試食を行うイベントを開催するチラシ。僕が先生たちにかけあって開催を決めたイベントだった。

 美味しいと一定数の票を集めた料理は、学食にしばらくメニューとして置かれるという条件も、桃園先輩の名前を出すと案外すんなり通ってしまったのがこの先輩のネームバリューの強さではあるが。


「人員は今集めてる最中なんですけど、一応……僕の友人の、力の強い奴も来ますよ。先輩の才能を、規則を守る範囲で、先輩がやりたいように実験する。そういう場所を、作ってみました」

「……」


 桃園先輩は、僕の差し出したチラシと僕の顔を交互にじっくりと眺める。


「ふふ、ごめんなさいね。風紀委員長さん。私、なにか勘違いしていたのかも。風紀委員長さんは、口だけじゃなくてこんなにちゃんとしてくれるなんて。それに、私の好み、知ってたの?」

「あ、えーと……」


 先生にもらった生徒データの中に、簡素ではあるが男性の好みの欄があったことは言えない。

 桃園先輩は、手が大きくて筋肉がある、大きな男性が好みだそうだ。

 が、元来鍛えても筋肉のきの字もつかない僕は、そういった方向性で桃園先輩を籠絡するなんて大人びた手法は使えなかった。

 それに、解決しなければならない五人全員が、僕とは真反対の男子を好みだったなんて事実も思い出したくはなかった。


「まあ良いわ。開催日は……一週間後のゴールデンウィーク明けかぁ。よし、しっかり準備しないと! 風紀委員長くん……じゃなかった。理砂くんだっけ? 君ももちろん、出すんだよね?」

「ええ、そのためのプリンですから。他にも何人か、桃園先輩のようにやりたい! って人も来ましたし」


 僕は、調理台の端に置かれたボウルを指差す。そして、会話は終わった。


・・・


 結果から言えば、大盛況だった。

 学食を会場とし、桃園先輩や僕を含めた複数人が作る料理の試作品を試食するイベントは、全校生徒が訪れたのではないかというほどに人が訪れたのだ。

 先輩の大きな背丈はごった返す食堂の中でも目立って、そしてみんながそっちに寄っていく。それでいてこの日のために準備してきたと言わんばかりの超繊細な料理は、食べた全員から高評価。それでいて、あとでレシピを見てみると僕でもつくれそうなほどに単純だったのだから驚きだ。

 そんな僕もプリンを百何十個と作ったのだが、早々にハケてしまっている。


「美味しい! 風紀委員長くん、ちゃんと料理頑張ったんだね。それとも元からできる子?」

「いえ、桃園先輩のレシピを真似るところからはじめたんですけど、それでも散々で」


 残ったプリンは、試食会が終了したあとの桃園先輩と僕、そして道雪のための三つだけだ。


「でもこれ、私のとは全然違う。寒天……市販のもの? にしてはーー」


 桃園先輩は僕のプリンを口に運びながら、メモを取っていた。その言葉一つ一つによって、先輩は僕が曖昧模糊ながら感じていた課題点は言語化され、そして桃園先輩に吸収されていった。

 正直言ってちょっと怖い。


「茜氏、まだおかわりある?」

「道雪、試食で十個は食べてるだろ」

「ちぇ〜」


 そんな会話の中で、僕は周囲を見渡した。

 他にもいくつかの生徒たちが参加してくれていたのだが、ほぼ全員僕と同じようにすべて完食といった様子だった。

 まあ、殆どの生徒が桃園先輩に手伝ってもらっていたおかげということもあるが。本当に体力どうなってるんだ。


「ただまあ、やっぱり先輩には叶わないよな」


 僕はパンパンに詰まって、開ける間もなく圧勝であることを示した投票箱を見た。


「理砂くん、お疲れ様。いやぁ、楽しかったね。美術部の子のデコレーションケーキとか、見た? 今度教えてもらわなくちゃ」

「なッ……茜氏、小生の憧れの先輩に名前を読んでもらっているのか! おい!」


 道雪が


「そう言ってもらえるなら何よりです。こういうイベントは風紀委員の仕事ではないんですけど、企画委員の方に話は通しておいたので、定期的に開いてもらえると思います」

「ふふふ〜。楽しみ。ちなみに……その……理砂くんのお友達のちから持ちの子っていうのは……」


 キョロキョロとあたりを見回す桃園先輩の前で、僕は道雪を指さした。


「小生のことを桃園先輩に教えてたのけ!?」

「いやぁ……道雪ってその体格だけどちゃんと鍛えてるんでしょ?」

「まあ、この肉体美は筋トレから……ってダイエットって言わんかい」


 僕と道雪が漫才を繰り広げているが、先輩は口を挟んでこない。それどころか、肩を震わせているばかりだ。

 感動で泣いているのかと僕がその顔を覗き込むと、先輩は真っ赤になりながら頬を膨らませていた。


「あのねぇ! 私が好きなのは、体脂肪率が低い筋肉質な男子なの! もう風紀委員長さん!」


 「ぷんすこ」と口から擬音を出しながら、先輩は僕の肩を強めに叩く。あの、マジで痛いんでやめてください……とは言えずに、僕は先輩のそれを甘受していた。道雪の羨ましそうな、それでいて告白してもいないのに振られたというその表情が少し面白くて、僕は叩かれながらも吹き出してしまう。


「何がそんなに面白いの!」

「そうだぞ茜氏! 小生のことを何だと思って!」

「いやぁ、ごめんごめん。明日から一週間、毎日いちごミルクおごるから、それで許して」

「許す!」

「それと、桃園先輩。こんなイベントとか、企画委員も手伝ってもらいましたけど、言ってもらったら開催しますから、そんなに自分の中だけで考えずに、もっと頼ってください」

「……ええ。そうしようかしら。理砂くん」


 僕の肩をやっと叩くことをやめた先輩は、微笑みながら片付けに戻っていった。


・・・


「ってオイ! 反省してねぇなあの人! 道雪、ちょっと席外す!」

「了解〜」


 昼休み、僕が不意に窓の外を眺めていると、桃園先輩がお菓子を配っている様子が見て取れた。しかも、これまで以上に量があるように見える。というか台車で運んで配り歩いてないか? 逆バレンタイン?


「先輩! なん、えぇ?」

「あ、理砂くん。食べる? 厚焼き玉子」


 僕の顔を見て、桃園先輩は爪楊枝に刺さった卵焼きを差し出してくる。僕はそれを口に含むと、十秒ほどその美味しさに酔いしれてから現実に戻ってきた。


「美味しかった?」

「美味しい……ですけどそうじゃなくて! なんでですか? イベントとかも言ってもらえれば……」

「ええ、もちろん今後も定期的に。私の方からも先生に話を通させてもらったわ。でも、ほら」


 もう一度、もう一度と先輩は僕の口に卵焼きをねじ込んでくる。その圧倒的力の前には、僕はただ卵焼きを咀嚼して嚥下するだけの装置にしかなりえなかった。


「イベントと並行でこうやって味見してもらったら、更に効率が上がるでしょ? 規則を守るなんて、私一言も言ってなかったしね」

「んグッ……先輩! それはズルじゃないですか!」

「ふふふ、規則を守らせたいなら、もっとちゃんと規則を作ってから来てね。それか、もっとしっかり食べて、筋肉をつけてきてね」


 にこやかに笑う先輩に頭を撫でられ、僕は反論できなかった。


・・・


「と、言うわけで」

「失敗か。まあしょうがない。一週間やそこらで解決できることだとは思ってなかった。むしろ桃園の懐に潜り込めただけでも良しだろうな」

「でも、ちょっとずつですけど、そういう事もできるんだって知ってもらえたのは良かったと思います」


 職員室で、僕は先生に今回のことを報告した。


「よし、じゃあ続いて四人、もちろん桃園の校則違反もなんとかできるように、頑張れよ風紀委員長!」


 仲宮先生は僕の背中をバンと強く叩く。そして、仕事があるからとデスクに向かい直した。


「頑張るぞ! と、今日のことは姉さんに報告しておこうかな」


 イベントの立案や企画は、生徒会、ひいては姉の力を借りなければできなかったことだ。姉の見返りは、今晩の夕食の時にその顛末を話すこと。僕の成長を見れば見るほど、姉は喜んでくれるのだから。

 そして、姉に近づいたと僕は実感できるのだから。


・・・


 まだあと、五人。


「よし、次は霧島先輩だ」

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すべてが大きい問題児の女の子たちは、性癖が終わってるせいで僕の言うことを絶対に聞いてくれない 青月 巓(あおつき てん) @aotuki-ten

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